仙人だった
電話の後、1時間も経たぬ間に、
結月薫は工房に来た。
遊びに来たかのように
オートバイで軽装だった。
「現場、抜けてきたの?」
聖は冷えたビールで出迎える。
「今日は休みやで。天理市は俺の縄張りやないし」
B町の火事、あれも担当外と言う。
「同期が天理に居るねん。そいつが猫の剝製が出てきたと、連絡してきたんや。『また、お前の連れの剥製屋が絡んでるンちゃうんか』言うて」
「そんな言われ方、してるんだ」
聖は、ちょっとショック。
鈴森は顔を横向けてクスリと笑った。
「ベランダの焼死体より、今度のが、数倍グロかったけどな」
「……あの爺さんに間違い無いの?」
「うん。瘤取り爺さんやったで。消防員は『瘤仙人』と言うてたけど」
天理市A町、B町、C町辺りの有名人。
瘤仙人を知らぬ者はいないと。
推定年齢90代後半。
長身白髪。
春夏秋に姿を見る。
寒い時期には現れない。
常に清潔な作務衣。
身体も髪も風呂上がりのように清潔。
佇まい、身のこなしは無駄が無く静か。
いっさい喋らない。
しかし、住居、氏名、年齢は誰も知らない。
(長く生きて、あらゆる『欲』から解放された、口のきけない老人)
鈴森の洞察は的を得ていた。
(仙人か妖怪か知れない)
聖の初見も当たらずとも遠からず。
「実体は認知症の徘徊老人やろな。意味なく目的無く、ひたすら、そこら歩いてたらしい。B町の火事現場におった爺さんとな、同一人物やってん」
「え? ほんとに?」
聖は、<徘徊>は意外。
あんだけ高齢だと、少々ボケていて普通だけど
徘徊するほどの認知症?
静かに、ゆったり豆腐食べていた。
一カ所でじーっとしてそうだったけど?
「徘徊老人を『仙人』と呼んで、大切に扱うのは、あのあたりの風習なんですかね……」
鈴森は疑問を口に出した。
山口食堂では上客のような、もてなし、だったから。
「そうやないで。特別な力に与えられた称号や。徘徊老人が徘徊の足を止め、長く立ち尽くしている。すると『そこ』ではな、なんと誰かが、死ぬんやて」
消防隊員は、救急車で向かった先で<瘤仙人>の姿を見たことがあった。
偶然であろうが、病人は搬送中に心肺停止となった。
「人が死ぬ場所に前もっておるわけですか……それやったら『死に神』と呼ばれそうなもんやのに……死を運んで来るんやから」
鈴森は首を傾げる。
「しやろ。俺もおかしいと思って消防員と、第一発見者のオバチャンに聞いた。ほんならな、仙人は死を運ぶんやない、知らせに来てくれてると……話してくれてん」
……こんな事があった。
10年か、それ以上前。
雨台風が行き過ぎた後。
B山の麓。
木造の一軒家の前に、
早朝から、おおきな瘤のある老人が居た。
背筋を伸ばし立って家を見ている。
石像のように微動だにしない。
家の主は、青ざめた。
この老人を、知っていたのだ。
幼い頃より噂に聞き、
老母が風呂で倒れた日に、同じ立ち姿を見ていた。
……瘤仙人だ。
誰が死ぬのか?
自分か、
妻か、
7才の娘か?
妻も娘も、持病は無く健康そのもの。
今朝も、なんら普段と変わりない。
顔色良く食欲旺盛。
自分も身体にわずかな異変も感じていない。
死ぬのは病ではないのかも……。
家で何らかの災難に遭うのか?
地震?……火事かもしれない。
突然の<死の宣告>にパニック状態。
狼狽え、震えるばかり。
(なあアンタ、逃げてみよう。あの爺さん、どないするやろ)
妻に促され、親子3人車に乗り込んだ。
老人は立ち去る車を見なかった。
同じ場所に留まっていた。
数時間後、
ゴーオーッと音を立てて裏山が崩れた。
家は半壊。
逃げずにいたら無事では済まなかった。
「類似の事案が、過去にもあったんや。この家族のように命を救われた例がな。ほんで『仙人』と尊ばれるようになったんやな」
「じゃあ、あの老人の正体は、予知能力のある少々呆けた超高齢の爺さん、やったんですね」
予知能力、と鈴森は言った。
「予知能力があるかのような行動、やな。たまたまの『当たり』だけが誇張して広まったかもしれん」
カオルは、すんなり予知能力を認めない。
「真偽はともかく、あの辺の住民は予知能力を信じていた。そうするとB町の火事、長屋の住人は『瘤仙人』の姿見て逃げた可能性も出てきたな。焼死した婆さん、もしかしたら様子を見るためにベランダにおったかも」
近隣の慌ただしい気配に台所の窓から外の様子を見る。
背の高い白髪の瘤のある老人。
死人が出る家に現れると噂で聞いた。
それから?
通りを見渡せるベランダに向かったのでは?
鍋を火に掛けているのを忘れて……。
「予言に振り回されて注意散漫になり、結果、予言通りの死を呼び寄せたんかも。……爺さんが何を思って徘徊してたんか、何んで、あの場所で足を止めたんか、本人にしかわからんけどな。……なんで、あんな、けったいな死に方したんかも」
「カオル、事件では無いの?」
「そうや。自分で崩れかけた瓦屋根に上った。近所のオバチャンが見てた。危ないと、止めても聞かんかった」
廃寺の塀から屋根に上ろうとする姿を見た。
屋根の上で仰向けに寝転んだ。
今朝の事だ。
昼になっても降りて来ない。
日差しは強く気温は上昇。
熱中症になってしまうと何度も声を掛けた。
午後5時頃、一羽の若いカラスが現れ、突っつきだした。
大きな鳴き声で仲間を呼んでいる。
「現場は交番が近いねん。オバチャンは110番せんと、直接知らせに走った」
警察車輛が到着した時には十数羽のカラスが群がっていた。
内臓の一部を咥えて飛び去るのもいた。
「俺が見た時は、カラス以外の鳥もおったで。可愛いスズメちゃんも食べに来てた」
「いつ死んでも不思議で無い年で、わざわざ、なんでまた……」
鈴森は、独り言のように呟く。
「考えても分からんな。言葉を発せ無かったのは、脳出血の後遺症も考えられる。脳の働きが健常ではなかったかもしれん。それも解剖ではっきりするやろ。……おもろい瘤にも病名が付くやろな……『こぶとり爺さん』は『認知症あり、既往症顔面腫瘍、異常行動により事故死の超高齢者』になるんやろな」
薫は つまらなそう。
「身元もはっきりしますね。身なりが綺麗やったから世話する人がおるんでしょうな……家族と同居ですやろか?」
鈴森は<瘤仙人>の素性を推理し始めた。
「そう遠くから来てるとは思えないな。……山口さんや食堂の客が知ってる筈じゃないのかな。知ってるけど、知らないコトにしとくのが暗黙の了解、とか?」
聖の推理に、薫は
「うーん」
一声うなって目を閉じた。
そして
「なあ、この話やめよう。……ちょっとだけゲームしようや」
と<瘤仙人>の話を終わらせた。
聖は、薫は少々ダメージを受けていると気づいた。
ほのぼの系のゲームのはずが、驚きのバッドエンディング。
それも血なまぐさくて残酷、そんな感じ。
がっかりで、不快で、悲しい気分に違いない。
死んで間もない……もしかしたら完全には死んでいない人間を
鳥が、競って貪り食う光景も見てしまった。
かなりキツかっただろう。
「Ⅰ時間くらいゲームしてから、夜明けまで、ここで寝かせてもらいましょうか。……ホラー系は止めときましょう」
鈴森も薫の痛手を察したようだ。
謎の老人はもう、この世にいない。
もともと自分たちに全然関係ない人。
結局事件でもなかったのだし、
もう、話題にする必要も理由もないかも。
薫に、グロい光景を思い出させるだけ。
……この話は、終わりにしてもいいんだ。
聖は<瘤仙人>の死は、結末だと捉えた。
始まり、と
まだ知らなかった。




