鳥葬
「昼抜きやったんで、腹減ってまして。山口食堂に寄ってもいいかなと。車向けたんです」
鈴森は、偵察目的だけで行ったのではない。
「店に入った時は、客は誰も居ませんでした」
主の山口ミヨが愛想良く迎えた。
(まずはビールですやろか?)
「車と言うて、生姜焼き定食、頼みました。サービスやと豆腐が出てきました」
<謎の老人>も食べていた大きな豆腐。なぜかメニューにはない。
「まろやかで、それは美味い豆腐でした」
やがて生姜焼き定食が運ばれる。
「食べ終わる頃にはね、店には7人の客がおりました」
男が4人、女が3人、次々に入店。
いずれも常連風。
(あんた、ひとりもんか?)
(立派な身体やあ。柔道やってたんか? それともラグビーの選手やったんか?)
(仕事の帰りやろ。えらい早いなあ。にいさんは<偉いさん>やな。服がちっとも汚れてない)
鈴森のグレーの作業服は何時だって綺麗。
豚舎では作業用に着替えるから。
「質問攻めですか……前も色々聞かれたんですよね」
「はい。余所者の素性が気になるのは分かります。しかし度が過ぎています。それに……」
鈴森は言葉を探すように視線を上げる。
「まるでね……有名人に会えたような熱烈歓迎オーラです。何でか、わかりません」
「オーラ?……あ、アレですね」
常連客たちの<心の声>が聞こえたにちがいない。
鈴森が持っている<精神感応能力>が作動したのだ。
「カオルさんと行ったときも、過剰な歓迎ぶりではありました。田舎の人の無邪気な反応かなと、思いました」
笑顔の裏には、何の企みも無いと、感じ取っていた。
「今日も『邪悪な気配』は無かったんですね?」
「はい」
「表面は友好的。裏は、どこまでも友好的。過剰な歓迎ですか。……なのに尾行。鈴森さんが好きすぎてストーカー?……にしても、気味悪いですね」
「でしょう? 山口さん親子は、絶対悪人や無いと、思います。尚更尾行の理由が見当もつかない」
「例の爺さんも、悪いモノではないと思います?」
聖の頭に、一旦は忘れた<謎の老人>が再び出現。
尾行事件で、気になる存在に戻った。
マユが言うように無害な超高齢者なのか?
鈴森に確認したい。
「長く生きて、あらゆる『欲』から解放された、口のきけない老人でしょ」
「へっ?……口がきけないの?」
それは知らなかった。
「たまたま見たんですよ。老人がゆっくり左手を上げるのを」
それが合図のように、
山口ミヨがノートとペンを持って行った。
老人が何かを書き終えるまで、ミヨは側で待った。
頭を下げて手を合わせて……拝むような姿勢で。
「つまり筆談、ですか。耳が聞こえないんですね」
「いや、耳は聞こえてますよ」
ミヨは書かなかった。
返事は耳元で囁いていた。
「カオルも見たんですか?」
「どうかな。見ていないかも」
薫は老人に背中を向けて座っていた。
「確か、その後『牛すじ』がサービスで。思いがけない美味さに、酒を追加して……」
ただの酔っ払いになったのか。
「カオルさんは、あの老人が気になるみたいやけど、声が出せない、珍しい病気もちの、終わりが近い無害な老人やと、私は思います。……今日はね、姿見てませんけど」
「夕方は店に居ないのかな『リュウゾウ』って爺さん、見ました?」
もしや尾行は<陰のアドバイザー>の指示かも?
聖はリュウゾウの外観を説明する。
80才位。
小太りで赤ら顔。
高級ブランドのスポーツウエア。
金時計の文字盤にはダイヤが煌めいている。
佇まいに威圧感あり。
「80才位? ……見てません。見た客は40代から60代、でしたね」
「そうか……あの爺さんは居なかったのか」
尾行はリュウゾウの指示でも無いのか。
2人情報を出し合っても、
尾行の理由は全く見当が付かない。
「鈴森さん、あとはカオルに考えて貰いましょうか」
「そうですね。ラインで報告しときます」
「ゆっくり飲みましょうよ。日本酒、持って来ますから」
聖は作業室に入り、冷蔵庫から酒瓶を取ってくる。
と、その時、山田動物霊園から電話。
桜木悠斗?
なんで(携帯では無く)固定電話から?
警戒して電話に出る。
鈴森に目配せしてスピーカーに。
「山田動物霊園の桜木です、いつもお世話になっています」
悠斗の声だけど、他人行儀。
「神流さん、今山口さんという方が来られてるんです……」
鈴森は手にしたタバコを落とした。
「山口さん?」
聖は短く返す。
「お知り合いだと、おっしゃってます。インコと猫の、剝製を頼まれたとか」
「ああ、それなら天理市の、山口さんですね」
「そうだと、言われてます」
「で、……なんで霊園事務所に?」
「……」
なんで、自分で電話してこない?
電話番号が分からないなら、この電話、さっさ替わって用件言えば?
「あの、神流さんの、お知り合いの、リサイクルの、仕事をしている体格の立派な方に」
悠斗は、ゆっくり喋っている。
「『お土産』を渡し忘れて、後を追いかけたそうです」
「お、み、や、げ?」
鈴森は立ち上がり、側に来る。
顔は間近。
驚きすぎて丸い目は全開。口も開いている。
「追いかけたけど、見失ったそうです。で、辺りを探してみたら、ここにトラックがあった」
悠斗は(側に居る)山口に確認しながら話している。
「クマさんなら、居ますよ」
薫は山口食堂で、その名を口に出したはず。
「今から、そっちに行きますよ」
何だか知らないが、さっさとケリを付けたい。
「いいえ、お渡しできると分かれば、それでいいそうです。……もう帰られるそうです」
そこで電話は切れた。
聖と鈴森は申し合わせたように、外へ飛び出ていた。
シロも一緒に。
森の西、1キロ先に、瞬間移動できるかのように。
お土産って何?
一刻も早く見たいじゃないか。
「セイさん、走りましょうか」
鈴森は暗い森に突入しかけた。
が、犬の吠え声。
トラが吠えている。
トラの吠え声は、近づいてくる。
「鈴森さん、ユウトさんが、こっちに、」
言い終わる前に、
桜木悠斗とトラが、
森から駆け出てきた。
「コレです」
悠斗は、鈴森に赤いフードケースを手渡す。
片手で握れるくらい小さい。
「……まあ、中に入りましょう」
聖は皆を中へ誘う。
「自分は戻ります。電気、付けっぱなしで来ましたから」
あっさり言って、悠斗は去った。
トラは付いていかない。
シロと一緒に中に入ってきた。
「ユウトさん、お礼言う間もなく行っちゃいましたね」
山口正に、当たり障りの無い対応をしてくれた。
そのうえ速攻で<お土産>を持って来てくれた。
「ほんまに、あっさりとね。なんでリサイクル業かとも聞かんとね……ちっこいなあ。……さて、開けましょか」
鈴森はケースの蓋を開ける。
「なんや、これか」
中身は煮込んだ肉、だった。
「例の、すじ肉ですか? ベタ褒めしてた」
(牛すじ肉の煮込み、サービスしてくれてん。あんな美味しい肉、初めて食べた)
(とろけそうに柔らかい、なのにコリッともしている。絶品でしたね)
「この臭い、間違い無いです」
「て、ことは、前に美味しいと言っていたので『お土産』に渡そうと、それで追ってきたの?」
山口正は母親に言われ、クマさんのトラックを追ったのか?
クマさんは剥製屋近くに路駐し、さっさと行ってしまった。
しかたなく暫く待った。
すると剥製屋が来て、車を出した。
(近づき声を掛ける間はなかった)
後を追うと、トラックは動物霊園に行く橋を渡っていった。
……それから?
「山口さん、戻ってくる俺を待ってたのか。……俺に『お土産』を、ことづけようと」
1時間待ってもトラックは戻ってこない。
それで霊園事務所に行ったのか。
灯りの付いている霊園事務所。
前に<熊さん>のトラック。
此処に居るかも知れない。
居なくてもトラックがあるのだから、此処に戻ってくるはず。
どうしても<お土産>を渡したくて
霊園事務所のドアをノックした。
「セイさん、私の勘違いやったみたいですね。尾行やなかった」
山口正に気付いたときに、車を停めるべきだった。
店に忘れ物でもして、追いかけて来たと、考えても良かった。
「山口さんやセイさんや、ユウトさんを無駄に走らせてしまいました。スンマセン」
鈴森は大きな頭を下げた。
「俺でも、尾行だと警戒しますよ。まさか『お土産』渡し忘れて、追いかけて来るなんて……たかがスジ肉だし。それも、こんなチョコッと」
「たかが、ではないですけどね」
鈴森はスジ肉の入ったケースを、テーブルに置き、
「なにはともあれ、尾行ちゃうかって、良かったです」
安堵の溜息と共にソファに腰を下ろした
「そんなにも美味いんですね……冷酒に合うかも」
聖も座った。
「鈴森さん、俺も、1つ、頂いていいですよね」
「1個ずつ、食べましょうか」
ケースの中に、スジ肉の塊は
たった2ピース。
貴重に思えてしまう。
聖は1つを指で摘まみ、おもむろに口へ……。
入れようとした瞬間、背中にドンと衝撃。
犬の前足が背中を蹴った。
肉は指から離れ、床に落ちる。
それをトラが追い、パクリと。
「へ?」
犬の動きは早すぎて、横取りされたと遅れて知る。
今、トラの頭はテーブルの上にあり、
ケースに残った、もう1つをも、パクリと。
「うそー。なんで? トラは、こんなコトしないのに」
「肉の臭いに、惹き付けられたんと、ちゃいますか」
鈴森は笑っている。
従順で賢い犬の理性を狂わすほど、美味い肉なのか。
聖は、食べられなかったのが、ちょっと悔しい。
「セイさん、カオルさんにラインしますね」
笑いを堪えながらライン入力。
<お土産>はトラが食べたと報告しているのだ。
「カオル、なんて言ってくるかな」
すぐに電話してきた。
鈴森はスピーカーにして聖にも聞かせる。
「鈴森さん、本日、山口食堂に通称『瘤取り爺さん』と呼ばれている老人は居なかった、それで間違い無いですか?」
めっちゃ、お仕事口調。
「あ、はい」
鈴森は姿勢を正して返事する。
電話の向こうは、屋外らしい。
サイレンが聞こえる。
警察官が慌ただしく動いている気配。
「何か、噂を聞いたということも無かったですか?」
「なにも、聞いてません」
「了解しました」
電話が切れた直後、
薫からメッセージ。
聖と鈴森にグループラインで送ってきた。
(天理市C町廃寺屋根上、変死体。
白髪痩身長身の高齢男性。
鳥に突かれ食われ骨見えてる。
鳥葬かいな)