不知夜月 1
秋も足早に通り過ぎ、季節は冬を迎えていた。この時期を師走と呼ぶだけあって、今月は中々に大忙しである。
冬という季節は全てのものが死に近づく。ここ『月下辺』の人間はそう信じて疑わない。木々は葉を落とし、生き物の活動が緩やかになる。そしてなにより、生命の象徴である太陽の恩恵が得られなくなる。白い雪が深々と降り積もる世界に、生の躍動は感じられない。冬とは死なのである。だからこそ、人々はなんとかその死のイメージを振り払おうと、様々な意味を持つ祭事を行うのだ。とはいえ、満尋は観念的でスピリチュアルなものを、特別信じているわけではない。ただ祭りが多いな、くらいにしか思わなかったが。しかし、民衆、特に農民たちは真剣だ。昔からこの時期は、なんとか神様に来てもらい、生命の力を分けてもらおうと考えられているのだ。
満尋は「ほい」と渡された箱を長屋の前まで運んでいく。倉で渡されたそれは、重くはないが、大きくて長い為些か運び難い。なんとか長屋の前まで持っていけば、外で座りこんだ与市と八弥丸、二之助を見つけた。「これで最後だ」と声を掛ければ、八弥丸から「ありがとう」と返ってきた。
先に運んでいた箱の横に新しくどさり、と箱を置くと、中でからん、と軽い音が鳴る。
「へぇ、すごいな。一から作れるものなんだな」
満尋は八弥丸の手元を覗き込んで感嘆の声をあげる。「まあな」と、少し誇らしげに八弥丸は短刀を動かした。
彼らがしているのは、白鞘作りである。何でも明日どうしても白鞘が必要らしく、新人で去年の物を点検するように言われたのだ。皆はそう言われて「あー、もうそんな時期か」と頷いていたが、満尋にはさっぱり分からない。一人ピンと来ない満尋に、十壱が助け舟を出して、「お迎へ鞘ですよ」と教えてくれた。
お迎へ鞘、というのは、白鞘を建物の入り口に飾って、神様に来て貰おうという民衆行事らしい。飾るものは鞘に限らず、下駄でもまな板でも何でもいいらしい。大事なのは、その素材だそうだ。十壱曰く、
「朴火巳伎大神様をお呼びするんです。だから、朴の木で出来たものでないといけないんですよ」
という事らしい。そこで、鵟衆では毎年この日は白鞘を飾ることにしているのだそうだ。神様を呼んで、無病息災に肖るのだとか。
「満尋、お前その今持って来たやつ、見ておいてくれないか」
八弥丸に言われて木の箱を開ければ、中に十数本の鞘が入っている。どれも白木のままだ。ほとんどが綺麗なものだが、内何本かはひび割れていたり、劣化の激しいものがある。それらは、八弥丸と与市行きだ。直せるものは直して、どうしても駄目なものは八弥丸が新しいものを拵えるらしい。八弥丸と与市に視線をやれば、二人は真剣な表情で手元の短刀を動かしていた。木を削り、着々と鞘の形が出来上がっていく。
「満尋、それちゃんと中も見ないと駄目だぜ」
二之助が満尋の持っている白鞘を見て言った。「中?」と聞き返せば、「こうするんだ!」と、一つ鞘を手に取ると鯉口の部分に指を入れて、簡単に鞘を二つに割ってしまった。満尋も真似てやってみると、ちょっと力を入れただけで楽々鞘を割ることができた。
「あ、出来た」
「なー? 簡単だろー?」
二人でぱかぱかと鞘を割ってみたが、どれも中を手入れする必要はなさそうである。二之助は詰まらなそうだったが、満尋は余計な手間が増えただけなのでは、と思っていた。八弥丸によれば、実際に刀を納めていたわけでは無いから、内側はそんなに痛まないらしい。それよりも、湿気で木が傷んでいるものの方が多いのだそうだ。
「じゃあ、これ開ける必要なかったんじゃないか」
「まあ、そうなるな」
満尋が不満を漏らせば、八弥丸は苦笑した。もっと早くに言って欲しかった。はぁ、と溜息を吐けば、与市が「はい」と白っぽい粘液の載った板を差し出した。くん、と鼻を近づければ、馴染み深い臭いがする。
「それ、続飯。くっ付けて」
ああ糊か、と続飯を受け取ると、平たい棒で丁寧に鞘に塗りつける。「足りなかったらそこにあるから」と目で教えてくれた先には、おそらく昨日の残りだろう炊いた米が置かれていた。どうするのかと思えば、練って水で溶かすらしい。
(小学校で使ってたでんぷん糊を思い出すな)
絵を描くのは嫌いだったが、工作は好きだった。手を動かした分だけ、目の前の物がどんどん形を変えていく。それがなんとも楽しかった。
今後ろから聞こえてくるのは、シャッ、シャッと木を削る音。隣には、四苦八苦しながら鞘を張り合わせる二之助の姿がある。中学校に上がって以来工作なんてしなかったな、と満尋は懐かしい思いに浸りながら、黙々と作業を続けた。
満尋たちが用意した白木の鞘は、その日の内にそれぞれ配られ建物ごとに飾られただけでなく、各部屋一鞘ずつ配られた。皆はそれを自分たちの部屋の入り口に取り付けている。満尋も勘吉、十壱と共に、自分たちの部屋の入り口に白鞘を掛ける作業へ取り掛かった。
「鵟衆でもこういう行事ってちゃんとやるんだな」
一番背の高い勘吉が、鴨居の部分に鞘を飾るのを見て満尋が言った。職業柄、神も仏も無い、というイメージが強かっただけに、満尋にはこのお迎へ鞘は少し以外だったのだ。
「そうか? 俺は神さんに来てもらって、息災で居させてもらいたいけどな」
勘吉は鴨居から手を離すと、自分が飾りつけた白鞘を見て言った。それから、どこか気に入らなかったのか、ちょこちょこと手直しを入れる。
「死を祓って頂く為に神様を御呼びするんです。是非、先んじてあたしたちの所に来て頂きたいですね」
十壱がにこりと笑って、ああそうか、と満尋は納得する。元々この行事は、冬になると死に近づく、という概念から来ているのだ。荒事の多い鵟衆では、大怪我や殉死する確立がとにかく高い。皆、死に近い所に居るのだ。だからこそ、率先してこうした行事は行うに違いない。
「そうだな」
祈ってみようか、神様に。別の世界からやって来た満尋に、等しく加護が与えられるかは分からないけれど。
「よし、こんなもんだろ」
満足がいったのか、勘吉が漸く手を離した。鴨居には五色の下緒が結ばれた白鞘が飾られていた。削り出したばかりの鞘は、今日八弥丸が拵えたやつだ。まだまだ色もさっぱりとして、初々しい。
「祖母さんが言ってたな。神さんは新しいものが好きなんだってさ。やったなー。俺たちの部屋にきっと一番に来るぜ」
「おや。それは良いですね」
「ああ、そうだな」
皆と無事に過ごせますように。
満尋はそう願いを込めて、白鞘を見詰めた。随分落ちるのが早くなった日が差して、ほんのりと橙に染まっている。一つ遣り遂げたような、感慨深い気持ちになっていると、「お迎へは明日ですよ」と、十壱が笑った。




