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6 応援を享受せよ

「あ、あの、」


 見上げると、息が上がったままの歌劇(かげき)さんが突っ立っていた。白い腕に滴る大粒の汗から窺うに余程の激戦を繰り広げたのだろう。


 俺は、彼女が次に話す内容が分かっていた。いいだろう。毒を食らわば皿まで。いっそ三大マドンナ全員に絡まれた方が相談役らしい。


「どうぞ」


 自分の隣の床をぽんぽんと軽く叩き、額に張り付いた前髪をちょいちょいと直す彼女は戸惑った声を上げながらも、こくりと頷く。


 クラスのアイドルの体操服。なんだか深夜番組のおやじ臭さが漂う字面だなあという感想は彼女が隣にちょこんと座った瞬間、吹き飛んでしまった。


 やはりスタイルがよく、顔のよい人は何を着ても似合うというか、たかが体操服であっても一周回ってファッショナブルさが生まれており、芸能人の眼鏡をかけた様と自分の眼鏡姿を見比べたときの衝撃に近い、漠然とした拒否感が心を薄く包む。


「なにが言いたいのかよくわかりましたね」


「三人目だからな」


 「三人?」小首を傾げる隣の美少女のためにコートすれすれの床でへばるギャル、鮮やかなプレーを決めつつもよく通る声で指示を欠かさない瀬沿さん、そしてまだ整わない息に恥ずかしそうにはにかむ彼女自身へ流れるように指を差した。


「あ、そういえばそうですね。一緒にいましたね」


「全く……なんで俺と話したがるかね」


「お嫌だったんですか。でしたらすみません、いますぐ他のところに、」


「嫌だったら『どうぞ』って言わないよ」


 崩しかけた体育座りはすぐに元通りになって、「良かったです」上気した頬を更に、ほんの少し赤く染めさせた。


 清楚が体操着を着て話しているような可憐な仕草に、先日椅子で殴ってきた歌劇聞声と同一人物だったか疑いたくなるけれど、彼女は由緒正しき一人っ子だったと記憶している。双子トリックは使えない。


「結局、別れたそうです」


 歌劇さんは頬の赤みが取れないまま、俯いてそう呟いた。


 話をぶった切っての恐ろしい切り替えのよさに一瞬戸惑うも、その数単語からなる文章が一体何を示すのか把握した。


「歌劇さんの友達のことか」


「はい。二人で話し合って、恋人さんは食い下がったようなんですけど、それでも円満に別れられたそうです」


「良かったな。『男女の友情は成立しない派』冥利に尽きる結末じゃないか」


 明らかに嬉しそうではないのにふとついた言葉は皮肉みたいな聞こえになって、咄嗟にいくつか取り繕う言葉を並べるもぎこちなく笑われるだけだった。

 体育座りで曲げた膝の下に通した両腕、指先同士をひっつけたりはなしたりと弄ぶ。


「私は……結局、相談した話を友達にはしませんでした。後になってみると、下世話だったなと反省したんです。本人もいないのにエンタメみたいに消費して、恥ずかしくて、話せなかったんです。だから私は最後までなにもできなくて……友達はそのお別れを少し、ほんの少しですが後悔してるみたいで、そういう『済んだ話』を聞くこと以外私はなにもできなくて……」


「それで本当に良かったのかってことね」


 俯いたまま、こくりと頷く。


「おしいおしい! ないすとらーい! つぎぜったいいけるよー!」


 つい耳に入ってしまう声に苦笑する。切り替えの早さで言えば、ついさっき恋愛相談を終わらせたばかりなのに、試合に集中できる瀬沿さんも負けていないな。


「つい最近バスケで告白した生徒がいるって噂、聞いたことあるか?」


「え?」


「なんだぁ? 自分はえぐい方向転換する癖に他人にやられるのは嫌ってか?」


「い、いえ別に……すみません続けてください。そのお話なら聞いたことありますし」


 本人はあまり自覚がなかったようで「えぐい方向転換……えぐい……」と何度もつぶやいて凹んでいた。


「安心しろ。歌劇さんの相談と、そう離れた話でもないから」


 瀬沿さんと話した噂話のあらましをおずおず語ると、彼女の言う通りだいたい噂で聞いていた内容だったらしく、すんなりと受け入れてくれた。


「違和感があるのはその時期。外コートの使いやすい快晴の日もロマンチックさを担保するに足る小雨の日もあったのに大雨の日に告白を決めたのは何か理由があるはずだ」


「理由……分かったんですか?」


「いや分からん」


「はい?」


 唖然とした口から発せられた「はい?」は、ただ聞き返したというより、悪感情をまとう聞き心地の悪い返事だった。顔の整った女の子から威圧されるの本当に怖いからやめてほしい。いやまじで。


「情報がなさ過ぎるからな。現場百篇というか、きちんとした調査を行えば証拠も証言も揃うんだろうが、それは俺の主義に反する。頼まれない限り絶対にやらない。恋愛相談役は第三者の安全圏――決して彼らの恋愛に関わることのない妖精みたいなポジションでないと」


「……結論は『何も分かりませんでした』ですか。作りの荒いまとめサイトですか」


 委員長殿まとめサイト知ってんのかよ。


「分かりはしないが推測くらいは立つぞ。大雨の日に告白した理由は恐らく、」




「ないっしゅっー!! このまま逆転しちゃうよぉっ!!」




「迷惑をかけたくなかったから」


「はい?」


 今度は幾ばくか聞いていられる聞き返しだった。


「別に大雨でなくても良かったんだと思う。外コートをバスケ部が使用できない状態で、外コートの様子が体育館から見えなければ――その二つがたまたま合致する条件が大雨だったってだけで」


「迷惑って……大雨の日に告白すると誰に迷惑がかからないんですか?」


「誰にというか、女子バスケットボール部にだな。告白した生徒はわざわざ外コートを借りて練習スペースを減らすことも、告白の瞬間を見られることで動揺を誘うこともしたくなかった。そいつの想い人は当の女バス部員だったから」


 梅雨は例年五月末から七月頭まで。


 奇遇なことに日本全国どこでもインターハイ予選はそのあたりのイベントである。


 大会が間近に迫っているのに練習時間を減らすのはもってのほか、メンタル面でも悪影響を与えたくはなかった――大雨の中ならば、どの部活も外で練習をしないし、視界不良で誰の仕業かはっきり見えることはない。


 無論、ホワイトアウトするような豪雪ではなくただの雨だから、コートを横切ったり、ちょっと近づけば視認できただろう。完璧なカモフラージュではないから噂が立つに至ったけれど、告白した者はそれを許容していたはずだ。この体育館から、練習する女子部員に見えなければそれでよいのだから。


 窓を打つ雨粒は変わらず視界を薄っすら遮る。少し奥に見えるバスケコートがぼんやりする程度に。


 雨音は生活音をかき消すけれど、話し声までは遮断しない。


「迷惑をかけたくなくて大雨の中で告白したのなら、そもそも告白しなければ良かったんじゃないですか? そもそもフリースローじゃなくても」


「大雨の中で告白したのは迷惑をかけたくないからだけれど、告白自体は応援の気持ちだったんじゃないかね。インターハイ頑張れって、どうしてもバスケで応援したくなったんだろ」


 ロマンチックな告白の方法だっていくらでもある。修学旅行とかバレンタインとか花火大会とか、学校や世間や社会が用意した素敵なイベントにあやかって特別な日を作ること自体は難しくない。そっちの方が成功率も高いはずだ。


 けれど名も知らぬ彼はフリースローを選んだ。


 修学旅行よりもバレンタインよりも花火大会よりも、その日の方が、想いは伝わるはずだから。


「素敵な話ですね」


「全部推測と妄想だがな。どうだキモいだろ、恐れ入ったか」


 オチをつけるべくついた小粋な自虐に歌劇さんは首を振って、


「キモくないです。そんな素敵な話に到達できる大上絵君は素敵だと思います。八割くらいは当たってるんじゃないですか?」


 クラスのアイドルは素直な笑みを浮かべた。素直な言葉に素直な感情を乗せて、思春期の青少年にとって歯の浮くような語彙をさらりと。こういうところが彼女の人気のいち理由なのだろう。


 数々の恋愛相談を受けてきたカリスマ相談役でなければ、うっかり自分のことを好きなんじゃないかと勘違いするところだったぜ。


 ……瀬沿さんにも同じ推測を話したら、似たような反応をしてくれていただろうか。


『いいか、俺の考えでは告白した奴は相当な熱血馬鹿だ。小雨でロマンチックなら土砂降りで超弩級ロマンチックとでも考えたんじゃないか?』


 俺はあのとき、溜息が漏れるほど清々しいでっち上げをした。


 女バスエース兼ゴシップ好きの瀬沿さんがバスケ関連の恋バナの詳細な情報を知らないとなればゾーニングされているのは確実で、俺が名も知らぬ彼の作戦を無茶苦茶にするわけにはいかなかった。相談役として、頼まれてもいない色恋に介入するわけにはいないのだ、それが俺の美学であり、哲学だから。


 故に取り繕った。嘘をついた。


 いやしかし、だとしても、


「面白いって……きっついな」


 ころころと笑う彼女の顔が瞼の裏に張り付いている。あれは冗談を言っていると受け取った表情だった。普段の小粋なトークで笑ってくれる分には問題ない。だが、恋愛相談を冗談で終わらせたことは問題も問題、大問題だ。


 恋愛相談での最大の悪手は話を真に受けないこと。なし崩し的に終わらせることだ。間違いなく今後の相談稼業に悪影響が出る。親身で真剣で真摯で紳士的な恋愛相談が売りなのに、傷付いたブランドイメージを復活させるのにどれだけの労力がかかるか……。


「ところで、この話が私の相談とどう関係してるんですか?」


 そういえばそんなこと言ってたっけ。恋愛相談に乗り切れなかったのがショック過ぎて、記憶が飛んでしまっていた。


「そうだな……歌劇さんの言う通り、八割がた、俺の推測は当たっているとしよう。でもこれを確実なものにしようとすると聞き込みがいる。当人周辺を嗅ぎまわって、当事者になる必要がね」


 一歩踏み込んで解決を図るなり、調査に乗り出すなりすれば無責任ではいられない。噂にまつわる雑談は、実感の籠った人間関係へと変質する。上手く取り持てば事態は明瞭になるけれど、下手を打てば誰かを蔑ろにしてしまうことだってあり得る。


 つまり、そのラブコメの登場人物に自分が加わるということ。


「もし歌劇さんがその友達に何かするということは二人の別れ話に介入して、頼まれてもいないのに自分の問題にもするということだ」


「それは…………嫌ですね、とても。でしゃばりたくはないです」


 でしゃばりたくないのは責任を持ちたくないとかではなく、話を拗らせたくないとか、友達を慮った表れだろう。まったく感心な人格者だ。


「歌劇さんが友達から頼まれているのは『話を聞いてほしい』だったよな。それを叶えてあげている時点でもう十分やれることはやっていると思う。他にできることと言ったら一緒に遊びに行くとか、ご飯奢ってあげるとか、新しい相手探してあげるとかそのくらいで」


 「後は勝手に恋愛相談で盛り上がるくらいかな」君の話は俺がいくらでも聞いてやろうという信頼できる相談役アピールの甲斐なく、彼女は前髪を膝の上に垂らし縮こまるばかりで、


「友達って案外他人なんですね」


「恋人だって血縁じゃないよ」


 歌劇さんの求めていた回答ではなかった、その酷い落ち込みようを見ればすぐに分かった。


 頭を自分の膝の上に置いて、目線はずっと下、たまに溜息を漏らしては、「決して一緒にいるのが退屈なわけでは」と弁解を始める。溜息、弁解、また溜息、弁解。二度も三度も退屈ではないと繰り返されて、逆に退屈なのではないかと勘繰っていたところ、


「決めました」


 ばっと上げた顔、黒い瞳はまっすぐ前を見つめていた。


「今度、残念会を開きます。友達みんなでいっぱい遊んで慰める会です。そりゃあもうべらぼうに遊んでやります」


「委員長から遊び人にジョブチェンジしたか。そいつの気晴らしになるといいな、報告待ってるぞ」


「大上絵君は強制参加です」


「なんでだよ。関係ねーだろ」


「私の友達だからです。この残念会に関しては、大上絵君は第三者じゃありません」


 凛とした歌劇さんのしたり顔には「君が言ったんですよ?」と書いてあった。それらしい反論はすぐに思いつくも、自慢げに語った言葉を取られたパンチラインに勝てる見込みはなさそうで、肩を竦める。


 敗北を認めた俺の素振りに鼻を鳴らして、


「日程が決まり次第こちらから連絡しますね。どうせいつも暇でしょう?」


「う、ぐ……まあ時間はあるけど」


 委員長の中の委員長、アイドルの中のアイドル、噂に聞く歌劇聞声の像は皮肉を含んだ歪む唇によって否定される。


 当然と言えば当然なのだが、どれだけ完璧に見えても彼女だって一人の人間で、人より優しくて友達想いってだけで、だから偶像じみた崇拝を受けているだけなのだ。


 ずっと遠くにいた歌劇さんがようやく隣に座ってくれた――否、最初から隣にはいたのだ。俺が相談役を、第三者を気取っていたから気付けなかった。


 なんて嬉しそうで気の抜いた表情だろう。


「うおおおおっ!! 最後に決めるのは私だああああっ!!!」


 瀬沿さんがプロ選手顔負けのダンクシュートをかまし、先生に怒られて、変則的な授業は幕を閉じる。

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