あやかし
あの爺さんが、わざわざ俺に会いに?
何で?
「座敷に上がってもおてる。暑いとこ、えらい、歩いたらしいで。
今ビール飲んで、一息ついてはる。セイちゃん、慌てて来んでもええで」
酒屋の婆さんは上機嫌。
電話の向こうは、昔なじみが和やかに飲んでいる雰囲気。
感じの悪い訪問では無いのかも知れない。
歩いて行く事にした。
急げば30分で着く。
車で行ったらビールを飲めないと思って。
森を抜けるのは容易い。
が、県道に出てから少々後悔。
アスファルトの道は、こんなにも暑いのかと驚く。
途中上着を脱ぎ、汗だくで到着。
楠本酒店は県道に面している。
側にバス停。
90才近い店主が1人で商っている。
(道の先にコンビニがあるので客は少ない)
酒の他に飲料水と食料品も置いている。
以前は食堂(ぼたん鍋)もしており
店の奥には座敷がある。
店主は、聖の記憶では外見に変化はない。
丸顔でまるっこい体格の、陽気な婆さんだ。
首に憑いた幼児の霊(頭)も、ずっと変わりない。
川で死んだ長男らしかった。
店先の七夕の笹に目が行く。
折り紙で作った船やらスイカやら飾りが付いている。
もちろん短冊も。
「セイちゃん、ちょうどええ、それ明日な、川に流してや」
真っ先に、言われ
「うん。いいよ」
深く考えずに答えていた。
「わざわざ足を運んでもうて……、申し訳ないコトです」
あぐらをかいていたリュウゾウは膝を正し、頭を下げる。
麻の開襟シャツ、麻のジャケットは鶯色。
ズボンは黒。
小太りで赤ら顔の、あの老人に違いないが、
服装で雰囲気が違って見える。
威圧感は隠され、
裕福で温厚そうな老紳士に見えた。
「こちらこそ。こんな山奥まで来て頂いて……私になにか、ご用がおありなんですね?」
聖はテーブルを挟んで、斜め向かいに腰を下ろした。
「まあ、そうです。皆で相談してな、剥製屋はんに言うとくのがええと。……洗いざらい……ワシが代表で来ましてね……まさか、リサイクル屋のにいちゃんが……」
そこまで喋って口ごもる。
「リサイクル屋?」
誰ソレ?
あ、薫か。
リサイクル業と、嘘を付いていたっけ。
「私の友人が……どうしました?」
「いや、それがね……」
まだ言い淀んでいる。
「セイちゃん、カオルが嘘ついてたんやてな」
婆さんが、聖のグラスと瓶ビールを運んできた。
「瘤仙人やったか、そのお人が、屋根の上で大往生しはったんやて。その場にな、カオルは仕事でおったんやろ。ほんで刑事やと、バレてるんやで」
うわ。
バレたんだ。
それで?
なんで嘘ついたか聞きに来たの?
「あ、あれは、その……」
今度は聖が口ごもった。
「『お言葉』通りに、ずっとやってきましたんや。アレはね、さすがにエゲツナいと、頭抱えましたけどね……最後の『お言葉』やろ、とね……なんとのう、逝きよるのはわかってましてん。鳥に始末させるとは、知らんかったけど」
リュウゾウはポツリポツリと語る。
聖は話が見えない。
「セイちゃん、簡単な話やで」
婆さんが話に入ってきた。
「瘤仙人な、ちょっと前に、瘤がポロリと取れたんやて。
それはな、代替わりの徴やってん。
取れた瘤をな、跡継ぎに食べさせたんやて。
カオルちゃうで。あんなヤンチャと違う。
たまたま一緒におったから、口に入っただけや。
跡継ぎはな、クマちゃんやねん。
全部、瘤仙人の『お言葉』通りにしたんやて。
けどな、刑事に喰わせたと知ってな、
食品衛生法に違反してるからな、気にしてはるんや」
へ?……今、<後継ぎ>って言った?
瘤が取れたのは、代替わりの徴って、言った?
それって……
跡継=鈴森さん=次代瘤仙人?
じゃあ山口正は鈴森さんに<瘤>を沢山食べさせるために、追いかけて届けに来たの?
……鈴森さん、どうにかなっちゃうのか?
聖は狼狽えた。
リュウゾウの方は、役目は終わったとばかり、緊張が解けた様子。
「剥製屋はん、これ持ってきましてん」
鞄からB5サイズの紙を3枚取り出す。
ノートから切り取った紙に見える。
「見なはれ」
畳の上に紙を並べる。
それぞれ二文字ずつ書いてある。
<授給><煮置><継者>
(見たんですよ。老人がゆっくり左手を上げるのを……
それが合図のように、
山口ミヨがノートとペンを持って行った。
老人が何かを書き終えるまで、ミヨは側で待った。
頭を下げて手を合わせて……拝むような姿勢で)
聖は、鈴森が話していたのを思い出した。
瘤仙人が書いたのか?
とても綺麗。
呆けた老人の字とは思えない。
リュウゾウは
薫が警察官と知って
(人間の瘤肉を食べさせたのが)罪に問われるかもしれないと、
先手を打って自分に<自首>に来た。
指示したのは瘤仙人だという証拠を携えて。
「あの……瘤仙人さんは、いつも漢字2文字、書いてたのですか?」
リュウゾウのグラスにビールを注ぎながら聞いてみた。
「……だいたい、そうやね。だいたい、あこ(山口食堂)におるからな。お言葉を期待して、困り事を喋るとな……気が向いたら書いてくれたんです」
「インコを剝製にしたのは『お言葉』ですか?」
「そうですな。剝製、と書いたんでな。神流剝製工房にせえと言うたんはワシです。昔ちょっと知ってたのを、思いだしてな」
どういう知り合いだったかは、語らない。
聖も本題に関係無いので聞きはしない。
「もしかして正さんのお父さんが亡くなった後、インコを飼ったのも、そうですか?」
「その通り。正は可哀想な子でなあ。あの父親はもっと早よ死んでも良かったくらい、難儀な男やった。しやからな首吊りよったんはええんや。けどな、たまたま正がな……」
正が学校から帰ってくると
瘤仙人が庭に立っていた。
顎を上げ、2階を仰ぎ見ている。
嫌な予感に慌てて2階へ上がった。
父親が梁に紐を掛け、首吊り寸前。
椅子の上に載り、輪に首を入れたところ。
正は止めようとして、自分も椅子に足を掛けた。
結果、椅子は揺れた。
反射的に、父親の身体にしがみついてしまった。
「事故やねんけどな。自分が殺してしまったとな、正はショックで口がきけんようになってな……」
(成る程、そういうコトだったんだ)
正の左手は、マユの疑いどおり、父親の手だった。
しかし殺意はない。悪い偶然が引き起こした事故だった。
「インコは、実際に慰めになったんですね。瘤仙人の指示は的確だったんですね」
予知能力があったのか?
「どやろ」
リュウゾウは首を傾げた。
その次に予想外の言葉。
「仙一兄は、鳥が好きやからな。インコは、よおけ、飼ってるしな」
「……センイチニイ?」
話の流れからすると、センイチニイは瘤仙人?
「セイちゃん、リュウゾウさんの親戚やねんて」
婆さんが横から補足。
「へ?……」
全くの想定外。
素性も住まいも謎の老人、では無かった。
「米田仙一、いいますねん。ワシの親父の従兄弟です。本家の『北の離れ』が住まいです。裏口からこっそり出入りしてますねん。しやから、村の若い人は素性を知りまへん。……母親は、本家の爺さんが、ボストンから連れ帰った白人です」
アメリカ人の母は、奈良の土地に馴染めなかった。
第二次世界大戦が始まると同時に、
息子を置いて母国に逃げ帰った。
「母親似やったんでな、『外人』いうて、えげつない虐めを受けたらしい」
不登校になり、
そのまま引きこもりになったという。
「何十年も、本家の敷地の中だけにおったんです。奥女中が母親替わりで、大切に育てられましてん。欲しがるモノは何でも与えてね」
耳は聞こえるのに口はきかない、白いモノしか口にしない。
幼少期より変わった子ではあった。
だが、嫌う者はなかった。
物静かで優しい性分。
そして、美しかった。
白い肌に端正な顔だち。
洋画に出てくる美少年のようだった。
継母も、母親違いの弟と妹も、疎んじてはいなかった。
「50過ぎたくらいに、瘤が出てきましてな。その頃から、出歩くようになりましてん。近場だけ、春と夏の期間限定やけど」
容貌と佇まいから、誰とはなしに<瘤仙人>と呼ぶようになった。
山口食堂が気に入って、立ち寄るのも日課になった。
米田家の現当主は、山口食堂に伯父の世話を依頼していた。
飲食代とは別に礼金も渡していたという。
「なるほどね……」
素性も生い立ちも、日々の暮らしも分かった。
……しかし、大事なエピソードが欠けている。
リュウゾウの話には<超能力>が出てこない。
「あの、瘤仙人は、人が死ぬ家の前に立っていたと、聞きましたけど……」
死を予言できたんでしょ?
「そうやね。……そんなことも、ありましたな」
「この家で人が死ぬって分かってたんですよね。いわゆる予知能力だ……瘤仙人は超能力者ですか?」
「ヨチノウリョク? チョウノウリョクシャ?」
リュウゾウはハハと笑う。
「剥製屋はん、面白いこと、言いはりますなあ」
「いや、その……だって、『お言葉』を紙に書いて貰ったと……」
「そんな、たいそうなモンやありまへん。『おみくじ』みたいなもんや」
「お、おみくじ?(なんだそれ)」
「『おみくじ』の文言に従うようなモンです。おもろい(おもしろい)『お言葉』はあっても、しんどい『お言葉』は無かったからね。『お言葉』の通りにしてきましてん」
インコを飼うのも剝製にするのも
猫剝製にするのも
瘤を煮込むのも
余所者に喰わせるのも
無理難題では、無かった。
もしや、ちょっとしたイベントだったのか?
瘤仙人が何か書き出すと、ワクワクするみたいな……
聖は、そうであって欲しくないと、思いながら聞いた。
瘤仙人の<お言葉>は神聖なモノだと感じていたから……。
「剥製屋はん、アレみやいなもんや。運動会の借り物競走、知ってはるやろ?
何が書いてあるか、ドキドキしましたやろ。あれと似たようなもんです。……書いてるとおりに、せなアカンと皆で盛り上がってな……瘤を食べさせて、しまいましてん」
何しに来たか思い出したかのように、膝を正し再び頭を下げた。
「もう謝らないで下さい。……忘れて下さい。僕も忘れます」
「……忘れるとは?」
「お話は確かに聞きました。聞いてすぐ忘れました。だから……瘤を食べた当人達には言いません」
「そ、そうでっか……」
リュウゾウは、ほっとした顔。
自分の責任は果たした。
剥製屋に正直に全て話した。
そのうえで、剥製屋は黙っていると判断した。
刑事に咎められる心配は消えた。
「おおきに。恩に着ます。……ちょうどええ、10分ほどでバスが来るよってに、おいとまさしてもらいます」
ゆっくりした動作で腰を上げ、(貸し切り代)と婆さんに万札一枚渡す。
婆さんも見送りにと、外へ出た。
「お気を付けて」
聖は座敷から声を掛けた。
そしてリュウゾウが置いて行った3枚の紙を手に取った。
間近で、見れば…… 完璧なMSゴシック体であった。
均等の筆圧、定規を当てたような直線。
「これを、フリーハンドで? 凄すぎる」
千回練習しても自分には無理。
いや、誰にだって不可能かも。
……瘤仙人は超能力者に違いない。
ところがリュウゾウは、ソレを知らない。
無害で容姿美しい変人と、語っていたではないか。
つまりは瘤を喰った後継者に、何かが起こるなんて思ってないのだ。
山口食堂の客達も同様なのだろう。
もう、瘤仙人の、真の力を知るすべがない。
瘤を喰った薫と鈴森がどうなるのか……。
聖はひしひしと恐怖を感じていた。
瘤仙人に、邪悪な気配は感じなかった。生気さえ感じなかった。
いまは、それも怖い。
……自分が見た、高身長白髪の、気配がない静かすぎる爺さん。
……あれは、<あやかし>だったかも。




