更待月の陰 3
崖の下には自然にできたのか、大きな横穴がぽっかりと口を開いていた。随分と深そうな洞だ。皆でばらばらになり、洞を取り囲むようにして50mほど離れた藪の中に身を隠す。身を低くしてそっと中の様子を窺うが、人が中にいる気配はない。
「全員で出ている? そんなはずは……」
「誰かが中に入る必要があるな」
孫太夫が僅かに驚きの色を言葉に滲ませると、八弥丸はすぐに次の行動を示した。孫太夫はそれに頷くと、「二、三人誰か行けるか?」と皆に呼びかけた。しかし、洞の中は何が飛び出すか分からない。堂々と松明などは点けられないから、皆及び腰だ。満尋は与市ならすぐに行くと言い出すと思っていたが、右向こうで待機している彼は我関せずの様子で銃を弄っていた。満尋の怪訝な視線に十壱が、
「洞の中は、彼の得意な火縄は向きませんからね」
と、苦笑した。確かにそれはそうだ。的がはっきりしない、暗くて狭い場所で鉄砲を撃つ馬鹿はいないだろう。では誰が適任か、と考えていると、満尋から一番離れた所に居た主膳が名乗り出た。
「孫さん、僕が見てきましょう。気配には敏い方ですから、様子見くらいなら大丈夫でしょう」
「じゃあ、おいらも行こっかな。小悪党の考えならちょっとは分かるしね」
それに便乗するように新左衛門も前に出た。彼と歳の近い二之助が一緒に行くと言い出したが、十壱と勘吉に止められしぶしぶ待機組みにまわった。満尋はその様子を見ながら、腰の刀に手を当てた。まだ、さっきの衝撃はある。あの暗い洞の中にはもっと醜く、惨い現実が待ち構えているかもしれない。それでも、自分はこの鵟衆で居場所を手に入れなくてはならないのだ。
「俺も行く」
満尋はそう言って主膳の傍についた。皆の表情が言外に大丈夫かと言っているが、引く気はなかった。勘吉が馬鹿言うな、と怒っているが無視を決め込む。
「満尋が……? でも君はさっき――」
「いいんじゃない?」
戸惑う孫太夫の言葉を遮って与市が言った。その後ろで、日に二度も喋るなんて、と二之助が感動している。
「頭から、気配を読むのも消すのも新入りじゃ一番と言われたんだ。やる気もあるんだし、行かせたらいいじゃない」
至極どうでも良さげにそう言うと、与市はまた愛銃弄りに戻った。これ以上喋るつもりはないらしい。
宇木衛門から、「新入りの中では一番」と言われたのは昨日の稽古中だ。「鬼ごと」の続きをしている時である。一昨日同様、不意打ち戦法で向かっていった満尋だが、結局一本も取れずに終わった。宇木衛門から五回目の返り討ちに遭った時、彼は倒れた満尋に言ったのだ。「剣術はさっぱりだが、気配を隠すのは上手い。読むのも得意だろう? 今回入れた新入りの中では一番だろうな」と。出し抜けに褒められ目を丸くする満尋に、「町人くらいなら闇討ちもできるな」と、最後に嬉しくない言葉を付け加えてくれたが。
そんなやり取りを見ていたか、人伝に聞いたかしたのだろう。与市がそう押してくれたおかげで、満尋も洞の中へ入れることになった。
主膳が先頭、間に新左衛門、殿を満尋という並びで洞の中を進んでいく。入り口は四人横に並んでも余裕がある幅だったが、進むにつれ次第に狭くなり、二人並ぶと窮屈に感じるほどになった。足元には木片や、壷の破片が転がっており、気をつけねば音を立ててしまう。入り口からの光がほとんど届かなくなったところで、主膳が立ち止まった。視線を向けられ、満尋は頷く。奥からは何の物音も気配もしない。
先に進むとどうやら開けた空間に出たようだった。主膳は火打石で棒切れに明かりを点けると、そこには賊の居住していた残骸が散らばっていた。火を分けてもらい、三人で辺りを隅無く探索する。二十畳ほどの空間には、ムシロや汚れた着物、割れた陶器、何かの獣の骨が至る所に散乱していた。
「どうやら無人だったみたいだねぇ」
「ああ」
主膳がのんびりと辺りを見渡す。満尋もぐるりと一周歩いてみたが、誰かが隠れるような場所は無いし、先に続く道もない。ここで行き止まりだ。
「なぁんか、緊張して損した。おいら、外に誰もいないって伝えてくる」
新左衛門はぐっと伸びをすると、韋駄天の如く外へ駆け出していった。確かに拍子抜けだ。いや、賊と鉢合わせしても困るが。
「こういう洞穴のアジトって、普通トラップとかあるよな」
「へぇ?」
「あ、いや。……罠とかあるかも、とか?」
狭い空間の中では、小声で溢した独り言も拾われてしまうらしい。慌てて言い直すと主膳は小首を傾げた。
「満尋は面白いことを考えるなぁ。罠、罠……。落とし穴くらいはあるかもね? でも、話を聞く限り、そんなに頭の働く奴らには思えないけど」
さらり、と毒を吐いた主膳に満尋は乾いた笑いを返す。まあ、トラップ云々もゲームとか漫画の話だ。本気で言ったわけじゃない。もう出るか、と主膳と二人来た道を引き返し、外で待っていた者たちに合流して中の様子を話して聞かせた。
「うむ、もうここは使わないかもしれないな。鵟衆が調べていることに気付いたのかもしれない。今日は一旦帰って、指示を仰ごう」
孫太夫の言うことに賛成し、赤みの増した山中を急いで明鵠寺へと戻る。途中、あの名も知らぬ女たちの骸の前を通った。十壱だけは彼女たちの前で、短く手を合わせ拝んでいたが、他の者は軽く見遣るだけでそのまま素通りして行った。その後を視界に入れないように早足で駆け抜けると、引いたはずの汗と気持ちの悪さがどっと戻ってきた。皆は顔色の優れない満尋を、気にかけつつ見ない振りをしてくれる。満尋はそれをありがたいと思いながら、宇木衛門の前に立つまで終始無言でいた。