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暁光はまだ 4

 車の上に立ち上がった八弥丸が、そのまま刀を横に薙ぎ、目の前にいた賊の男を倒した。それを皮切りに、一斉に賊が襲い掛かってくる。勘吉と十壱、八弥丸は車から飛び降りると、賊の中へ突っ込んでいった。

「すみません、俺も行かないと。離してもらえますか?」

 満尋は、未だ自分にくっ付いている男に、手を離すように促した。仲間と賊、入り乱れての乱戦は、満尋に焦りを感じさせるばかりだ。男はそれでも尚、手を離さない。焦りが苛立ちに変わり、満尋は男を睨み付けると、白い光が目の前を過ぎ去った。

 上手く身体を捻って一撃を避けたが、短刀の柄が満尋の頬を直撃した。湿った土の上に叩きつけられ、頬にじんじんとした痛みが広がっていく。視界が悪くなったことで、眼鏡がどこかへ飛んだのだと頭で理解すると同時に、輪郭のぼやけた男の下卑た笑いが耳につき、満尋はこの男も賊の仲間なのだと気がついた。

 二撃、三撃と襲い掛かる凶刃を、満尋は転がりつつ躱していき、なんとか体勢を膝立ちの状態へ持っていく。しかし、良く見れば賊の太刀筋は、ただ刀を振り回しているだけ、という感じだ。宇木衛門の稽古に比べれば、随分とお粗末なものである。

「満尋!!」

 勘吉の叫びと同時に、黒石目の鞘がこちらに飛んできた。なんとか左手で刀をキャッチすると、そのまま居合いの要領で襲い来る賊を横に払った。

 つぶれた蛙のような声をあげて、目の前の男が倒れていく。満尋の顔に何か温かいものがかかり、それはぬるりと頬を伝っていった。周りの喧騒が一切聞こえなくなり、満尋は頭が真っ白になる。倒れた男が動かない。――動かない。自分が何をしたのか、気付いてしまったらどうなるのか分からなかった。一瞬で体の芯まで氷の様に冷え切って、全ての感覚が凍結していく。赤いものが足元に広がっていくのを呆然と見ていると、花火のような爆音が空気を振るわせ鳴り響いた。

 はっと意識が呼び戻されて、景色は朱泪の滝の辺に戻る。見ると、白い煙が荷車から立ち昇っていた。今の爆音は銃声だろうか。

 満尋の目の前では皆が戦っていた。八弥丸を筆頭に、勘吉や十壱、主膳、孫太夫、新左衛門や二之助まで。ぐっと右手の刀を握り締めると、鞘を放り投げて荷車へ向かっていく。与市は次の発砲準備ができるまで無防備になるはずだ。刀を両手でしっかり持ち直すと、車に近づき背を見せた賊の一人を袈裟斬りにした。


 静まり返った朱泪の滝では、九人の荒い息遣いが聞こえるだけであった。先ほどは一気に体が冷えたと思ったのに、今はとにかく全身が熱い。体中の血液が沸騰しているような、そんな感じだ。ようやく息が整ってくると、視界には自分達が屠った賊の屍が映りこんできた。

「終わったな、戻るか。孫太夫。――孫太夫?」

 八弥丸が刀の血を払い納刀する。しかし、孫太夫は放心状態なのか、血の付いた刀をだらりと下げたまま、ただ立ち尽くしているだけである。八弥丸が呼びかけると、何度目かでようやく正気になったのか、刀を振って鞘に納めた。

 満尋も震える手で納刀しようと腰に手を当てたが、そこには何も差さっていない。そういえば、どこかにほっぽってしまったことを思い出し、鞘を取りに行く。一番初めに斬った男の向こうに、黒い鞘が転がっていた。おそらく、もう息はしていまい。男の亡骸から目を背けて、その向こうの鞘を拾った。すると、すぐ側の岩に引っかかった何かがきらり、と光る。刀を納めてからその場所へ行ってみると、見慣れた緑の眼鏡が光を反射していた。手に取ってみると奇跡的にどこも傷は無く、少し土で汚れた程度だった。満尋は眼鏡をかけようとしたが、鼻の辺りに持っていったところでゆっくりと下ろした。まだ、視界はぼやけていた方がいい。懐に眼鏡をしまうと、皆がいる荷車の方へ向かった。

 皆目立った大きな怪我は無く、無事だったのは幸いだ。満尋も頬の腫れ以外は、小さな切り傷、擦り傷ばかりで大事無い。それぞれ、顔に付いた返り血を綺麗に拭うと、今度は全員で車を押して山道を下った。


 帰りは下り坂だというのに、皆の顔は暗く、足取りも重かった。さすがに血塗れの着物のまま帰ることはできないので、上着を一枚脱いで下着に袴という井出たちで帰路についた。通りかかる人々が満尋たちを見て、葬式行列か何かかと勘違いするほど、陰鬱な空気を醸し出していたらしい。八弥丸と珍しく与市が、気遣わしげに皆を窺っている。結局、帰り道は誰一人言葉を発することなく、日がどっぷりと沈んだ頃に明鵠寺へ帰り着いた。

 機械的に宇木衛門への報告を終えると、彼は前回同様九人の仕事に良くやった、と労いの言葉をかけた。それから、二日ほど仕事は休みにして良いとも。それ以外に何も言わなかったが、きっとじっくり考える時間をくれたのだろう。とにかく、皆疲れていた。真っ先に風呂場へ直行し、いつも以上に念入りに身体を洗う。無意識に身体を擦り過ぎていたらしく、お湯に浸かると真っ赤になった皮膚に滲みて、全身にひりひりとした痛みが襲ってきた。その後は誰も夕餉を取らないのか、皆直ぐに部屋へ入っていった。

 布団に入ってしばらくすると、隣の二之助の部屋からすすり泣く声が聞こえてくる。勘吉や十壱も中々寝付けないのだろう。何度も寝返りを打つ音が聞こえる。満尋もなんとか瞼を閉じようとするが、ちらちらと脳裏をちらつく紅い影に、眠ることができないでいた。


 黒い何かが満尋の体中を這い回っていた。気持ちの悪いその感触を振り払い、一目散に駆け出すと、今度は足が縺れてばしゃんと水溜りの中に倒れる。生温かいその水は、どろっとしていて鉄の味がした。満尋は己の手をぼんやりと見遣った。掌にべっとりと付いたそれは、指の付け根から滴り落ちて、足元の水溜りへ還っていく。その雫が落ちる度に、どこからともなく声が聞こえてくるのだ。

「おおう、お前、もう戻れないぞ」

「そんな穢れた身で、一体どこへ帰るのかい?」

「この業を置いて、逃げられると思うなよ」

 男なのか、女なのか。あらゆる声が満尋を責め立てる。強い負の怨念が満尋に纏わり付いて、耳元で、正面で、背後で語りかけてくるのだ。それらは、皆口々に「帰れない、戻れない」と、言い続ける。

 膝から崩れ落ちて耳を塞ぎ、目を閉じていると、

「満尋」

と、聞きなれた声が聞こえてきた。ここに来る前は毎日のように呼ばれていたその声に、固く閉じた目を開くと、靴を履いた何人かの足が目の前にあった。その足を辿るようにして顔を上げていくと、懐かしい顔ぶれが微笑んでいる。

「満尋」

「もう帰ってこなくていいよ」


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