4 フリースローを享受せよ
運動神経のある者はその時点でラブコメアドバンテージを得ており、そのアドバンテージを活用して積み重ねた恋愛経験を糧に更なるアドバンテージを獲得するため、運動のできる者とそうでない者には経験値に雲泥の差が生まれる。
「悪いねっ相談役クン!」
必死のディフェンスを軽やかに抜かされ、三大マドンナが一人、瀬沿静咲にスリーポイントシュートを決められてしまった俺は言い訳がましくもそんな考えが頭をよぎった。
「いや、全然言い訳になってなくね?」
隣に座るギャルは一通り俺の話を聞いて、すぱっと切り捨ててしまった。
分厚い灰色の雲がかすんでしまうほどの――外にあるバスケコートがほとんど見えなくなるくらいの豪雨が窓と屋根を打ち、粘着性のありそうなじっとりした空気がどこか気分さえ蝕む、梅雨本番。
本来は外コートを使っての体育だったが、この天気でできるはずもなく、急遽女子に混じっての体育館授業へと相成った。
男女の体格差、身体能力差、思春期特有の独特な空気感など諸々の配慮を重ねた故の別授業だのに、一緒くたにバスケの混合試合ができるのは、
「いえーいっ! ないっしゅー!」
俺の属するチームとの試合が終わって、別チームとの試合中、仲間の決まったシュートに大喜びする瀬沿さんの影響力の賜物だろう、割と冗談抜きに。
一年時点で女子バスケットボール部スタメンに選抜された天才プレーヤー。
強豪女バスに対し弱小の男バスははなから相手にならず、並みの体育会系なんぞ彼女の敵ではない彼女が適宜チームに入ることで性差の生む戦力差は平らにならされ、第一の問題は解決する。
して第二の問題かつ最大の問題たる思春期特有の独特な空気感はいかようにするか、そのアンサーは既に見せつけられていた。
「ああっ! おっしいぃっ……ないすとらーい!!」
男女とか思春期とかどうでもよくなる馬鹿ハイテンション。カリスマ性すら感じる底抜けの明るさが、俺たちの精神年齢を小学生くらいまで引き下げ、純粋にバスケを楽しんでいた無垢さを引き出し、問題を消し炭にしていた。
しかし応急処置じみた授業の欠陥すら瀬沿さんが解決できるはずもなく。
体育館のハーフコートを六チームで順番に試合を行う体制を取っており、二チームが試合をしている間の他四チームにはどうしても暇な時間ができてしまい、それを潰すべく、俺たちはコート外の端っこで別グループの試合を見ながらだべっているのだ。
さて、これだけ情報の渋滞した状況を説明していたのだから、言い訳になっていないとか抜かすギャルへの返答くらい既に途中で考えてある。
「運動神経が高いことがラブコメアドバンテージにつながる、ならば、ラブコメアドバンテージのある者の運動神経が高いことは当たり前だろ?」
「くっ……私が馬鹿だからって丸め込もうとしてるでしょ! 何言ってるか分かんないから反論できない!」
「はっはっはー精々歌劇さんに条件文を教えてもらうんだな」
校則違反を地で行く改造まみれの制服ではなく体操着を身に纏うギャルは「ぐぬぬ」ときょうび聞かない、わざとらしい唸り声を上げた。
これが二十年前のギャル仕草かと言われれば違うような気がする。二十年前は二十年前でも電波っ娘のそれだろうと推測するも確証は持てず、やはり腰に巻いていた長袖ジャージにこれをしないと死ぬ生き物なのだと逃げるように思いを馳せた。馳せたついでに改めてそのスタイルの良さと妙に似合った服装へ目がいく。
普段からスカートも袖も短いギャルだからハーフパンツと半袖シャツの体操着になったところでその露出度は変わらないのに、制服姿のちょっとばかし刺激の強い危うさは消え失せ、快活ではつらつとしたギャルの長所が全面に押し出されていた。
線は細いが華奢ではない、微妙なバランスの上に成り立つ肉体美は男の俺でも少し羨ましくなった。
……これだけじろじろ舐めるように見ているとそろそろギャルから罵詈雑言を頂戴しそうなものなのに、彼女は無言のまま――ピタリ、と目が合う。
ギャルは口を半開きにしたまま気を抜いており、俺もギャルも二三度瞬きして、お互いにお互いをじろじろ見ていたことを自覚する。
「……俺見て楽しいかよ」
「ぜ、全然。タイソーフク似合わな過ぎて哀れんでたとこ」
ここで顔でも赤らめていたらラブコメの波動を知覚し、下世話にも根掘り葉掘り訊いてやったところだけど、ギャルのその言葉に嘘はないらしく、同情をほのかに匂わせる微妙な笑みが真実を物語っていた。
溜息が漏れる。
「お前本当にラブコメ興味ないよな」
「残念そうにしてるとこ悪いけど、いまの君は『女友達に惚れたかどうか確認したイタイやつ』だからね。あいっちがそんな人じゃないって知ってるからいいけどさぁ」
「知らない人からすりゃあ、まず、三大マドンナが一人と仲良く喋ってるオタク君なわけなんだけど、その点どうお考えで」
「えー? あーし、むずいことわかんなぁい!」
「ギャル濃度高めんな! お前はもっと冷静に話せるギャルだろ!」
俺の悲痛な懇願をものともせず、ギャルはくすくすといたずらっぽい笑みを浮かべた。
恋愛どころか他者への興味もこいつはないのだろうか。
ぐるりと周囲を見渡し、俺とギャルへ注がれる視線の多さに辟易とした。
試合に参加中のクラスメイトを除いても、半分以上が俺たちを注視している。
「もしかしてあの二人!?」と他人の色恋に胸をときめかせる俺の同類もいれば、三大マドンナが一人と楽し気におしゃべりするオタク君をよろしく思わない者だっているだろう――どちらにせよ、相談役として注目されるのは非常によろしくない。
話題の的になれば相談の内容が俺に偏ってしまうし、嫌われてしまってはそもそも相談されなくなる。
相談役の機能を失ってしまうのだ。
下手に注目されたくない気持ちは無論あるがそれ以上に、この築き上げた立場を失うことが激しく嫌だった。
人様の恋路を観測できなくなったら俺は死んでしまう。
いやまじで。
「あのですね、ギャルさんや、」想像してしまった最悪の未来に身震いしながら、なんとかこの窮地を脱すべく、カースト最高位という特権階級を振りかざしどこへなりともおいきなさい、そう説得しようと、
「そういやちょい前バスケで告った子いたよね」
「詳しく!」
「やったぁー! はいったぁー!」
瀬沿さんのチームメイトがブザービートでシュートを決め、鮮やかな逆転勝利を魅せつけた。
自分のシュートではないのに自分事のように笑顔満点で喜ぶ彼女を横目に、「次、私だわ」ギャルは立ち上がり、お尻の埃を払う。
「え、ちょっ!? 相談は!?」
「別に相談じゃねーよ雑談だわ。てか、相談役なのに知らないの? 割と有名だよこの話」
「恋愛相談は初見で挑みたいだろ!? 普段はそういうのシャットアウトしてんの!」
「うわー筋金入りじゃん」
ギャルを呼ぶ同級生の声には柔らかく返事をして、
「そんなに気になるなら他の人に聞きなよ。じゃーね」
冷ややかというか言葉足らずな台詞を残してひらひらと手を振る。
その仕草にギャルと同チームの女子数名はきゃあきゃあと黄色い歓声を上げ、数秒もしないうちにホイッスルが鳴った。敵チームには歌劇さんの姿があり、潰してしまえそんなギャルと密かに応援した。
試合が始まってみると俺への注目は嘘だったかのようにクラスメイトの視線はそこへ集中し、「わあ」とか「おお」と歓声が上がった。まあ三大マドンナが二人の対決となればそちらを満喫したい気持ちは理解できる。
「これでいいな別に」
ギャルの話はとても気になる。
すごくすごく気になる。
が、今後の立場を天秤にかけたときにわざわざいまする話題でもない。だからこれでいい。自意識過剰で行き過ぎた憶測にこっぱずかしさを覚え、説得しなくてよかったと安堵した。
繰り広げられる熱戦を見ていないのは試合を終えてだらだら過ごすクラスメイトくらいで、そのうち滴る汗をタオルで拭う瀬沿さんが俺の隣にすとんと腰を下ろす。
「ナイスブロックだったよぅあいくん! もーちょい筋トレすれば男子バスケの星になれちゃうぜぃ!?」