剃刀のエッジと沈黙する神
(舞台:喫茶リコリコ。テーブルに広げられたノートと哲学の教科書)
ぼっち(うつむきながら)
あの…その……「オッカムの剃刀」って……なんか怖そうな名前なんですけど……。切られるの……?
千里(明るく)
えー? ぜんっぜん怖くないよ!むしろ「無駄をスパッと切り落とす」っていう、超クールな思考ツールだよ?
たとえば、説明するときに「意味わかんない仮定」って邪魔でしょ?
「神がなぜか山を作った」とかさ。
夏美(ひとりの隣で頷く)
そうそう。私も最初「神の存在って証明できるんじゃない?」って思ってたけど、
オッカムは「そんなの証明できないし、そもそも学問で探ろうとするな」ってバッサリ。潔いよねー。
圭介(ノートを閉じながら)
要するに、
“それ、具体的に説明できんのか?”
って話だ。
目の前にある現象を、あくまで「観察」と「経験」で理解しろ、ってのがオッカムの立場。
神だの魂だの言う前に、まず空見て、風感じろってことだな。
ぼっち(小声で)
…でも、神とか…存在するかもしれないし……。
そういうの、考えちゃいけないのかな…。
千里(優しく)
考えてもいいんだよ? ただし、「信仰」と「学問」は分けて考えようってこと。
神がいるかどうかを「物理学のレポート」に書いてもしょうがないでしょ?
「神を探したいなら、心で。世界を探したいなら、目で。」
夏美(さっと図を描く)
ほら、これが有名な“ピラミッド”構造ね!
▲ 神学(信じる)←知覚できない
|
|(剃刀でバッサリ切る)
▼ 哲学(観察・検証できる)
私たちはこの下の方、「哲学」のところで地に足つけて考える。
それが科学や合理主義のはじまりになったってわけ。
圭介(コーヒーを啜りながら)
スコラ哲学ってのは、中世カトリックが作った“神ありきのロジック”だった。
オッカムはそれを見て、「おい、それ余計じゃないか?」って“剃刀”で削ったんだ。
“最小限の前提で世界を説明しよう”っていう発想だな。
ある意味、それが科学の夜明けなんだよ。
ぼっち(ぽつりと)
…“存在”とか“普遍”とか、そういう言葉って、たしかに…どこか、ぼやけてて……
私、ずっと言葉に追いつけない感覚あったんです。
……でも、そんなの剃っちゃっていいんですね……?
千里
そういうこと! “ぼやけ”はスパッとカット。
「わからないまま信じる」か、「確かめながら知る」か。
オッカムは後者を選んだわけ!
夏美
結果として、「哲学は神学の侍女」から卒業して、
観察と実験で世界を読み解く“科学”の母になったのよ。
いわば、“理性が自立した瞬間”。
ぼっち(うつむいて微笑む)
…わたしも……言葉の迷宮に迷わずに、
ちゃんと、見えることから考えていきたいな……。
圭介
それが一番“地に足のついた哲学”ってもんさ。
【幕】