すじ肉
「薫、見間違えじゃないんだね? 絶対に?……『付け瘤』だったのかな」
付け瘤、なる物が存在するかは知らないが、
瘤が消失した理由を、他に思いつかない。
「絶対見間違えてない。それに瘤は本物やった。作り物ちゃうで。鬼に取って貰ったとしか思えん」
薫は言い切る。
「所謂『奇病』、ちゃいますか? 大きな瘤がポロリと取れるなんて見たことも聞いたことも無いですけど」
鈴森はまっとうな考察。
薫と鈴森は山口食堂から電車、バスを乗り継ぎ工房に来た。
ビール缶を沢山携えて。
バスのある時間に退散する、一緒に飲もうと。
鈴森は職場から直行したのか作業服だった。
薫は、黄色地にハイビスカス柄のアロハシャツ。
金のネックレスをチラ見せして、何故かチンピラ風。
「牛すじ肉の煮込み、サービスしてくれてん。あんな美味しい肉、初めて食べた」
料理をサービスしてくれるなんて。
もう常連客扱いなのか。
「とろけそうに柔らかい、なのにコリッともしている。絶品でしたね」
鈴森も言う。
余程、美味かったらしい。
聖は、自分だけ食べてないのが、ちょっと悔しい。
「薫、それでさあ、また山口食堂に行った目的は、こぶとり爺さんなの?」
また会えるとも分からないのに
鈴森を連れてわざわざ行くなんて……そんなに暇なのか?
「また居るとは思ってなかったで。一体何者かと、聞きに行ったんや。本人おるから、それは無理やったけどな。……ああ、そうや、山口正も店におったで。オカンから剥製屋の友達と聞いてな、ビールも1本サービスしてくれてん。ほんで身の上話、聞いたってん」
山口正は山口ミヨの一人息子で
父親は25年前に精神疾患の末に自死したという。
享年40才。
正が第一発見者、……縊死だった。
正は当時中学1年。多感な年頃には強烈すぎた。
「ショックで、声が出なくなったんやて。その時にな、勧められて母親がインコを購入したんや」
オキナインコのメグミは求められた役割を果たした。
可愛らしい仕草で、声で、正を癒やした。
同じように、
癌で亡くなった正の妻の、最後の時間にも寄り添ったのだ。
「山口家が不幸に見舞われたとき、救ってくれたんやからな。可愛いペット以上、家族同様やったと、思い出してな、親子で泣いてたで」
山口正は口数の少ない男に見えた。
すすんで身の上話を語るとは思えない。
薫の聴取テクニックで喋らせたに違いない。
「猫を剥製にした経緯も聞いた。インコの剥製を勧められたように、猫も剥製にという勧めに従ったんやと。母親の話と、食い違いは無い。あの親子の調査は終了やな……気になるのは瘤取りじいさんやで」
もはや薫は
<謎の老人>にしか関心がないようだ。
「25才だったのか……」
綺麗な子で、健康体だった。
少なくとも、あと5年は生きれた。
聖は可哀想なインコを思い出していた。
「私は、また行こうと思ってるんです」
鈴森が、聖に言う。
「へ?……鈴森さんが山口食堂に行くんですか?」
どうして?
あんなのと、関わっちゃあ、駄目ですよ。
と、聖は言いたかった。
ヒトでは無いかも知れない、って
分かりましたよね、きっと。
俺以上に。
「熊さんの養豚所から、そう遠くないやんか。信号少ない田舎道や。10分で行けるんちゃうか」
さては、薫がお願いしたのか?
「料理の味も、雰囲気も感じの良い店でしたね」
鈴森の評価には同意。
だけど、
「『怪しい爺さん』が。またいるかも知れませんよ。いいんですか?」
言わずに、おれない。
「セイ。そんな呼び方せんといて。あれは<瘤とりじいさん>やねん。<怪しい爺さん>ちゃうで」
「なんで? 充分怪しいでしょ」
生命体なら当然出す、呼吸音も咀嚼音も無い。
板のように真っ直ぐな背中は静止していた。
その上に大きな瘤が、跡形も無く消えたなんて……。
接触を重ねれば、ヒトでは無いと、分かってしまうかも。
面倒でややこしくて怖いコトでしょ?
正体が分からぬままでいいんじゃないか?
「セイ、俺は<こぶとり爺さん>をもっと知りたい。喋ってみたい。鬼に瘤を取ってもらったのか聞きたい。尾行して住処も見たい。しやけど残念ながら、そんな時間はない」
薫は無邪気そうに言う。
ことさらに……。
そっか……。
薫の真意が見えた。
アレは一体何者?
薫にとっても未知の存在。
分析不可能なままで済ませる気はないのだ。
「心配しなくても大丈夫です。邪悪な気配、それも、無かったでしょう?」
鈴森はセイに目配せ。
確かに邪悪な気配は無かった。
そもそも何の気配も無かった……ソレが怖いんだけど。
けど鈴森にはアレは無害だと、分かっているのかもしれない。
薫と鈴森は最終バスの時間までは居なかった。
日が暮れて、シロが山田動物霊園から戻った、すぐ後に工房を出た。
その夜、いつもより早い時間にマユは出現。
「マユ、話、聞いてたよね?」
白いオウムの剥製(パソコンデスクの上)にマユは宿っている。
「え、ええ……」
何か言いたげ。
「例の爺さんの、瘤が消えたって、奇っ怪だよね」.
「鈴森さんが言ってたように病気かもしれないわね。ものすごく年取ったヒトにだけできる腫瘍とか」
「村の超高齢者は、あんな……今にも消えそうな気配じゃ無い。酒屋の婆さんも、90才超えた筈だよ。一人で店開けて、酒も強いし。良く喋って超元気」
「もっと上。100才超えの老人に、セイは会ったことあるの?」
「100才以上? それは……。村に107才が一人も居るらしいけどね。見たこと無いよ。寝たきりなんじゃないかな」
「寿命が尽きる寸前まで、歩いたり食べたりできる……そういうお爺さんかも知れないと、思ったの」
「そういえば、最高齢者で仙人扱いかと、薫が言ってたっけ」
薫の初見に狂いは無かったとすれば、
気配が全く無いのは……。
聖は、だんだんと
アレは、元からヒトで無い何モノかではなく
長く生きすぎてヒトらしさが保てなくなった超高齢者だと思えてきた。
耳が聞こえにくいから喋らないのだ。
歯が無くて豆腐しか食べられないのかもしれない。
体幹筋が固くて背中真っ直ぐで固定かも……。
「鈴森さんが、もう一度会えば、答えは出そうね」
「そうだね。あの老人は、少々気がかりだった。でも、もう忘れるよ。どのみち二度と山口食堂には行かないけどね」
聖は山口正も母親も、謎の爺さんも、早々に頭の中から消してしまおうと、思った
「あらっ? なんで?……まさか、あの事、スルーするつもり?」
マユは、きっとした目つき。
怒ってるの?
<あの事>って?
「セイ、山口正さんの父親は、40歳の時に自殺した、そうよね?」
「うん。……首吊り自殺で、正さんが発見したと」
それがなにか?
「正さんは25年前に中学1年。つまり現在は38才として……40才の父親の手と、38才の息子の手は、そっくりかも知れない、でしょ?」
「え?」
(聖は山口正の手に、<人殺しの徴>のようなモノを見た。
右手は顔と同じく日に焼けているのに
左手は不自然に白かった。
気付いた瞬間は<人殺しの徴>かと、嫌な感じがした。
しかし、何度か盗み見した結果
指の太さも爪の形も、両方の手に、明かな相違は無かった。
左手だけ日焼けしていない事情が在るのかも知れない。
<人殺し>と決めつけられないと、考え直した)