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十日夜月に想う 1

 満尋が伊月と再び『影映り』で再会できたのは、満月まで後五、六日という頃であった。それまでは、夜間に仕事が入ったり、夜の鍛錬に付き合わされたり、と中々自分の時間を取れず、ようやく今夜、池の前に立つことができたのだ。

 最後に声を聞いてから、約二週間近く過ぎている。満尋は少し緊張した面持ちで『月夜里(やました)』の伊月に呼びかけた。特別約束をしていた訳では無いので、伊月の都合次第では会えないかもしれない。しかし、池の水面は無風の中不自然に揺らめき、『影映り』が上手くいったことを示していた。

 水面に映った彼女は、しばらく辺りをキョロキョロと見回した後、満尋と目が合って花が咲いたように笑う。満尋はその顔に安堵すると、「久しぶり」と声を掛けた。

「久しぶり。元気だった?」

「ああ。そっちは?」

「もっちろん。元気一杯だよ」

 そう笑顔で話す伊月には、一切の翳りも無く、本当に元気そうだ。満尋の記憶に残る伊月とピタリ一致して、嬉しい気持ちで心が満たされる。満尋も顔を綻ばせていると、「よかった」と呟く声が耳に届いた。伊月は聞かせるつもりで口にしたのではないのだろう。もしかしたら、自分でも口にした覚えは無いのかもしれない。だからこそ、ずっと抱えていた荷物を下ろした様な、ほっと安心した、という響きがその一言に込められていた。満尋は、何に対しての「よかった」なのか分からずに首をひねる。何か、『影映り』ができなかった間に憂い事でもあったのだろうか、と思いを巡らしてみるが、これだと思うものは出てこなかった。「何がよかったんだ?」と伊月に尋ねえみれば、彼女は「へ?」と気の抜けた返事を返す。やはり、伊月は声に出したつもりは無かったらしい。

「さっき。こっちを見て、よかった、って呟いただろ」

「え? あ、私口に出してた? ……大した事じゃないよ。ただ、満尋が笑ってるから……よかったなって、思って……」

 尻すぼみになっていく伊月の言葉に、満尋は呆気に取られた。伊月の答えでは、謎が謎を呼ぶというか、深まるというか、とにかくなんの疑問の解決にはならない。

(俺が、笑ってるから? よかった? なんで……?)

 伊月は自分の言った事に少し照れくさくなったのか、少し頬を赤らめて口を尖らせた。

「だって、今だから言っちゃうけど、前はすごい顔色してたよ」

その言葉で満尋はようやく合点がいった。思い当たることがかなりある。苦笑して「それは悪かったな」と返した。

 最後に伊月と顔を合わせたのは、賊退治の夜だった。あの日は、初めて見た人間の死体に気分も悪く、山の中を歩き回った肉体以上に精神の方が疲れていた。鏡を持っていないので、自分の顔色なんて分からないが、鵟衆の面々から気遣われるくらいだったのだから、相当悪かったはずだ。さらに、声だけだった前回に至っては、はっきり言って何を喋ったか覚えていないくらい放心状態だった。満尋は片手で眼鏡の上から顔を覆うと、伊月に分からないように溜息をついた。まったく自分の弱い所ばかり見せている。指の隙間から伊月を垣間見れば、満尋の言葉を待っているのか、小首を傾げてこちらを見ていた。よく、まだ自分と『影映り』をする気が起きているものだ、と満尋は思う。こんなに男の弱い姿を見て、幻滅はしなかったのだろうか。

「あの時は……ちょっと、仕事で疲れていて……。態度悪かったな。ごめん」

 できるだけ、なんでもない風を装えば、不自然に口元が引きつっているのがよく分かる。嘘は吐いていないが、どうも誤魔化そうとしている気がして、満尋は後ろめたい気持ちになった。

「そっか。えっと、お仕事ご苦労様? 満尋は体使ってるもんね」

「まあな。そんな酷い顔だったか?」

「誰にも言われなかった? この前なんか、あ、声だけの日ね。事故起こしたって家族に電話してるみたいだったよ?」

 伊月はからからと笑っているが、満尋は汗がたらり、と流れるのを感じた。冗談だと分かってはいるが、笑えない。時々妙に敏い所を見せる伊月は、今回も驚くほどに的を射ていた。笑って返せたらよかったのに、満尋の口からは「え」とか「いや」など、単語にもならない言葉しか出てこなかった。

「それくらい酷いテンションだったってこと!」

 伊月がそう締めくくれば、「そうか」とこの話は終わることができた。

 一息ついた頃、伊月は徐に満尋に向かって言った。

「満尋、私やっぱり諦めないよ。元の世界へ帰る方法、絶対見つけてみせるから」

 唐突なようにも思えるが、満尋は自然な流れでその言葉を受け取った。この命題はおそらく、現代からこの世界にやってきた満尋と伊月が、一生向き合わなくてはならない問題であるからだ。

 しかし、こうして満尋に言うとは、何か思う所でもあったのだろうか。伊月の目は決意に満ちている。以前満尋は、元の世界に戻ることに関して期待するな、と彼女に仄めかしたが、改めて伊月は意思を固めたらしい。満尋の意見を否定した形になるが、それも伊月らしいと満尋は思った。

「……そうか。分かった。そこまで言うなら、やってみろ。俺も、もうあんな悲観的なことは言わないさ」

 どうせ、止めろと言ったところで聞かないだろう。自分で決めることの大切さは、満尋にも良く分かったのだ。人に言われたくらいでは揺らがないのは、満尋も承知だ。きっと家族に言われたって、こうして決めたことは変わらないだろう。だったら、満尋のできることは一つだ。満尋の言葉に、伊月は瞳に込めた光を柔らかくさせた。

「だからね。もし、私が帰る方法見つけたら、その時は一緒に帰ろうね」

 伊月はまさに全開の笑顔で満尋に笑いかける。満尋は、

「まぁ、頑張れよ」

としか返さなかった。

 満尋の中で、元の世界へ帰りたいという気持ちは希薄になりつつある。伊月ほどの情熱は、もう満尋の中には無いのだ。その言葉をもっと早くに聞いていれば、と思いながら、それでも自分は希望を持てただろうかと疑問にも思う。元々諦めるのが早い自分の性格だ。見込みが無いと分かってしまえば、そこで興味も情熱も全て冷めてしまうのである。まさか、元の世界に帰るという人生の一大事でも、自分のその性格が発揮されるとは満尋も思わなかったが。なんのてらいも無く「頑張る」と言う伊月が、満尋にはとても眩しくて、霞んで見えた。


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