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5 大雨を享受せよ

「ナイスブロックだったよぅあいくん! もーちょい筋トレすれば男子バスケの星になれちゃうぜぃ!?」


「……えっと、瀬沿(せぞ)さん? どうしてわざわざ俺の隣に座ったのかな」


 怪訝そうにする俺を見て、まるでこっちがおかしいみたいに不思議そうな顔をするのはやめてほしい。


「友達がぼっちでいたらそりゃ話すでしょ!」


「ぼっち言うな」


「えっごめん」


 小粋な冗談のつもりが、瀬沿さんは檻に捉えられた小動物みたいにおろおろ怯えてしまった。


 「冗談だよ」短く弁明すると、ぱあっと表情を明るくして胸をなでおろす仕草をした。純粋というか単純というか……調子狂うなあ。


 瀬沿静咲はスポーツ女子らしいスポーツ女子だ。


 低身長という欠点をものともせずに成績を残すプレーヤーを『小さな巨人』なんて褒めるけれど、彼女はまさしくそれだった。


 背の順で並べば前から数えた方が早い小柄な体躯、にしては大きくふかふかと育つ胸、体格通りの小さな手……どれを取っても運動の適正はなさそうだけれど、実績が、実力が、諸々の杞憂を否定している。


 『瀬沿静咲せぞ しずさ』という選手は恐るべき巨人だが、瀬沿さん自体は根明の可愛らしい少女である。


 茶髪に近い黒髪のショートカットにぱっちり大きな二重のおめめ、体操着の似合い方はギャルの比じゃあなくて、小柄で、雰囲気は小動物じみており、なんというかついつい可愛がりたくなるような愛嬌のある人だった。


「それでぇ、熊野ゆやちゃんとなぁに話してたの?」


「なにって……世間話とか」


「嘘つきなよぉ! 顔見合わせたり、楽しそーにおしゃべりしちゃってさぁ! ねねっ! ぶっちゃけ……二人って付き合ってるの!?」


 瀬沿さんの声は誰かと話しているときも耳に入るくらいにはよく通る。


 彼女の試合での一喜一憂がチームはおろか体育館全体の雰囲気を作っているのは、この授業が成立していることが査証であり、だから何が言いたいのかというと俺の杞憂は杞憂でなくなった! まっずい!!


 ギャルと話しているときは多く見積もってもクラスの半分程度がちらちら見ていたのが、ほとんどの視線が集中し、うねるようなざわめきさえを生み出した。


 刻々と近づく相談役崩壊の危機に、動いていないのに汗が染み出る。わざわざ俺へ話しかけてきやがったこいつをどう追い返してやろうか、そんなちゃちな思考は吹っ飛び、可及的速やかに誤魔化すことへシフトする。


「そ、そんなことよりも! ちょうど瀬沿さんに訊きたいことがあったんだよ! 瀬沿さんしか頼れる人がいないんだ! まずは俺の相談に乗ってくれるかな!?」


「相談―?」


 恋愛にまつわる決めつけや先入観はそう変えられないことを俺はよく知っている。


 訝しげに眉を顰めるいまの瀬沿さんにどう弁解しようと話は耳に入らないだろう。相談役としての粋を結集した完璧な話術をもってしても、『誤魔化している』と判断されてもおかしくない。


「つい最近バスケで告白した生徒がいるって噂、聞いたことない?」


 だが認識を変える必要はない。話題が変わればよいのだ。


 話を逸らしたと向こうに気付かれたとしてもその方向転換の先が十分に魅力のある話ならば、この緊急事態を突破する一手には成り得る。


 さあ、どうだ……乗っかってくるのか……?


 釣り糸を垂らした水面を見つめる熟練の漁師の如く、じっと瀬沿さんの顔色を窺って、赤みがかった瞳が徐々に星屑のような輝きを放ち始めるのを確認して、勝利を確信した。


「私知ってるぜぃ! いっちょしますか恋愛相談っ!」


「よろしく頼むよ、瀬沿さん。実はギャルと話していたのもそれについてでね。恥ずかしながら、二人共ほとんど何も知らなかったんだ」


「ふぅん」


 しまった失言、言及しないままスルーすればよかった。


「まぁいいけど」


「ほっ」


「実はね、私もいつかあいくんに相談しよーと思ってた話なんだよ。ちょっと変なんだよね。そのバスケで告白ってやつ」


「そりゃあ『シュートが決まったら付き合ってください』とかラブコメのド定番であって、現実でする奴はそういないよな」


「全然なんにも知らなくないじゃん。もしかしてからかってる?」


「い、いや、バスケで告白っつたらそれ以外ないと思って……違うのか?」


 思わせぶりな台詞とは裏腹に首を振って「あいくんの言うとーり、シュートが決まったら付き合うってやつだよ。しかもフリースローサークルじゃなくてスリーポイントラインで、だ」取って取られて得点の応酬が続くコート内、その一本のラインをなぞるように瀬沿さんは指を動かした。その白線はまさしくスリーポイントライン。


「又聞きだから全部を把握してるわけじゃあないんだけど、なんでも放課後に外コートに呼び出して告白したんだってさ。いやぁ是非現場を見たかったよねぇ」


「聞けば聞くほどフィクションだな……それで、瀬沿さんの口ぶりからして『フィクションらしさ』が変なところではないんだろ?」


 ご明察、と言わんばかりににっこりと笑みをたたえた。


「変なのは時期だよ」


「時期」


 俺は窓の外――依然止む気配のない土砂降りへと目を向けた。


 梅雨前線の本領発揮には変則的な授業を心配するにとどまらず、通学カバンに折り畳み傘を入れていたかどうか、帰宅時の不安さえ呼び起される。ここ数日帰るときには決まって豪雨だったから恐らく入れているはずなのだが、どうだろう、少し心配……ああ?


「ここ最近、放課後はずっと雨が降っていた?」


「なんで不安そうなんだよ。正解だよ。わざわざ雨降ってる日に外コートで告白ってのが変なんだ」


「いやでも、フィクションらしさは変に換算しないんだろ? 雨の中で告白ってのもだいぶロマンチックというか、ラブコメのお約束じゃないか?」


「この警報すれすれの大雨で、かい? これがロマンチックに作用するのは友情の熱き殴り合いか失恋だけだぜぃ」


「まあ、言われてみれば、」


「それにぃ」


 瀬沿は小さくも輪郭のはっきりとした人差し指を一本ぴんと立て「明日は曇りだし、」続いて隣の中指も立てた「明後日は晴れの予報だ」。


「数ある日程の中でわざと雨の日を選んでるんだぜぃ? 選んでるなら小降りの日だって選べたろうに、ロマンチックを演出するちょうど良い雨もあっただろうに、どんぴしゃ大雨を選んだのは何か理由がありそうじゃない?」


 瀬沿さんは丸っこくて愛らしい瞳をらんらんと輝かせ、目を細めた。


 その笑顔にはバスケで点を取った喜びとも友達と談笑する微笑みとも違う、下世話なそれが漏れ出ており、瞳の奥で好奇心が渦を巻いているのが見え透いて――こっちが持ちかけた話なのに向こうの方がノリノリなのだから――今更ながら俺と同じ穴の狢だと確信した。


「ありそうだな。というか、あるな」


「でっしょー!? でっ! でっ! 相談役的にはどんな理由があると思うっ!?」


 ずいと顔を近づけるその仕草は子犬や子猫が甘える仕草そのもので、気がないというのが分かっていても胸を締め付けるものがあった。


 ふわりと制汗剤の爽やかな香り、頬をわずかに強張らせた俺に接近とほぼ同じ勢いで遠ざかった彼女の顔は赤く、体操服の胸のあたりをつまみ、ぱたぱたと空気を入れ替える。


「わっ、ご、ごめん……くさかった?」


「いいや。美人さんに近寄られてどきっとしただけだよ」


「……あいくんって割とそういうこと平気で言うよねぇ、モテ男め」


「厳正で公正な評価をどうも」


「まるで普段は厳正で公平な評価を受けてないみたいな口ぶりだねぇ」


「同じクラスなんだから俺のモテなさは分かるだろ?」


 瀬沿さんは苦笑して、肩にぽんと手を置いた。慰めるような仕草に腹が立ってすぐ振り払ったけれど、憐憫の含んだ表情が崩れることはなく、


「いいから恋愛相談に戻るぞ! コホン! いいか、俺の考えでは――」




――甲高く鳴り響くブザーと共に瀬沿さんは「やっぱあいくん面白いねー! また話そ!」今日び女子小学生でもしないような約束の取り付け方をして、飛び跳ねるように試合へと戻っていった。


 彼女の属するチームは文化部揃い踏みで、敵チームには運動部の動ける上澄みが集結している。


 これできちんと試合になって、そのうえワンマンチームにならず、他メンバーがシュートを決められるほどサポートする辣腕ぶりには体格で劣る分、補われた技術の努力のあとが見える。


 そんな将来を約束された天才プレーヤーだって恋の前には一人の少女に過ぎない。例えそれが他人の世間話であっても。これが恋愛相談の一つ良い面でもある……いや、ちょっと格好を付け過ぎかな。


「あ、あの、」


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