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第二王子アルカの愚行

「城を追い出されて、こんな場末の汚い食堂で働いていたとは──おい、どけ」


 近くに座っていた男を蹴飛ばし、空いた椅子に乱雑に座る。

 倒れた男は何も言わない。その判断は正しい。

 抗議した瞬間、よくて牢屋行き。大抵はすぐに首が飛ぶ。

 男は食べかけの料理を残し、頭を低くして逃げるように店から出ていった。


「ちょっと、乱暴しないでください!」


 サリアが抗議の声を上げると、二人の騎士が王子の前に躍り出た。

 派手な黄金の鎧に白いマントは、近衛の証だ。

 ここに来たのはお忍びという訳ではなさそうだ。


「相変わらずお優しいことだ……ああ、自分が庶民だからこその仲間意識か?」


 アルカは高く笑った。

 だが、視線はサリアから外れない。

 嘲りと憎しみ、そして拭いきれない執着が、その瞳に静かに滲んでいた。


「庶民が聖女を名乗るなど……反吐が出る」

「教会が認定したのです。私が名乗ったのではありません」

「黙れっ! 卑しい出自でありながら王に取り入ったこの売女が……っ!」

「……あなたの婚約者になったのは、それが王家のしきたりだからです」

「口答えとは、私を軽んじるか……っ!!」


 サリアの物怖じしない言葉に、アルカの顔がどんどん赤くなっている。

 唇の端に泡をつけているのは、癇癪を起こしかけている証だろう。


 ──だが。


「ふん、いつまでも守られていると思うなよ……」


 何かを企む男の顔だった。

 なまじ権力があるだけに、次の手が読めない。

 サリアが怯えるように息をのむ。


「本日、王と兄上は聖教国に赴かれた。つまり今、この国の王は私である」


 官僚や大臣が聞いたら顔を青ざめさせただろう。

 王位継承も済んでいないアルカが、第一王子を無視して国の王を名乗ったのだ。

 近衛兵も気まずそうに顔を見合わせている。


「陛下たちが……」


 サリアは、自分を取り巻く状況の悪さに気づいた。

 アルカを抑えていた王と第一王子がいなくなったのだ。

 この男が何かをしでかすことは目に見えている。

 舐め回すような王子の視線に、顔を伏せたサリアの足が震える──その時だった。


「……なんだ、貴様?」


 気づけばジェイが、王子の前に立っていた。

 近衛騎士が慌てて二人の間に入る。

 だが、ジェイは構わずアルカ王子をまっすぐ見た。


「……っ」


 そこで王子は、怯えるように口を噤んだ。

 ジェイの額に深く刻まれた眉間の皺。

 まるで世界を睨みつけるような鋭い眼光。

 今にも拳が飛び出しそうな、危険な気配をジェイは滲ませている。

 二人の騎士は、示し合わす訳でもなく、剣の柄に手を掛けた。


「なあ、アンタ。腹は減っているか?」


 放つ気配とは反対に、気遣うような言葉が余計に不気味だった。

 アルカが困惑するように眉をひそめる。

 騎士は変わらず警戒しているが、ジェイは気にも留めていない。


「ここは食堂だ。そして今は、みんなが貴重な休憩時間を使って飯を食っている」


 アルカが周囲を見回すと、皆の視線が集中していた。

 責めるような視線に、アルカが居心地を悪そうに身じろいだ。

 誰も言葉を発しない無音の中、ジェイの言葉が響く。


「帰ってくれ。迷惑だ」


 はっきりとした物言いだった。

 食堂のみんなが、ジェイの迫力にのまれている。

 静かな声に潜む、むせかえるような暴力の気配。

 いつもは癇癪を起こすアルカが、言葉に詰まっている。


「お、おい、この無礼者を……」


 縋った王子に答え、騎士が剣を抜こうとする。

 その瞬間、ジェイの鋭い眼光が近衛騎士にも向けられた。


「やめておけ」


 たった一言。それだけで、騎士の手が止まった。

 気づけば剣の柄にジェイの手が添えられていた。

 サリアには、その動きがまるで見えなかった。

 いや、それは近衛たちも同じだったのだろう。


 鍛え上げられたはずの騎士が、目を見開いて体を震わせている。

 静寂の中、近衛の息をのむ音、わずかに鳴る鎧の擦れる音が、かえって耳につく。

 その異様な空気に、アルカの顔も引きつっていた。


「おい、貴様っ! 俺はこの国の王子……」

「──聞こえなかったか?」

「ひっ!?」


 ジェイが凄むと、騎士の影に王子は隠れた。

 ちゃっかり扉に近づいているあたり、ジェイの気迫に心が折れたらしい。


「く……っ! サリアよ、今日はお前の処罰を言い渡しにきたのだ!」


 ジェイを見ないよう、騎士の背後に隠れたままアルカが声を張り上げる。

 どんなに情けない格好でも、アルカの態度は横柄だ。

 向けられる市井の人々の視線は冷たい。

 これが次期国王なのかと、露骨にため息をこぼす者もいる。


「明日の正午、王城へ出頭するように!」


 言い終わる頃には、王子は扉の外にいた。

 逃げるように足早に去るアルカに、近衛騎士が慌てて追従する。


「ジェイ、ありがとう」


 サリアが駆け寄ると、ジェイは何気ない仕草で背中に隠していた包丁をスッとしまった。

 その鋭い動きに思わず目を丸くしたサリアへ、ジェイが珍しく自分から口を開いた。


「処罰か。王城にいたようだが、何かしたのか?」


 サリアが食堂で働き出した時、ジェイは理由を聞かなかった。

 聖女を名乗る自分が行くあてがないというと、ジェイは黙ってサリアを自分の食堂に迎え入れた。


「アンタの過去には興味はない。言いたくないなら、無理には聞かん」


 ともすれば冷たい言葉だ。突き放すような態度だ。

 でもそれがジェイの優しさだと、サリアは気づいている。

 だからサリアもあの日、ジェイがなぜ死にかけるような大怪我を負っていたのか聞かなかった。

 ただ一つ──。


「だが、その過去がアンタに危害を加えようとするなら、見過ごせん」


 借りは返すと。ジェイは言った。

 以降、サリアが酔った客に絡まれた時も、夜道で暴漢に襲われた時も、ジェイは騎士のようにサリアを守ってきた。

 時にはやりすぎて相手の方を治すことになって、怒った時もある。

 それでも、誰かに大事にされる経験はサリアにとって初めてだった。


「……私は聖女を自称する偽物だと」


 少しの不安を抱え、サリアは王城を追放された理由を話した。

 ジェイも、サリアが聖女だと知っている。

 俯いたまま、ジェイの顔を見ないようにする。

 偽聖女だと聞いて、ジェイが落胆する顔を想像し、手が震えた。


「あれだけの力があってか?」

「もう一人、現れたのです。同じ力を持つ女性が。しかもその方は貴族で」

「なるほど、そういうことか」


 だったら二人とも保護すればいいだろうと、ジェイは呆れたように言う。

 体感したからこそわかるが、あの力は本物だったと。

 ジェイはサリアを偽聖女だとは思っていないようだ。


「まったく、大した王子だな。この国の将来も安泰だろう」


 皮肉を交えてジェイが笑う。

 そんなジェイを咎めるように、サリアは頬をふくらませた。

 ジェイが笑う時は、決まって誰かを揶揄やゆする時。

 サリアが見つけた、ジェイの悪癖の一つだ。


「……彼女が聖女なら、私は別に聖女じゃなくていい。明日はそれを伝えます」

「律儀なことだ。さっさと逃げてもいいだろうに」

「でも……彼女がもし違ったら、私が皆を助けないと……」


 聖女の勤めは、奇跡の力で民を癒し、国を支えること。

 幼少より、そう生きるべしと教会で教えられてきた。

 また、王家は聖女が現れるたびに、その女性を迎え入れる慣習がある。

 サリアには聖女としての自覚があり、その責任を果たすべきだと思っている。

 でも今はその責任から逃れたいと、そう思う自分もいた。

 サリアは、この食堂での生活が王城にいるよりもずっと楽しかった。


「……アルカ王子には聖女の地位を返納すると言います。だから、きっと大丈夫よ」


 アルカは、庶民のサリアが気に入らず、婚約者の地位にいることに怒っていた。

 サリアとしても、教会と国王の決めたことに従っただけだ。

 もう一人の聖女と王子が結ばれたいのなら、喜んで譲る。

 そう考えると、サリアは心が軽くなった。

 この生活をまた続けられる──そう思う自分が、妙に嬉しかった。


「城には俺も行く。万が一、予定が変わったらすぐに知らせろ」

「ジェイ、あなたには明日もお店が……」

「守ると約束したからな」


 目を合わせず、ジェイは当然のように言い放った。

 あの路地裏で、行くあてもなかったサリアに、ジェイは誓ってくれた。

 命を助けられた借りは、必ず返すと。

 だから守るのだと答えるジェイに、サリアは尋ねる。

 言いにくそうに、少し怯えるように、ジェイを見る。


「ねえ、もし私が役目を解かれたら……ジェイは……」

「役目など知らん。聖女かどうかは関係ない」


 突き放したような言い草だった。

 ジェイはサリアの肩書きに、一切の興味を持っていないようだ。


「──そう」


 厨房に戻っていくジェイの後ろで、サリアは嬉しそうに笑っていた。




お読みいただきありがとうございます。

次回、王子ともう一人の聖女が動き始めます。

投稿時間は18時ごろを予定しておりますので、よかったらお楽しみください。

また、☆☆☆評価やブックマークをしていただけると励みになります。

コメントやリアクションもいただけたら嬉しいです。

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王子は野心家なんでしょうね。 ジェイと対立しそうな予感がしますけど、穏便に済むことを祈ります。
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