3 『友達の話』を享受せよ
「……な、なんで……いつ、聞いたんですか」
声は震えていた。きっと共通の友達から口封じをされているか、気を遣って誰にも話していなかったか――俺一人で到達した結論とははなから考えちゃいないようだった。ギャルを真っ先に疑わないあたり信頼関係は築けているようでなにより。
「『これは友達の話なんだけどね』で始まる自分の話、ラブコメじゃあお決まりのフレーズだろ。色恋に疎いらしい委員長殿が知ってるかはどうか怪しいがね……最初から見当はついていたんだよ。その手の話だろうって。恋愛に興味のないギャルと恋愛に疎い委員長が感情的な言い争いをしている時点で、清楚な委員長が俺に椅子を投げつけるほど感情移入していた時点で、仮定の話ではないことくらい分かっていた」
「け、見当……? 私たちが何の相談をしに来たのか……分かっていて泳がせていたと……?」
「人聞きが悪いな。俺は相談役だ。適切な相談がされるまで待っていただけだよ……待ちくたびれて、少し見破らせてもらったけどね」
ギャルはこうなることを予見してたかのように肩を竦め、委員長の縋った目線は彼女から俺へと向き直る。どうやって見破ったのか明らかに聞く姿勢だった。
「コホン。えー、全部が全部、最初からお見通しだったわけじゃあないよ。言い争いの仲裁をした時点では具体的な話をぼかしているんだろうということ以外、推測は立ちそうもなくて……だからかまをかけた――委員長が勝ちそうなディベートでギャルが勝ってしまうというどんでん返しを仕組んだ。どうせ二人のどちらかの話なのだろう、と思って、様子を見ていたんだ」
「あれは……そういう」
「ええっ!? 私の負けだったの!?」
「ノリと勢いだけて勝てるわけないだろ。それで様子を見て、俺の推測は半分正解で半分外れていたことに気付いた。話題にしていたのは自分たちのことじゃあない、委員長に勉強を教わっているもう一人の話だと分かった」
「……あ、私、『私ら』って言っちゃった。で、でも、別に別れた後友達に戻ろーとしてるって話はしてないよね? え? 私言ってる?」
「安心しろ、お前は友人想いのいいやつだ……人には言えなくて、友情どうこうの誰かの恋愛話つったらある程度は絞られる。成立しない方がいいと怒鳴られる話なんてそれくらいしか思いつかなかったよ」
「当てずっぽうってこと?」
「そうとも言う」
この場にいない生徒の話をしていると仮定すると二人の言説にも納得がいく。
二人の問題なのだから二人の好きにすればいいと思っている――恋愛に興味のない『男女の友情は成立する派』のギャルと、自分の友達には都合のよい人間になってほしくないし周囲の目が気になるからよりを戻さない方がよいと思ってる――恋愛に疎い『男女の友情は成立しない派』の委員長。興味のないことと疎いことには大きな断絶がある。
委員長は委員長なりにその友人のことを慮って、付き添いに来たのだろう。
「そもそも、面識のない委員長が付き添いで、面識のあるギャルが依頼人ってのがおかしいんだよ。ふつう逆だろ。面識のある奴の紹介で面識のない依頼人が来る方が納得できる。おおかた、ギャルの相談に無理矢理委員長が乗っかったんだろ?」
「一つ……聞きたいことがあります」
委員長は会話の流れをぶった切って口を開いた。
怒りとか驚きはとっくに通り過ぎて呆れの混じる口調には少しやりすぎたかもと反省した。不幸な目に遭うかもしれない友達に何かしてやれないかと知恵を絞った結果、俺を頼っただけで、友達想いのよい女の子には変わりない。その聞きたいことがなんであれ、答える責務があるだろう。もう、椅子でぶん殴られることはないだろうし。
「私たちのどこを見て、自分たちの話ではないと気付いたのですか。どんな様子を観察していたのですか」
「ああ、うん。なに、俺は相談役だからね、色んな人の表情や感情を読んできた蓄積がある。二人は感情が揺さぶられても、恋に悩む乙女の顔をしなかったから気付けたんだ」
「「…………」」
「……二人して黙るなよ。言い方変えれば、当事者の真剣味がなかったってことだ。別れた恋人と友達に戻るかどうかはどこまでも本人次第だろ。俺にできることは相談に乗ることだけ……なのに、委員長、あんたは俺の言葉を受け流さなかった。否定した。まるで俺の意見が全てみたいに」
「私は真剣です」
「見りゃ分かるよ。でも、いま悩みの渦中にいるお友達ほどじゃあない」
「…………」
委員長は目線を下げて、下唇を強く噛んだ。悔しいとか恥ずかしいとかそんなはっきりした感情ではないだろう。もっと複雑で、食道のあたりが握り潰されたように苦しくて、いつもより呼吸が僅かに浅くて、ぼんやりと思考に白いもやがかかる――わざわざ名前を付けるのはおこがましい、青春じみた、とても素敵な気持ちに違いない。
ワックスの少し剥げた床が椅子の足と噛み合い、きりきりとごたつく音を立てて、委員長は通学カバンを手に席を立つ。清廉潔白が服を着て歩いているようなクラスのアイドル様は意地と礼儀がひしめき合う形でほんの少し頭を下げて、
「相談に乗ってくださりありがとうございました」
「え、ああ。フェイクの相談には結論出したけど、本当の相談には別に何も乗って、」
「あら、こんにちは大上絵君。さっきはどうもありがとう。私、また相談があるのだけれど、聞いてくださる?」
うっかりラノベを一ページか二ページ読み飛ばしたみたいな気持ちになったけれど、別に風景が放課後の教室の一角から変わったわけでも、時間が数日後にワープしたわけでもなかった。
この委員長はその場で足踏みさえすることなく、さらりと髪をかき上げ、清純派アイドルフェイス携え、『後日談のてい』ですぐさま俺に相談を持ち掛けてきやがったのだ。
「私のお友達のお話なんですけどね。止められてはいないんですけれど、一応お友達のセンシティブなお話ですから、先日は躊躇ってしまいましたが、もう大上絵君にはバレてしまっているから話してもよろしいですよね? 相談に乗って頂けるのですよね?」
会話の捻じ曲げ方が強引過ぎる。急展開通り越して一人芝居じゃないか。
「この女いつもこうなのか?」アイコンタクトでギャルに助けを乞うと諦念を含んだまなざしで二回頷くだけで、それどころか、
「あー私ちょっと用事あったわー! 二人の邪魔しちゃ悪いし、先帰っちゃうねー!」
机からお尻をどかすや否やアクセサリーでごちゃついた通学カバンをひったくるように持ち、持ち前のすらりと長い健脚で教室から飛び出さんと第一歩目を踏み出し――「熊野さん」「はい」疾走には至らず、ギャルの生足の向かう先は俺の隣の席だった。
渋い顔をしたまま、俺の手を取り、腕を締め付けるように組む。ミルクのような甘い香りがふらり身体を包み、右腕全体にふにふにと柔らかな感触、脈絡のない急接近に恋愛経験のない俺は何事かと動揺隠さず、ギャルの顔を見、
「おい」
その顔色は青い春の始まりそうなそれではなく、単に青かった。
「死なば諸共ってやつよ、オタク君。こうなったきくっち誰にも止められないから」
耳打ちされた内容に、どうして委員長なしに俺へ相談をしたかったのか腑に落ちる。清楚かつ清廉潔白、恋愛ごとに疎く友人想いな人間が都合のよい、ちょうど求めていた相談相手と出会ってしまったら――。
「……ギャルよ、俺が何故、相談役なんて面倒事を恋愛マスターの百人切りバタフライでもないのにやっているのか分かるか?」
「よややと呼べ童貞オタク。んなもん知らんよ、オタクのこととかキョーミないし」
「俺はなぁ、他人の色恋沙汰が大好きなんだよ。安全圏から、ひりつく修羅場や甘酸っぱい三角関係を眺められるなんて最高だろ?」
「…………最ッ低……え、待って、それじゃあ、」
ギャルの腕を締め付けるように力強く掴む。もうこれで逃げられまい。
「では委員長――いや、歌劇聞声さん、是非君の相談に乗らせてくれ」
その日、興味のない話を聞かされ続け発狂したギャルの慟哭が学校中に響き渡ったとか。