「スキゾかツリーか、それが問題だ」
【場面:渋谷の屋上カフェ。薄曇りの空。ひとりはいつものように壁際に寄って座っている。千束はソファで横になりながらアイスを食べている。須賀と夏美は仕事の合間、ドリンク片手に参加している。】
千束「さてさて、本日の哲学テーマは~……『欲望ってさ、抑えるべき?解放すべき?』だって!」
ひとり(膝を抱えて)「え……え、えっ……そ、それはつまり……何かを我慢するか……爆発するかってこと……?」
夏美「だいたい、社会って“我慢”で成り立ってるでしょ。電車の中で叫ばないのも、欲望の抑圧……的な?」
須賀「ま、でも抑圧しすぎたら、人間壊れるよな。実際、心療内科なんかじゃ、“いい子”でい続けて潰れる人、山ほど見てきた」
千束「ドゥルーズとガタリって人たちは、そんな“欲望の抑圧”を**“パラノイア”**って呼んだんだよ。つまり“偏執的社会順応”。」
ひとり「パ、パラノイア……それって、すごく病的な響きが……」
千束「でも、彼らが推したのはその逆、**“スキゾフレニア”**の方。“統合失調症”って意味じゃなくて、欲望を分節的に自由に広げて生きる存在って意味でさ。」
須賀「要するに、『型通りの人生』より、『流されながら自分なりに生きる』って方向の価値観、だよな。」
夏美「そうそう。“世界一周しながらその日暮らし!”とか、ああいう、流動的でノマド(遊牧民)的な生き方を肯定してるわけよ」
ひとり「でも……それって、ちゃんとした“生き方”って言えるのかな……?」
千束「その“ちゃんと”ってのが、問題なんだって。みんな『ツリー』型で考えすぎなんだよ」
夏美「ツリー?」
千束「ほら、中心があって、根っこから幹が伸びて、枝が出る。上司がいて課長がいて、部下がいて~みたいな“階層型”構造の象徴。西洋的な“正しさ”ってのは、だいたいこのパターン」
須賀「ああ、なんか“会社組織”っぽいな……」
千束「そうそう。でもドゥルーズたちはその逆、**『リゾーム(根茎)』**型の生き方を提案してんの。地下茎みたいに、中心なく、どこからでも伸びて、どこにでも繋がる。繋がり重視、自由自在!」
ひとり「根っこも幹も……いらない……? それって……ど、どこに向かって生きればいいかも、わからなくならない……?」
千束「うん、でもそれでいいんだよ。むしろ“どこにも向かわなくていい”ってのが肝。欲望が行きたいところに行って、別の欲望と絡み合って、また別の形を作る。生き方を“構築”じゃなく、“生成”してくの」
須賀「たしかに、現代社会の“正解”って、全部“誰かが作った正しさ”だよな。そろそろ、そこから脱線してみてもいい時代かもしれない」
夏美「まあ、いきなり“脱コード化”とか“スキゾ”とか言われると構えるけど、でも……**“ちゃんと”じゃなくて“自分らしく”**って感じよね。リゾーム的に、ひとり一人が自由に伸びる」
ひとり(小声で)「私のギター……ぜんぜん“ちゃんと”してないし……でも……なんか……自由ではある、かも……」
千束(ニッと笑って)「それでいいのだ! “コード”がなくても音楽はできる。世界も同じ。欲望は、鳴らしたもん勝ち!」
【ラスト:屋上に風が吹き、ひとりがギターを弾き始める。メロディは不安定だが、どこか希望を含んでいる。】