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更待月の陰 1

 満尋は、今日も宇木衛門に散々扱かれた重たい体を引きずって、食堂の裏口から厨に入って行った。今は夜五つ。日のあるうちは、衆徒たちが当番制で飯を作り賑わう厨も、今は誰にも利用されることなく、辺りはひっそりと静まり返っている。器用に高く積み上げられた、大量の皿や盆に触れないように気をつけて、奥の竈の方へ移動した。火を点けた灯明皿を竈の上に置いて、甕の蓋を開けると、中には井戸の水がたっぷり張られていた。

 ここへ来たのは、昨日伊月に話した実験をするためだ。伊月はいつもと同じ場所、自分は池を離れてここから『影映り』をする。それで、どうなるのか調べるのだ。一度目は桶の水に映ったのだから、甕の中の水でも大丈夫だろう。満尋は暗い水に向かって呼びかけた。

「おい、誰かいるか? 伊月?」

 しかし、水面はゆらりともしない。何度か呼びかけながら、息を吹きかけてみたり、指を突っ込んでみたりしたが変化は起きず、伊月の影は映らなかった。

「駄目か。……場所を変えてみるか」

 それから、満尋は思いつく限りの水場を訪れた。井戸、裏山から流れてくる小川、はたまた風呂場まで。しかし、どの場所でも『影映り』の兆候は一向に表れず、最後の井戸を試し終えてお座り岩に腰を下ろした。今からいつもの場所で『影映り』をしてみようか。そう考えていたら、じじ、と皿の火が大きく揺らめき、明かりが一気に小さくなった。皿の中にたっぷりと入れてきた魚油が、すっかり無くなっている。これは、一時間半から二時間は経っている。両手を後ろについて、流石にもう待っていないだろうな、と諦めると僅かな火を頼りに部屋へ戻った。明日はとうとう初仕事だ。昼からなので午前中は自由なのだが、夜更かしするほど胆は大きくない。二人を起こさないように、細心の注意を払って布団に入った。


 昼九つの鐘が鳴る。少し早めの昼食を町で済ませた満尋たちは、町の西側の街道に集まっていた。集まったのは九人。皆ほぼ同じ時期に入った新入りだ。

「ひぃ、ふぅ、みぃっと。……よし、全員いるな」

 九人の中では一番利発な孫太夫が場を仕切る。八弥丸より一つ年下の彼は、この中で二番目に年長だ。八弥丸はリーダータイプではないし、まとめるのは得意ではないと本人が言っていたので、孫太夫がまとめ役を引き受けたのだ。彼は皆をゆっくりと見渡すと、緊張した面持ちで口を開いた。

「頭から頂いた仕事は、私たちでこの辺りに出没する賊を退治することだ。奴らは、最近この街道を通る商人や旅人を襲っている。ここは真田(しんた)町と隣の太木町、仲主(なかす)村が繋がる重要な街道だ。心して掛かろう」

 孫太夫はきりっとした太い眉毛を真一文字にしてそう言った。「おう」と皆が頷くと、少し緊張が解れたのか表情を緩め、荷物の中から褐色の帯を差し出した。

「なんだぃ? それ」

 満尋と同い年だという主膳(しゅぜん)が尋ねた。開いているのか閉じているのか、いまいち良く分からない目が、何に使うんだと訴えている。

「うわっ、お前起きてたのか」

「酷いなぁ、勘吉さん。貴方だって珍しく静かだったじゃないですか。てっきり偽者が紛れ込んだのかと思いましたよ?」

 主膳の隣にいた勘吉が大げさに驚いてみせると、主膳は心外だとばかりに眉をひそめた。しかし、勘吉が驚いたのも分かるのだ。彼は黙っていると本当に寝ているように見える。

「ん? ただの帯じゃん。これホントにどうすんの?」

 二之助の隣にいた新左衛門が、褐色の帯を持ちひらひらと振っている。「あっ」と孫太夫が手の帯を確認して、いつのまに、と呟いた。まだ大人になりきっていない、細い体をした新左衛門は、くく、と笑って「おいら()るの得意だし、朝飯前。あ、もう昼餉が済んでるから夕飯前?」と軽口をたたいた。何言っているんだ、と周りが笑い出すので満尋が、

「で、本当にどうするんだ。それは」

と、口を挟んだ。話を進めてくれ。

「こほん。これは鵟衆の証、だそうだ。袴の上から巻いてくれ。今後も仕事の時はこれを巻くように」

 孫太夫は、新左衛門以外の全員に帯を渡して回る。皆言われたとおりに袴の上から腰に巻きつけると、一同妙な一体感が生まれた。

「なるほど、確かにこれは鵟みたいですねぇ」

 腹の帯を撫でてしみじみと十壱が言った。どういう意味だ、と聞いてみると、褐色の帯が鳥の鵟を思わせるのだそうだ。

「見たことねーの? 田んぼの上とか飛んでんぜ。鳶に似てるけど、腹にこんな感じで帯模様があるんだ」

 二之助が腹の上で手を動かし、帯を示すジェスチャーをする。

「へぇ、それで鵟衆か。面白いな」

「おれも今知った。この帯からだったんだな」

 生憎、本物の鵟という鳥を見たことは無いが、鳶に似ているなら猛禽類の一種だろう。この辺りは一面田んぼだから、空に注意していれば見つけられるかもしれない。

 すると、ぱんぱんと二拍手の鳴る音がして、孫太夫が皆の注意を自分に戻した。そろそろ出発のようだ。

 満尋の腰には、初めて持つ本物の刀が差してある。宇木衛門は、けして稽古中は本物を使わせてくれなかった。ただ、抜き差しの仕方だけ教えてもらう時に、ほんの少しだけ持たせてくれた程度だ。勘吉などに聞いてもそれは同じらしく、八弥丸のように始めから剣術を身に付けていた者意外は、皆真剣を差すのは初めてのようだった。

 歩き出す皆の後ろで、満尋はそっと左手で柄の頭を撫でた。そこから、冷やりとした温度が手に伝わって、ごくりと唾を飲む。

(これが、人を殺す道具……)

 以前、自分の首筋に宇木衛門が当てた鋭い刃。あの時の冷たさを思い出して体が震える。満尋は、きっと自分はこれを抜けないだろうと感じていた。


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