第2章:過去からの配達人
健太の足は、まるで磁石に引き寄せられるかのように、その古びた郵便局の扉へと向かっていた。錆びついたドアノブに手をかける。冷たい金属の感触が、指先にじわりと伝わった。きしみながら開いた扉の向こうは、外の暗闇とはまるで別世界だった。
そこは、時間が止まったかのような空間だった。薄暗い電球が、ノスタルジックなオレンジ色の光を投げかけている。壁には、色褪せた世界地図が貼られ、使い込まれた木製のカウンターが、どこか懐かしい匂いを放っていた。カビと埃、そして微かにインクの匂いが混じり合う、不思議な空気。ここだけが、まるで時代に取り残された箱庭のようだった。
カウンターの向こうには、一人の老人が座っていた。白髪交じりの髪はきっちりと七三に分けられ、古びた制服は、まるで彼自身の肌の一部のように馴染んでいた。鼻の先には、レンズの分厚い丸眼鏡が乗っている。しかし、その奥の瞳は、健太の疲弊した心を見透かすかのように、深く、穏やかだった。彼は、健太に何も言わず、ただ静かに、ゆっくりと顔を上げた。その手は大きく節くれだっており、長い年月を経てきた証のように見えた。
「あの…」健太はかろうじて声を絞り出した。自分の声が、この静寂の中で妙に響いて聞こえる。「ここは、一体…」
老局長は、ゆっくりと瞬きをしただけだった。言葉は発しない。ただ、手招きをするように、人差し指を少しだけ曲げた。促されるまま、健太はカウンターへと近づく。そこには、使い古された革張りの台帳が置かれていた。開かれたページには、達筆な文字で「リコレクション・ポスト ―忘れ物受付―」と書かれている。健太は、自分の心臓がドクン、と大きく脈打つのを感じた。忘れ物?一体、何を?
老局長は、健太の戸惑いを察したかのように、静かにペンを指し示した。その無言の圧力に、健太は思わず台帳に目を落とす。そこには、数々の記述があった。日付、氏名、そして、奇妙な「忘れ物」の項目。
『2023年7月12日 鈴木恵子 忘れ物:娘との約束の歌』
『2024年1月5日 田中一郎 忘れ物:亡き妻への感謝の言葉』
『2024年10月20日 佐藤健太 忘れ物:絵を描く情熱』
最後の行に、自分の名前を見つけた時、健太の心臓は激しく跳ね上がった。全身に電撃が走ったような衝撃。なぜ、ここに自分の名前が?そして、忘れ物が「絵を描く情熱」だと?彼は、混乱と困惑で、老局長を見つめ返した。老局長は、変わらず静かに、しかしどこか優しく、健太の目を見返している。
次の瞬間、老局長は、カウンターの下から一つの茶封筒を取り出した。まるで、健太がここに来ることを、最初から知っていたかのように。封筒は、使い込まれて角が丸くなっており、日付も差出人の名前も書かれていなかった。ただ、鉛筆で殴り書きされたかのような文字で、「健太へ」とだけ書かれている。老局長は、その封筒を健太の目の前に、そっと差し出した。その動作は、まるで大切なものを手渡す儀式のようだった。
健太は、震える手で封筒を受け取った。紙のざらついた感触が、なぜか胸の奥を締め付ける。まるで、遠い昔の記憶の断片が、指先から滑り込んできたかのような錯覚に陥った。この封筒が、彼の、そして彼の人生に、一体何をもたらすというのだろうか。健太は、まだその答えを知る由もなかった。