8 運命の人を享受せよ
「俺たちは閉じ込められたみたいです」
「とっ、閉じ込め!? そんなまさか」
血相を変え、俺を押しのけるように扉に手をかける。彼女が力を入れるたびにそれはぎしぎしと軋み、いびつな悲鳴を上げるものの、破壊されるより先に歌劇さんが音を上げた。
「無理ですね……そんな、一体誰がこんなことを」
「なんだかもう少し頑張れば壊せそうだったな」
「扉を壊したら多分弁償ですよ」
「やろうと思えばできるのかよ」
「言葉の綾です。大上絵君は私を暴力的に捉え過ぎなんです」
「あーはいはい」
少なくとも俺よりは凶暴だろう。後が怖いので口には出さなかった。
「ともかく、俺たちは閉じ込められた。他に出口があるかもしれないから一応探そう」
「あー! 流した! 信じてませんね!?」
口に出さずとも表情には漏れているらしく、俺からの評価が不服らしい歌劇さんは唇を尖らせながらも、出口捜索を手伝ってくれた。動けば動くほど埃が舞い、たまにむせながらも調べ尽くすこと十分前後。
「まあ、あるわけないよな」
教室の形によっては変則的に隣の教室と繋がっていたり、もう一つ出入口があったりするが、小規模の、元より物置としてデザインされたこの部屋には正面の扉のほかに一つ窓があるだけだった。
全身汚しながら段ボールを避けつつ、地球儀を踏み倒して、やっとこさ窓の鍵をねじり、開く。ただでさえ入る機会のない資料室の窓は一つ機構を動かすのもかなりの力が要り、歌劇さんがいなければ新鮮な空気を入れ替えることもままならなかったに違いない。
「ここから飛び降りるっていうのはどうですか?」
「絶対怪我するから嫌だ」
「な、なんですかその目は。私だって飛び降りたら怪我しますからね!? お前の基準で考えられてもなぁみたいな感じやめてください!」
窓からの風景は中庭と他の校舎、雨雲で埋め尽くされている。二階は地上約四メートル、普段意識しないけれど、落ちたらひとたまりもない高さだ。
助けを呼ぼうにも、悪天候かつ放課後、いつもなら運動部員が走り込みとかしているのにインターハイ予選のせいで生徒は一人も見当たらなかった。
「誰もいませんし……これは助けを待つしかありませんね。幸い下校時刻には先生方が見回りに来ますし! そのときに見つけてもらえれば、」
「おーい!! 誰か―!! 助けてー!!!」
「ちょっ!? なんで叫ぶんですか!?」
肺にこれでもかと空気を取り込み、自分の出せる限界の声量を吐き出す。困り顔の歌劇さんに無理矢理口を手で塞がれて、あたり一帯の静寂がしんと際立つ。消えかかった雨音が再び、鮮明に耳に届くようになっても返事はなかった。口を包む柔らかい手をひっぺがし、
「やっぱり誰も気付かないか」
「この状況分かってるんですか!? 男女が閉じ込められてるんですよ!? 良からぬ噂が立つかもしれないんですよ!?」
「いや、明らかな悪意を持った人間が俺たちを閉じ込めたんだぞ。そんなこと言ってる場合かよ」
もし誰かに閉じ込められたことより、俺とよからぬ噂が立つことが嫌というなら一人になれたときに静かに泣くだけだ。
「うう……こんなときだけ正論言ってくる……いつもはラブコメ狂いの癖に……」
まあシチュエーションは体育館倉庫に閉じ込められる例のやつに近いが、ああいうのは誰かが間違えて鍵を閉めたり、物が引っ掛かったり、事故として発生するから許されるのであって、意図して起こしたらそれはもう事件である。
とは言え、これ以上俺ができることはない。
歌劇さんの言う通り、見回りに見つけてもらうしかないのだ。
「そういえば、携帯は? 持ってない?」
「持ってたらいの一番に言いますよ」
俺のも通学カバンの中だ。残り、どれだけ待てばいいかも分からない。持久戦だな。
肌寒さから開きっぱなしだった窓の半分くらい閉めて、埃の薄い扉付近に二人して腰を下ろした。
清掃されていない部屋で座るのは嫌だったけれど、俺の貧弱な体力がそんなわがままを許してくれない。縦に一列、俺が扉にもたれかかり、歌劇さんと向き合う形だった。そうしないと座れないくらいここは狭い。
狭さからか、状況が状況だからか、清楚な歌劇さんの立ち振る舞いには粗が出ていた。
気が抜けているというか、いつもの彼女ならばしないミスを――つまり男子が真正面に座っているのにスカートを押さえず、純白のパンツがばっちり露わになってしまっていた。
美しい刺繍に小さなリボン、控えめな装飾があしらわれ、清純なイメージのある白色は彼女のイメージとぴったりである。
ただのパンチラならいざ知らず、至近距離で座っているせいでお尻の柔らかくもはっきりとしたラインが見え、そのお尻の中心というか、パンツの本来の役目を全うするべく張られた布地が――ばっと不意にスカートが手で持ち上げられ、錆びたボルトを緩めるみたいにゆっくりと顔を上げ、半泣きになった歌劇さんとばっちり目が合う。
「み、見ました……?」
「ミテナイヨ」
「見たんですね」
「すみません」
俺は誠心誠意謝ると共に、周囲の武器になりそうな段ボールや教材に気を配る。
彼女のことだ。恥ずかしさからうっかりぶん殴ってくる可能性は否めない。避ける隙間もない狭小空間では防御を取る以外になく、その防御姿勢をできるだけ早く取るために武器への注視を続けていた。
「はあ」
予想に反し、溜息をつくだけで事は済んだ。
「……こんなときになんですけど、ずっと訊きたかったことがあるんです」
なんだろう。山か海のどちらが好きとかそんなことだろうか――山なら埋められ、海なら沈められる的な。
そんな冗談交じりの思考はすぐに消え去った。
とろんと垂れた優し気な眼は潤んでいた。
俺はこの目を知っている。一年と数か月、相談役としての活動を通して、飽きるくらいに見てきたが、決して飽きることはなかった心の籠る瞳。熱の入るそれに生半可な話題ではないだろうと、姿勢を正す。
「大上絵君は、恋ってどういうものか知っていますか?」
「随分漠然とした……てっきり好きな人ができたとか、憧れている人がいるとか、はたまた誰ぞの恋を応援したいとか、そんな話かと」
「……中学まで女子校だったので、あんまり恋愛のことがよくわかんなくて、わからないから創作物にも触れてこなくて、だから教えてほしいんです。恋ってなんですか?」
「まるで告白みたいな台詞だな」
「告っ!? からかわないでくださいっ!!」
「悪い悪い。しっかし、人様に何かを語れるほど偉くないんだけど」
「大上絵君の考えを聞かせてください」
修羅場の仲裁も初恋の応援も人には話せない特殊性癖にまつわるあれこれだって、酸いも甘いも沢山の相談に乗ってきた。言い換えれば、話を聞いてきただけだ。自分の経験談なんてろくにありゃしない、相談を受けてきただけの俺の考え。
「恋は、そいつが一番面白くなる瞬間だと思う。社会の体裁と自分の気持ちの板挟みになって、普段ならしないことをやらかすし、話す内容も別人みたいになってしまう。人間味が溢れてるというか、人としての魅力が上がってるというか、とにかく見てて飽きない状態かな」
「…………」
「こ、こういうことが訊きたかったんじゃないなら最初に言ってくれないと」
美人の沈黙には自分が間違っているかもしれないと心配になる独特の圧がある。これが何よりも恐ろしい。
「あ、いえ、絶句しているわけでは。大上絵君の話、ちょっと分かりますし。恋してる友達は本当に楽しそうで見違えるくらいで……でも、大上絵君にとって恋愛は本当に他人事なんですね」
「恋愛相談を嬉々として受けるやつがタイプの数寄者がこの学校にはいないからな」
「まるでいたら付き合うみたいな口ぶりですね。相談役の立場の方が大切な癖に」
「究極の二択だが……本当に好きな人ができたら、案外簡単に相談役なんて辞めるかもしれないな」
「えっ!?」
俺の声量を諫めておきながら、ほとんど同じくらいの大きさで驚いた。鳩が豆鉄砲を食ったように目をぱっちり開き、口も半開きにして、不格好というな情けない表情のはずなのにどこか綺麗で、なまめかしさがあった。
「恋愛願望くらいあるよ。俺を恋愛相談モンスターだとでも思ってたのか?」
歌劇さんは気まずそうに苦笑する。思ってたのかよ。
「俺だって可愛い女の子の話すときは緊張するし、美人な女の子に憧れたりするから」
「あ、そ、そうなん、ですね。へぇ……ち、ちなみに…………あ、やっぱりなんでもないです」
「……歌劇さんと話すときも最初は緊張したよ」
「私なにも言ってませんよ!?」
「ぶん殴られてすぐに解けたけど」
「大上絵君っ!」
彼女の反応が面白い限り何回でも言ってやるつもりなのだが、多分気付いていないな。
「それで、俺の話は参考になった?」
「なりました。もう二度と大上絵君は殴りません」
ほら、そういう冗談を言うから俺にいじり続けられるんだ。
「恋については、少しは共感できました。少しですけど」
「俺はこう考えてるってだけだから、他の人にも聞いてみるといいよ。なんだったらいま読んでるラブコメ漫画やラノベを貸してあげることだって、」
「それは結構です。大上絵君の考えが訊きたかったので」
『恋』よりも『俺の考え』が大切、優先順位が異なる口ぶりだった。
「お願いがあります。私の運命の人を見つけてください」




