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数えて二つ 2

 おーいと呼ばれた気がして前方を注視すると、道の遥か向こうから濛々と土煙を上げて近づいてくる何かがあった。

 朝から一日中歩き続けた甲斐あって、満尋は今日の夕刻には別暮の国に入れるかという所まで来ていた。景色は長閑な田園地帯から木々の多い茂る林の中に変わる。この辺りを通るのは町から町へと移動する商人や旅人くらいのものだろう。

 やがて満尋の耳に蹄の蹴る音が聞こえてきて、まさかと思うまもなく馬は満尋の横に急停止した。

 ぶるると鼻を鳴らす馬の上から「お疲れー」と明るい声が降ってくる。

「……勘吉。お前なんでここにいるんだ?」

 満尋の口からは無愛想な言葉しか出てこなかったが、心は反対にほっとしていた。無意識に張り詰めていた緊張の糸が一気に緩む。一日歩き続けた重い疲れがどこかに吹っ飛んだようだ。

 よっと勢いをつけて勘吉は馬から降りると、満尋の困惑した顔を見て「迎えに来た」と歯を見せて笑った。

 もともと大柄だった勘吉はこの二年間でますます背が伸び、満尋より頭一個分くらい大きい。首の疲れる男だ、と満尋は視線を下ろし、目の前で大人しく草を食んでいる黒い馬に目をやった。素人目に見てもこれは良い馬だと分かる。こんな馬、明鵠寺の厩にいただろうか。

「青毛じゃないか。どうしたんだ、こいつ」

「いいだろう。でも残念、青毛じゃねえ。こいつは青鹿毛だな」

 勘吉は誇らしげに馬の首を撫でると、ほら、と馬の鼻面を指差した。よく見ると鼻先に僅かに褐色の毛が生えている。

「実はこいつ、昔俺の家で育ててた馬の仔なんだ。こないだ偶然こいつの主人に会ってさ。俺はその人ん所に、昔売った馬を買い戻したいって何度も頼みに通ってたんだ。随分渋られちまったけど、そいつのガキなら良いってんで貰ってきた。もちろんタダじゃねぇけど」

 そう言って勘吉は「という訳で、今俺無一文なんだわ。財布は任せたぜ!」と、満尋の肩をばんばんと叩いた。

 きっと勘吉はこの馬の為に給金のほとんどを支払ったのだろうが、彼はちっとも痛手には思っていないらしい。それどころか、とても満足そうである。彼が生まれ育った名馬の里はもう無くなってしまったが、こうして故郷の忘れ形見に出会えたことはこれ以上ない幸せなのだろう。

「さてと。そろそろ戻るか。後ろに乗れよ。こいつは速ぇぞ」

 満尋が勘吉の腰にしっかりと腕を回したのを確認すると、勘吉は「はぁ!!」と威勢良く声をあげて馬の腹を蹴った。

 速いぞと勘吉が言った通り、この青鹿毛は満尋が思っていた以上に速かった。大の男を二人も乗せているのだから、多少遅くても気にしないつもりだったが、そんな心配は無用だったようだ。流れる景色を横目に見ながら、満尋は勘吉の背中に向かって話しかけた。

「なぁ。俺が居ない間向こうはどうだったんだ? 源さんが使いを出したって言ってたけど」

「ん? ああ、ちゃんと来たぜ。俺達が川に着く頃には橋の解体も終ってるさ」

「もうか? 使いが出たのはそんなに前じゃないだろう」

 あまりの手際の良さに満尋が面食らっていると、勘吉は何が面白いのかケタケタと背中を揺らした。満尋が気持ち体を離し、勘吉の背まで伸びた尻尾のような髪の毛をぐいと引っ張ると、「なんでもねぇよ」と満尋の手を払った。

「橋自体はそんなに大層な造りじゃねぇからなぁ。結構簡単にいったぜ? そしたら、十壱が『満尋はどうやって川を渡って戻って来るんでしょう?』なんて言うもんだからさ。じゃあ、俺が行くしかねえだろ?」

 何がじゃあなのかは分からないが、何にせよ助かった。勘吉に逢わなければ挟河軍の前に満尋が立ち往生していたことだろう。

「というか、お前。本当はこの馬に乗りたかっただけだろう」

 満尋がそう言い切れば、勘吉は「わはは」と態とらしい大げさな笑い声をあげた。


 休憩を挟みつつ二刻も走らせていると、目の前にゆったりと流れる大きな川が見えた。別暮の南を東西に流れるこの美野里川は、国の貴重な水源であると同時に挟河の国との境界線でもある。勘吉が言ったように橋の解体はほぼ終っているらしく、満尋が行きに通った橋は綺麗に無くなっていた。

「こっちだ」

 勘吉が馬を降り、道を外れて歩き出す。満尋もそれに習って馬から降り勘吉の後を追った。馬を牽いて先を歩く勘吉は、腰ほどの背丈の草を掻き分けながらどんどんと進んでいった。おそらく川の下流に向かって歩いているのだろう。間もなく、丸く削られた石がごろごろ転がっている川辺に出ると、満尋は草叢の陰に隠れるように置かれていた刳舟(くりぶね)を発見した。

「舟か」

「ああ、ちょっとこいつを頼む」

 勘吉は満尋に馬の手綱を預けると、舟を止めていた縄を外しにかかった。満尋はここまで二人を運んでくれた細馬に感謝の気持ちを込めて顔を愛撫すると、馬は静かに目を閉じた。

 勘吉の準備が出来た様なので、先に満尋は馬と共に舟に乗り込んだ。最後に舟を押した勘吉が乗り、彼が舵を取る。満尋はぼーっと透明な川の水を覗き込んでいると、勘吉に「落ちるなよ」と声を掛けられた。

「落ちないよ」

「どうだかねぇ。……浅くて緩やかに見えても底の方の流れは速いからなー。足を取られて結構溺れる奴も多いみたいだぞ」

「見かけに拠らずってことか」

「だな」

 満尋はただ川を横切るだけだと思っていたが、舟は流れに任せてかなり下流の方まで下っているようだった。舟の側を小さな魚の群れが通り過ぎるのを横目に見ていると、

「最近多いよな」

と、勘吉が何の脈絡も無く言葉を発した。満尋は首をひねって、

「何がだ?」

と、問いかけると、

「んー、満尋がじっと池とか川を覗き込んでるのが」

と、勘吉は漕ぐ手を休めずに言った。満尋は「そうか?」と気の無い返事をしたが、勘吉はそれに対して「そうだよ」とさらに力強く返してきた。

「二年くらい前からだな。なに、お前無意識か?」

「二年前……、そうか」

 『影映り』のチャンスを逃さないように。あの火事の日から気をつけていた習慣が、今ではすっかり癖になっていたらしい。満尋は緩く笑って流れる水面をじっと覗いた。満尋の顔は舟の起こす波に拠って、ぐにゃりと奇妙に歪んでいる。その姿を勘吉はどこか辛そうな表情で見ていた。


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