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彼のプロローグ

 ザーザーと激しい雨がもう二日も降り続いている。空はどんよりとした重たい雲がかかり、目の前は真っ白とも真っ黒とも言えない曖昧なグレーで煙っていた。激しく打ち付ける雨音が蹲る少年の聴覚を支配している。おかげで、こんなに雨音がうるさいのに彼は静寂に包まれていた。

 少年はほとんど崩れかけている空き家の中にいた。戸口の近くで膝を立てて座り、じっと動かない。フーッフーッと息を殺して外の様子を伺っていた。きらっと反射した緑の眼鏡が鋭く光る。ぎらぎらとした荒々しい感情を押し殺すその姿は、まさに手負いの獣のようだった。彼の隠れるぼろい空き家は、天井の板が所々腐り落ちており、雨漏りというのがおこがましいほどの水が入ってくる。しかし、制服の紺のズボンもシャツも濡れて全身に張り付いていれば、そんなことは微塵も気にならなかった。

 外の気配を探りながら、少年はこの半月のことを思い出していた。


 突然だったのだ。本当に。あっという間に自分の取り巻く景色が変わった。歴史の資料集の中で見た、中世の日本のような町並みに放り出されたのだ。持っているのはジャージの入ったスポーツバッグだけ。周りの人間はまるで映画村から来たような、時代錯誤な奴等でちっとも話は通じなかった。言葉は同じ日本語なのに、会話ができない。部活帰りの少年を彼らは化け物が現れたと言って大騒ぎを始めたのだ。その後は一対多勢の鬼ごっこだ。鎌やら鍬やら、物騒なものを掲げられながら鬼の形相で追いかけられる。どっちが化け物だと思いながら、見慣れない土と木でできた町を、右に左に逃げ回り、くたくたになったところで、老夫婦に匿われた。彼らは、親切に寝床と質素な食事を用意してくれた。疲れきっていたので、明日このわけの分からない事情を話そうと眠りについたが結局それは叶わなかった。

 ふと物音に眼が覚めると誰かが近寄る気配がする。不審に思って寝たふりのまま様子を見れば、丁度老夫婦が自分に向かって包丁を振り下ろすところだった。間一髪、身体を横に捻りそれをよけると、眼鏡だけ掴んで身一つで外に飛び出した。真っ暗闇の中を必死に駆け抜け、どこに向かっているのかもわからないまま一晩中走り続けた。

 それからは地獄の日々である。

 今まではどこにでもいる極普通の高校生だったのに、ここでは近寄るのも怖しい化け物だった。新しい集落へ行っても、そんな自分にまともに取り合ってくれる人間はどこにもおらず、ただ、集落の隅のほうでじっとしている他なかった。

 そして、問題だったのが食べ物の確保である。荷物も財布もあの老夫婦の家に置いてきてしまったし、どちらにせよ自分の持っていたお金が使えるとは思えなかった。彼らは皆穴の開いた丸い銭で売買をしている。近くで見たこと無いのでいまいち判断つかないが、あれは銅銭というやつではないだろうか。現代の金も、この世界の金もないのでは買い物で食い物を買うことはできない。しょうがないので水とその辺の野草で我慢することにした。しかし、現代っ子に食べられるものと毒草とを見分けられるわけが無い。すぐにはずれを引いて、三日三晩ひどい腹痛に苦しんだ。その時に見た母親に看病される夢は、泣いてしまうほど温かくて優しい悪夢だった。


 この半月でいつも思うのは、何故自分がこんな目に遭わなければならないのかだ。周りから奇異と怖れの目で見られた時。半日近く追いまわされた時。老夫婦に殺されそうになった時。毒草にあたって死ぬ思いをした時。飢えに耐えられず、人様のものに手を出してしまった時。いつも、いつもその言葉が頭の中で激しく暴れだす。今だってそうだ。町中の人間にまた追いかけられている。彼らは本気で自分を追い出しにかかったらしい。何故、何故と思いながら、ぐっと呻いて脇腹を押さえた。汚れた白いシャツに血が滲んでいる。いくつか物を投げられたから何かが当たっていたのだろう。気が付かなかった。しかし、なんてことはない。これも日常だ。これが日常だ。

 もう帰りたいなんて思わなかった。帰れなくてもいいから、もっとまっとうな生活がしたかった。


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