孤独焼死
結月薫からの連絡を待つ間に
(火事で亡くなったのは、この家に住む徳田エミコさん65才)
と、続報が出た。
火元は台所。
出火原因は火の不始末。
猫の剥製を辿って身元が判明したかは分からない。
事件では無さそうだし、知らない人の不幸に、さほど同情は湧かない。
薫は何も言ってこない。
この件は過ぎ去ったと思った。
1週間ぶりの、薫からのコンタクトはラインだった。
(セイ、明日暇か? 昼飯、一緒に外で食べたいねん)
用件は例の火事ではなかった。
(いいよ、どこ行くの?)
(山口食堂。13時現地集合やで)
地図も送ってきた。
天理市A町?
山口、って、もしかして山口正さん?
住所を照合するより聞いた方が早い。
すぐに薫に電話してみた。
「しやねん。まほろば線の、A駅のそば」
「じゃあ、身元が分かったのは山口さんから聞いたのかな?」
でも、なんで俺が行くの?
「違うで。役場の協力で居住確認できたんや。あの家に住んで居たのは徳田エミコ1人と。マイナンバーカードの写真と郵便局、主治医に確認して貰った」
本人の親兄弟は他界。子供は無い。
身寄りの無い孤独死扱いで、役場の職員が火葬場に付き添った。
「それなら剥製猫、全然、関係無いよね」
「身元の確認には必要無かった。けどな、どうも妙なんや」
「?」
「近隣住人は、口を揃えて本人を知らないと言うてた。そいつが解せん。焼けた家に30年前から住んでるんやで」
「たしか携帯電話もってない人、だったよね。今時めずらしいじゃん。家に引きこもってたんじゃないの」
「携帯電話はな、持っていたが料金払わず解約になったんやて。3ヶ月まえに」
「……お金に困ってたのか」
「旦那の遺族年金で暮らしてたんやけど、猫の手術代に、よおけ要ったみたいや」
「猫を、飼ってた……それって、あの猫か?」
「あの猫も、飼ってたかはわからん。多頭飼いや。猫屋敷の猫婆さんやな」
「猫屋敷……」
猫達の安否が気になる
「猫がらみで近所と揉めて、町内会抜けたと、元町内会長が言うてた。老人施設まで行って聴いてきた」
「今の町内会長は聴取したんだね」
「現会長は『回覧板まわしてない家ですやろ。誰が住んでるか知りまへん』と、言いよった……セイ、どう思う? これって村八分ちゃうか」
「まさか。今時それはないだろ。変わった人だから敬遠されてたんじゃないか?」
「あんな、消防に聞いたけど、まずな、通報で出動したのではないんや。消防署から煙が見えたので行ったんやて」
「通報、無かったの?……誰かが通報したと、皆が思い込んだってコト?」
「まあ、そういうレアなケースも考えられるわな。ほんでな現場に到着したらな、前の道に爺さんが1人おるだけ。他にはな、誰もおらんかった」
「その爺さんには、話を聞いたの?」
「コミュニケーションが取れないねんて。そこら徘徊して、時々長い間同じ場所にぼーっと立ってる有名な爺さん、と言うてた」
真っ昼間の火事だった。
台所辺りから煙が上がってる段階で隣近所が気付くのでは?
大声で(火事や)と叫び近所に知らせ、通報。
近所の住人は火事を見に行くんじゃないのか。
4連棟の他3軒は消火時には無人だった。
偶然に留守だったのか、早々に避難したのかは定かでない。
「焼死体は2階のベランダで確保したんや」
そういえば、ベランダにブルーシートが張られていた。
あれが示す残酷な状況に気付いていなかった。
火に気づいた時には玄関からの避難は不可能
2階のベランダに逃げ、助けを呼んだ。
自力で飛び降りる力は無い。
そのうちに火は階段を上がってきて
ベランダにまで延びてきた。
出火から焼死まで……あっと言う間の出来事だったのか?
「消防隊員は、火だるまになってる姿を見たんや。数分早ければ隣家のベランダから救助できたかも知れないと残念がっていた」
「カオル、近所の人たちが早い段階で火事に気付いていたのに、通報も救助もしなかったとしたら……村八分より酷いよ。村八分って火事と葬式だけは助けるんだから」
「しやな……よってたかって見殺しにしたとは思いたくないけどな」
「罪に問えるの? 通報の義務を怠ったとかで」
「無理やな。気付かなかったと、言うやろ。実際、自分の家が燃えていても、寝てたり風呂入ってたりで、すぐに気付かん場合もある」
「犯罪にならないんだね……でもカオルはスルー出来ないんだ」
「きしょく悪いからな。焼け死んだ猫婆さんと、猫剥製の依頼主は知り合いの可能性が高いやん。
生前の近所との関係を知ってるかも知れん。食堂やんか。まずは客として接触したいんや」
火事に事件性はない。
誰にも事情聴取は出来ないのだ。
マユは、火事現場付近の地図が見たいと言った。
「長屋の裏は池ね。前も横も田んぼ。一番近い民家は150メートル位離れているのね」
「延焼の危険は無かったのか。それで積極的に関わらなかったのかな」
村中で見殺しにしたと、思いたくは無い。
「前の道は東へ行くと2キロ先に国道……西はB駅前まで800メートル位だわ」
「それが何か?」
「セイ、村はずれの一軒家じゃないのよ。家の前を通る人も車も、あった筈でしょ?……皆スルーしたの? なんでかしら」
マユの指摘は何だか怖い。
「俺だったら、足を停めて見てしまうよ。火事なんて滅多に遭遇しないじゃん。不謹慎だけど野次馬になっちゃうと思うよ。やっぱ現場には認知症ぽい爺さんが1人居ただけ、って有り得ないよね」
近隣に留まらず、偶然火事に居合わせた人までも火事を見なかったコトにしたのか?
なぜ?
理由が全く想像付かない。
「セイ、山口食堂はどこ」
「A駅の近く、ここだよ。B駅の1つ北の駅」
「煙が見える距離かしら」
「多分……2階から炎も見えたと思うよ」
間に視界を遮る高い建物は無い。
「成る程。火事は知っている筈よね」
「うん。初めての客が、火事のことを聞いても変じゃないよね」
「薫さんは、ただの客として探りを入れたいんでしょう?初めての客は顔見知りの剥製屋。薫さんは、その友人ね」
マユは、何かしらの情報を得るだろうと予測した。
翌日午後1時。
A駅前で薫と合流。
駅前タイムパーキングに車を停めた。
「セイ、帰りは送ってな。この電車な、1時間に2本しかない」
早朝と夜は1時間に1本。
まほろば線は本数が少ない。
古い木造の駅舎はとても小さい。
だが別棟のトイレは真新しく高機能。
山口食堂は駅前広場に面して建っていた。
間口の長さの看板が上にある。
入り口は格子戸。
備え付けの陳列ケースがある。
右に寄せて瓶ビールとカツ丼と、きつねうどんのレプリカだけが置いてある。
「よおある古民家リノベーションかな。昭和の雰囲気やな」
薫は写真を撮りながら言う。
「違うよ。普通に古いだけでしょ。後ろの瓦屋根が住居だね」
「ほんまや。大きなお屋敷やんか。……ほんなら入るで」
「いらっしゃいませ」
50才くらいの女が出迎えた。
丸顔で小柄。
山口正に似ていた。
白い割烹着が昭和っぽい。
正面のカウンターの内から出てきた。
他にスタッフの姿は無い。
客は1人。
3つ並んだテーブルの一番奥(カウンター前)に背を向けて座っている。
鶯色の作務衣を着た男だ。
白髪を後ろで束ねている。
「ここ、座っていいですか?」
聖は(入り口近くのテーブル)腰を下ろす前に聞いた。
「はい、どうぞ。お茶は熱いのと冷たいのと、どっちがよろしい、かなあ」
長身で白衣の男と
迷彩柄のTシャツの強面の男を
遠慮無く、じっと見て言う。
「ビールと冷たいお茶やな」
と薫。
「ビールのグラスは1つでいいです」
聖が補足すると
「兄さん、剥製屋さんやね。その声は、あの剥製屋さんや」
と、女は破顔。
聖も、声を聞いて確信は得ていた。
けど、知らずに来たと思わせたい。
「あ、はい。剥製屋ですけど……どこかでお合いしました?」
とぼけて聞いてみる。
「電話でな、お話させてもうたんです。息子は会うてます。メグミちゃん持っていって、その後に、どらネコを……ほんまにメグミちゃん綺麗にして貰って」
積極的に話しかけてきた。
ネコに殺されたインコと、インコを殺した猫。
気味の悪い注文だけど、少しの闇も感じない。
(ああ、あのインコの)
口に出そうとしたら、薫が遮った。
「おばちゃん、メグミちゃんてネコか?」
と。
そうだった。インコの名前は聞いていなかった。
「ネコと違います。メグミちゃんはインコです」
それを聞いて初めて分かったフリをする。
「ああ、あの時の。随分大切にされていた可愛いオキナインコちゃん、ですよね」
「そうです。メグミちゃんは、ほんまに嫁が亡くなった後、うちらを支えてくれて、」
涙声。
深い悲しみがフラッシュバックしたのか。
「おばちゃん、泣いてるヤンか。なあ、こっちきて座りいや。俺インコの話聞きたい」
薫は
馴れ馴れしい男を演じる。
「僕も聞きたいです。あの子はネコに殺されたんですよね」
聖は同情を込めて言う。
女は黙って頷き、薫の隣に座った。
「去年、嫁が癌で亡くなりましてね……それからメグミちゃんは嫁そっくりの声で喋るようになりましてん。孫は『ママはメグミちゃんの中におる』と、言うてたんです」
それが、家の敷地内に出没していたネコに殺されたのだと言う。
鳥籠は2階の窓際に置いていた。
ネコはベランダの洗濯物を取り込む隙に中に侵入した。
「それって、あの剥製にしたネコですか?」
聖は核心に触れてみる。
インコ殺しのネコをなぜ剥製にしたのか?
知りたい。
「そうです。罠にかかりよりまして……」
先は言い淀む。
殺したとは言いにくそう。
「捕まえたんか。それは幸いや。メグミちゃんの敵討ちができたんや」
薫が続きを語りだした。
「ほんで、剥製にしたのは、飼い主を探すため、ちゃうの? 人目に付くよう、表の陳列棚に飾ったんやろ? ネコを飼い主に返そうと思たんやな。しやろ(そうだろう)? オバチャンは律儀なひとやなあ」
(え?……そうなの?)
薫は早々と真相が分かったようだ。
さすが警察官。
山口正の母親は
否定はしなかった。
ひどく驚いた様子で薫を見つめ
「にいさん、よお、わかりましたな。その通りです。飼い主に返すのが筋やとね、」
そこで言葉を切り……不意に振り返えった。
もう1人の客(黙って座っている)に目を向けた。
様子を伺うような感じで。
薫は、母親の一挙一動を横目で追っている。
聖は、薫の背後を見つめている。
……もう1人の客の後ろ姿を。
右の肘が上下している。
箸を握っているのか
グラスを口へ運んでいるのか。
わからない。
後ろ姿がテーブルの上に在る物をすっぽり隠している。
……この人、静かすぎないか?
……咀嚼音、全く聞こえないんだけど。
……白髪の老人?
……メッチャ、背が高いんだけど。俺よりずっと。
……背中真っ直ぐ。姿勢良すぎ。
生身の人間かしらと、聖は首を傾げた。