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寄る居待月 3

 立膝をついたままうつらうつらとしていると、池の水面が揺らめいた。昨日も見た『影映り』の兆候だ。夜五つを少し過ぎた頃だろう。八時くらいだろうか。「こんばんは」と現れた伊月にこちらも「こんばんは」と返した。

「さっそくだけど、国のこととか聞いてきたよ」

 ほら、やっぱり。伊月が予想通りに話を持ってきたので、思わず口元が緩んだ。本当に素直な子だ。こんな子がよくこの世界でやっていけたな、と思う。

「聞かせてくれ」

「えっと、まず私のいるところは『わくれ』っていう国」

 『別暮』。つまり、同じ国にいるということか。すると彼女は「でもね」と話を続けた。

「満尋の所と漢字が違うの。私の国は、山に支えるっていう字と、呉服とかの呉の字で『歧呉』っていうの。それで、満尋の国は無いって言われた」

 同じ音でも漢字が違う、か。確かに自分も主だった国は調べてみたが、そのような国は無かった。ふむ、と手を唇にあてて考えるが、これだけでは何も分からない。

「それで、他には?」

「領主の名前は『やました きよひろ よしたか』」

 出た。ここでも同じ音の名前。たぶん、これも漢字が違うとかそんな感じだろう。満尋たちは彼女のいる所を『月夜里(やました)』と呼び、領主の家名が『やました』。伊月は昨日こちらの世界を『かすかべ』か、と聞いてきたが、こちらも領主の家名が『春日部』である。偶然と片付けるには出来過ぎている様な気がする。

「最後に、今は天輝四年の八月十八日だよ」

 こちらも八月十八日なのは同じだが、元号は元呈五年だ。これは違うようだなと、自分の思考に耽っていると、水面の向こうの伊月が不安そうにこちらを見つめていた。

「満尋は普段何をしてるの?」

 おそるおそる、といった様子で伊月は尋ねる。少しばかり自分の世界に入りすぎてしまったようだ。向こうにばかり話させるのは悪い。

「俺は鵟衆っていうところに入れてもらってる。傭兵集団っていったら分かるか? そんな感じだ」

「危なくないの?」

 心配そうに伊月が言う。それはまだ分からない。なにしろ稽古しかしてないのだから。でも、何れは戦に駆り出されるようになるだろう。宇木衛門が鵟衆を惣として強くしたいのなら。とりあえず「今のところは」と答えるしかない。

「まだ、仕事はもらってないけど。今は剣術や馬術……の基本を教えてもらってる」

 馬術か……。馬で思い出すのは勘吉しかいない。もう、あんな適当な指導も突発レースもごめんだ。あれからも、馬術では彼のめちゃくちゃな行動に振り回されているのだ。ついこの間のことを思い出していたら、伊月がなにやら慌てて話題を変えてきた。

「わ、私はね、こっちに来て扇子屋さんに拾ってもらったんだ。売るだけじゃなくて、最後の仕上げもしてるんだよ」

 そういうと伊月は扇子作りの話や、そこでお世話になっている人たちのことを話し出した。こちらは男ばかりでほとんど明鵠寺を離れないから、職人や町の人たちの話は新鮮だ。

「そこの息子さんね、まだ十歳なんだけどすごく大人びてるの。絶対会ったら満尋もびっくりするから、しっかりしてて。でも、私妹みたいに思われてて……」

 年上の威厳が、と落ち込む伊月には思わずははっと笑いが零れた。伊月じゃ、まず年上の威厳なんてものは出せないだろう。だいたい、二十歳まで子どもとして扱われる現代人と、幼い頃から親の仕事を手伝い、十五にはほとんど元服するこちらの人間とではしっかり度は違うに決まっている。そう言えば、「それはわかってるけど……悔しいじゃん!」と伊月は口を尖らせた。

 他にも続く伊月の話に満尋は自然と微笑んでいた。

「伊月は、いい人たちに出会えて良かったな」

 心からそう思う。自分はここの生活に来るまでいろいろあった。高校生という自分を手放して、物を盗んで、人から追われて毎日を過ごした。いい人になんて出会わなかった。

 伊月は「うん」と笑顔で頷くと、「満尋もそうでしょう?」と尋ねてきた。その言葉を聞いて、満尋は自分の笑顔が凍りついたのを感じた。

 きっと彼女はすぐにその「扇子屋」に世話になれたのだろう。あんな地獄のような日々は知らないのだ。満尋が「そうじゃない」とは思ってもいないのだろう。でも、それで良かったとも思う。正直、嫉ましくはある。羨ましい。自分もそうだったらどんなに良かったか。でも、「そうじゃない」自分はここで新しい生活を手に入れることができた。辛いだけの日々は、あの日宇木衛門に遇った時に終わったのだ。だから、伊月が自分はすぐに鵟衆に世話になったのだと思っているのなら、それでいいと思う。自分がどんな目に遭ってきたかなんて、言う必要はないのだ。

 この女の子が酷い目に遭わなくて、本当に良かった。

「鵟衆の人たちは違うの?」

 満尋の表情が変わったのを、伊月は鵟衆の人たちが原因と勘違いしたようだ。それは違う。彼らにはとても救われているのだ。

「鵟衆の人達は、本当にいい人ばかりだ。あの人達がいるから今の俺がいる、と思う。男ばっかりだし、莫迦で変な奴も多いけど」

「……そっか」

 そう言うと伊月は安心したようだった。それから会話が途切れてしまう。その隙間を通るように風が吹いて、茫茫に伸びた草が満尋の腕や足をくすぐった。もし、自分がクラスのムードメーカーみたいに話し上手であれば、上手く話を繋げる事ができただろうに。すると、伊月が新しい話を持ち出してきた。少々無理やりな話題転換にも渡りに舟と乗っかれば、彼女は次第に嬉しそうに日常の話を始めた。そういえば、昨日から話の切欠はいつも彼女からくれる気がする。

 ほとんど聞き役にまわっていると、彼女を映している水面が少し暗くなった。それに気付いた伊月は、あ、と後ろの方を見る。明かりか何かを置いていたのだろう。どこで『影映り』をしているのか知らないが、あまり遅くまで外にいさせるのは危険だ。

「もうそろそろ寝た方がいいな」

と言うと、とても残念そうにしたのを内心嬉しく思いながら、「ほら、お開きにするぞ」と促した。

「明日も『影映り』できるか? ちょっと実験したい」

 少し気になることがある。昨日今日と同じ場所で『影映り』をしたが、はたして場所が変わっても同じように伊月と話せるのか。

「明日は俺が別の場所から『影映り』をしてみる。ただ、上手くいくかは分からないから、明後日も同じ時間に会おう。その時は今居る所からするから、伊月もそうしてくれ」

「わかった」

「よし。じゃぁ、また明日。……上手くいけばな」

 小さくそう付け足せば、伊月はふふふ、と笑った。

「うん、またね。おやすみなさい」

「……おやすみ」

 今日は伊月にばかり話させてしまった。ころころ変わる表情と語る話が面白くて、つい聞き役になりっぱなしだったのだ。明日はこちらも何か話題を用意しておこうと心に決めて、『影映り』を終わらせるべく水面に触れた。


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