神はいるのか?――存在という名の本質
(舞台:渋谷のカフェ・夜。テーブルを囲む四人。話題は、哲学書『神の存在証明』から始まる)
夏美
「でさ、アクィナスってさ、世界を創った“最初の原因”が神だって言うわけよ。ゼロから世界が生まれるには、なんか“存在そのもの”が必要だって。つまり神は“存在することが本質”。」
ひとり(ぼそっ)
「…私って、存在してるんですかね。ギターも下手で、陰キャで、…むしろ存在が本質じゃない気が…」
千束
「存在してるよ〜。少なくともこのチーズケーキを3分で半分食べたのはひとりちゃんなんだから!」
圭介(腕を組んで)
「アクィナスの理屈はこうだ。世界のあらゆる現象は“原因と結果”でできてる。でも全部をたどっていったときに、最初の原因が必要だと。だから“最初の動かす者”が神だってわけ。」
夏美
「でもそれって“神の肩代わり”って言われがちじゃない? “わからないことの最後に神”って置くのは、思考停止だって批判もあるよね。」
ひとり(おずおず)
「…“存在”と“本質”が一体になってるって…すごいですよね。私なんて…“存在”が不安定すぎて…“本質”はコミュ障…」
千束(軽やかに)
「でも、神って“必ず存在してないと矛盾する”って主張でしょ? 存在しないと世界が始まらないから、存在が“本質”に含まれてる…。人間は“たまたま存在してる”けど、神は“必然的に存在してる”。」
圭介
「この考えは“存在論的証明”じゃなくて、“宇宙論的証明”に近い。アリストテレスの影響だな。すべての動きには“動かす者”が必要。それが神だと。」
夏美
「でも、それを“全知全能”の神って言い切るのは、やっぱり宗教的前提があるでしょ?」
千束(目を細めて)
「でもね、それって実はすごくロマンがある。人間は“いつか死ぬ”けど、“必ずあるもの”があるって考えると、ちょっと安心しない?」
ひとり(ポツリと)
「…“存在することが本質”って、憧れます。私も…そんな風になれたら…怖がらずに生きられるのかな。」
圭介(少し静かに)
「まあ、神を証明するってのは、結局“人間がどこまで知りたいか”の問題だ。答えが出るかは別としてな。」
夏美
「その不完全さが哲学の魅力なのよね。完全じゃない人間が“完全なもの”を想像しようとすること、それ自体が希望ってことかも。」
千束(ニッと笑って)
「うん。つまり、“神は必要”って思うこと自体が、ある種の“魂の平静”なんじゃない? エピクロスじゃないけどさ。」
ひとり(そっと呟く)
「“私が存在するとき、死は存在しない”…“神が存在するとき、不安は存在しない”…そんな気がしてきました。」
(照明が落ちて、夜の渋谷の雑踏音だけが残る。神の存在についての問いは続く。)