23 ラブコメを享受せよ
「聞かせてもらうか、真犯人さんよぉ。なんで聞声さんをそそのかしたんだ」
県外のファミレス。
俺たちの住む町よりもずっと都会な夜景が窓に連なり、広々とした店内が狭く思えるくらいには客でひしめき合っている。学生二人がテーブル席に座っていても、時間も時間だが、咎められることはない。ある種の冷たさと他人行儀がじんわりと満ちていた。
へらへらと笑う彼女はユニフォーム姿のまま、ショートケーキのてっぺんを飾るいちごをぱっくり一口で平らげる。
「ふむふむ。つまり君は私がきくこちゃんをそそのかし、運命の人じゃなんじゃという作戦を練り上げ、裏で操っていた真犯人、そう言いたいわけだ」
「そう言いたいというか、そう言ったんだよ」
俺の苛立ちを隠そうともしない返答に女子バスケットボール部エース、小さな巨人こと、瀬沿静咲は軽薄と笑みをたたえるばかりだった。
「そんな妄想聞かせるために、わざわざ遠征先まで来ちゃうとはご苦労なことだね。ほら、あいくん、お口開けて、あーんしたげるよ」
「フリースローの件もあんたが仕組んだんだろ」
指先で弄ぶ、ケーキの欠片が乗っかったフォークの動きがぴたりと止まる。
「……君の結論じゃあ、ロマンチストの暴走だったはずだけど」
目つきが試すそれへ変質する。
今度は誤魔化すことなく、ギャルの推論を交えて考察を語った。
大雨ではないといけない理由がきちんとあった、と。
「だが、」否定されるより先に言葉を続ける。酸素が足らずに、頭が若干くらつくも、ここで話すのをやめてはならない。彼女に隙を与えてはならない。
「その裏には瀬沿さん、あんたがいた。理由は二つ。一つ、フリースローにはコートがいる。ボールがどこぞに飛んで行かないよう鉄柵で覆われたコートにな。だがその鍵は職員室で一元管理、並みの部員じゃあ大雨の日に借りられるはずがない。二つ、フリースローにはボールがいる。学校の備品を使ったとして、体育館から持ち出すとして、これもただの部員じゃあ難しい」
「それだけ? 鍵は晴れた日に借りっぱなし、気付かれたところで忘れてましたーでも済むし、ボールくらいバスケ部なら自分の持っていてもおかしくないよね? 大雨に告白させたのが私って証拠にゃあならないんじゃないかなぁ」
「……あの日は大雨だったらしいな。部室や体育館からコートが全然見えないくらいの」
「よく覚えてるよ、何せ練習中全然外見えないんだから。ありゃ酷い雨だった。警報よくでなかったね。で? だからなに?」
いびつに口角を曲げる。それは微笑みというにはあまりにも禍々しい悪魔のそれだった。
だが、これは俺の攻撃のターン。余裕綽々も今のうちだ。
「練習中全然見えなかった? そりゃおかしいなあ、おい。君はあの日、告白の瞬間を近くで目撃しているんだから」
体育の授業中、瀬沿さんが言い放った発言を一言一句違わず、復唱する。
「『あいくんの言うとーり、シュートが決まったら付き合うってやつだよ。しかもフリースローサークルじゃなくてスリーポイントラインで、だ』。おかしいよなぁ。あんたは部活中で無関係なはずなのに、なんで見えないと分からない情報握ってんだよ?」
「……そんなこと言ったかな。聞き間違いかもしれない。私が事前に近くを通り過ぎた目撃情報をさも自分発みたいに話しただけかもよ」
「見苦しいぞ」
「どっちが」
これだけじゃあ口を割らないか。まあ想定内と頭を切り替え、次なる証拠としてスマホの画面を見せつける。表示されているのは犯人候補一覧。
「これ、おかしいとこがあるんだよな。異様に女子が少なくて、ギャルに調べてもらったんだが、どうもよく分からなかったらしい。女子バスケットボ―ル部員がいたかどうか聞くとみんなはぐらかすんだってよ。他の質問は何でも答えてくれたのに、観戦ではなく練習を選んだ部員たちは放課後練習していたはずなのになぁ?」
「…………そもそもなにかなこれ」
この程度のブービートラップには引っ掛からないか。
「聞声さんが作ってくれたらしい、昨日放課後に居残ってた生徒一覧だよ。この中に、俺たちを資料室に閉じ込めた犯人がいるだとか」
「へぇ。つまり私が裏で部員を操って、口封じをして、運命の人を遠隔でもでっち上げやすくしようと、あいくんはそう考えてたわけだ。でも残念。私はこんなもの知らないし、」
「一年五組秋捨のの、一年三組桃園遠子」
「……………………」
「犯人は女子バスケットボール部員だった。二人共自供した。あんたの指示で全部動いてたってな。SNSのチャット画面を確認済みだ」
「…………………………………………追い詰められてでっち上げたのかもよ。いまどき、チャット画面なんかいくらでも細工できるし。私が真犯人なら全ての筋が通ると企んで、」
「まだやるか?」
「……………………………………………………………………………………いいや。よそう」
悪魔は深く、深く、失意を含ませた溜息をつく。
ショートケーキの皿の横、冷ましていたホットコーヒーに指を伸ばし、そっと唇をつけて「あっつ」すぐにテーブルに戻した。
二三周、ティースプーンでかき回して、更に沸き立つ湯気に眉を顰めている。
「あいくんの推測は全て当たってるよ、何もかもね……じゃあ、私がなんでこんなことしたのかも分かる?」
「……元カレがよりを戻してくれなかった理由を消すためかな」
聞声さんからギャルと一緒に勉強を教わっていた友人、別れた恋人に食い下がられている生徒が瀬沿さんの元カレで、元カレがよりを戻してくれなかったのは、聞声さんやギャルに好意を抱いているかもしれないと考えた。告白されても断りそうなギャルは放置、フリーの聞声さんが狙われないよう彼氏を作ることで自分に戻ってくるよう仕向けたかった――という考察をしてみる。
「あすごいね。半分正解だよ。フリースローの推理、もっと聞けばよかったなぁ。正直、甘く見てた」
「半分?」
「私がキューピッドだからだよ」
「違うぞ。瀬沿静咲だ」
「恋のキューピッド。君の相談役と似たようなものだぜぃ。ただし、あいくんとは違って、大っぴらじゃあなく秘密裏に、間接的じゃあなく直接的に、無責任じゃあなく責任をもって、恋のお手伝いをする。それがキューピッドさ」
故に、フリースローの件も運命の人の件も関わっていたと。
聞声さんにも見られた追求の瞳、瀬沿さんはずっとそれであった。あのとき思い出したのは彼女の恋心を信じて疑わない目だったのだ。
「人様のラブコメの登場人物になるとはいい度胸だな。聞声さんは俺と恋人になりたいわけじゃなかった。それで恋の手伝いとか、ふざけてるだろ。あんたは人様の恋を娯楽として消費してるに過ぎない」
「それを言ったらお互い様だよ。慈善事業じゃない。面白くなくっちゃこんなことしないだろ? それに聞声さんに確認を取った上での活動だ『恋の応援をしてもいいか?』って」
「っ……告白の瞬間、全世界にライブ配信すんのも応援か? 大概にしろよ。聞声さんにそんなこと頼まれたのかよ。笑い者にしてくれって、お前は一度でも頼まれたのか?」
「待った。ライブ配信?」
「とぼけるなよ」
「本当に知らないよ。なんだったら今すぐ実行犯の二人とのチャット見てくれても構わない。私はそんな指示出してない。どれだけ調べてもらっても構わない。神に誓って、私はそんなつまらないことはしない」
瀬沿さんは無造作にロックを外したスマホを手渡してきた。
彼女の表情の機微を読みながら、秋捨ののと桃園遠子とのチャットのログに目を通して――そんなことはどこにも書いてなかった。
「私は面白いことしかしないよ。私の思う面白いことってのは、恋が成就すること――それもとびきりロマンチックに結ばれることさ。断じて他人をこけにすることではない……君も同業なら分かるはずだよ」
「…………いまは、そういうことにしておいてやる」
スマホを返却し、やや大仰に手を合わせ、感謝を示す瀬沿さん。
「寛大な判断痛み入るよ。ま、恐らくだけど、実行犯の独断だね。ちゃあんと責任を取らせるから安心していい」
「責任」
「社会的制裁ってやつ。失敗は誰にでもあるけど、悪事は裁かないとね」
「キューピッドの癖にえぐいこと言うのな」
「あいくんだってえぐいことしてるぜぃ? 当日のうちに真犯人たる私のところまで来ちゃってさぁ……それで言えば、私も責任を取るべきだね。あいくんたちに多大なる迷惑をかけてしまったわけで……おっきめのお土産、菓子折り的なの買って直接謝りに行くよ」
秘密裏に、直接的に、責任をもって、恋のお手伝いをする――キューピッド。
気にくわない部分は多々あるが、むしろ不快感が大部分を占めるが、根っからの悪人ではないようだ。
聞声さんへの仕打ちは全く持って許す気にはなれないし、分かり合う気もさらさらないけれども、捻じ曲がっちゃいるが人の幸せを願う行動理念には賛同できる、一応、同業者だし。
小粒程度のリスペクトは持っておいてやってもいいかも、
「馬鹿みたいにオープンで第三者気取って責任も持てない相談役殿とは違うんでねぇ?」
前言撤回、こいつ、潰す。
「ちんたらこそこそやって失敗ばっか、尻ぬぐいを同業他社にさせるキューピッドさんよか五億倍マシじゃねえかなあ!? 知ってっかぁ? 俺への相談件数、年間百件越えてんだわぁ。こぉんな小粒を同業と思ってるだけありがたいと思ってほしいねぇ!」
「百件、えらい沢山解決してるんですなぁ。内訳はどうなってるんだか、どうせ気だるい雑談が半分以上でしょぉ?」
「あっらぁ、告白だけがラブコメだと思っておいでで? 気張って大きな依頼にばっか手を付けるから失敗続きでずっと小粒なんじゃないですかぁ?」
「なにをぉ!? この偽善者がっ!!」
「お前はずっと下品なんだよ! 恋愛は眺めるのが一番!!」
「バーカバーカ! 生涯童貞が何を偉そうにっ!!」
「誰が生涯童貞だ! 未来見てから言え貧乏神!!」
「未来なんか見なくても分かります―!! なぜならここで私がお前を殺すからだっ!!」
推理披露から、諍いから、取っ組み合いに。
俺たちは騒ぎを起こしたせいでファミレスを出禁になった。
♡♡♡
雨どころか雲すらない夜だというのに、都会の光に遮られて星一つ見えなかった。
ファミレスを出てすぐそばの自動販売機に瀬沿さんは寄りかかって、俺は手頃なコンクリートブロックを椅子にしゃがんでいる。
「あいくん」
「んだよ。まだやるか?」
「ぼろ負けしてたのによく言えるね……色々とごめんなさい。熊野ちゃんには後日また改めて謝るけど、あいくんにも、ごめんなさい」
「謝るなよ、お前がまともに思えてくるだろ」
「あいくんに言われたくないよ」
なんだこの野郎、第二回戦開始じゃおらあ、とゴングを鳴らしかけるも、店の外でまで迷惑をかけては申し訳ないと思いとどまる。決して現役女子バスケットボール部部長との体力差、筋力差に怯えたとかではなく。とか、ではなく。
「俺帰るわ。明日は残念会があるからな。お前の元カレを吹っ切れさせるための仲良しパーチ―をカラオケ屋でするからな」
「わざわざそれ私に言う必要あるかなぁ? ほんっとに性格悪いね」
「お前に言われたかねーな……なんだよその顔」
「別にぃ? マジでもう一回殴ったろうかなとか考えてないし」
「殴った瞬間、プライドを一ミリも感じさせない絶対に刑事裁判で勝てる喚き方をするぞ」
立ち上がり、スマホで夜行バスが何時ごろ出るのか確認……よし、多分間に合う。
「じゃあな。試合、頑張れよ。頑張った上でむごたらしく負けろ」
「余裕勝ちして本戦絶対行くし。ばいばい、また学校でね。できれば会いたくないけど」
お互い手も振らず、反対方向に歩き出すことで別れをつつがなく終わらせる。
特に寂しさも達成感もなく、謝罪をしてくれるとは言ったもののどう転ぶか分からず、宙ぶらりんの気持ちをどこに収めればいいか迷っていた。
とうとう真犯人を追い詰めたってのに牢屋にぶち込むことも、引導を直接渡すこともできない。
曖昧な決着のまま、ことが済まされようとしている。
事件は終わろうとしている。
きっとこの気持ち悪さは相談役としてではなく、聞声さんの友達としての独善的な苛立ちによるものだった。
俺は瀬沿さんに駆け寄った。
まるでたまたま出先で同級生を見かけたときのように、息も声を弾ませて、ついさっき別れたはずなのに一部始終を忘却――ラノベを一ページ丸ごと読み飛ばしたかのように、時系列も関係性もすっ飛ばして話しかける。
「瀬沿さん、偶然だね。明日、君の彼氏と遊ぶんだけど来ない?」
俺は自分の性格の悪さを知っている。
相談役という人様の恋模様を覗き見る醜悪さを一度も忘れたことはない。
他人の嫌がることを言うなんて屁でもない、友達が関わっているならなおのこと。
帰りのバスは実によく眠れた。
♡♡♡
「あーいてぇ……くそ、あいつ本気で殴りやがった」
ドリンクバーで色味が鮮やか過ぎるメロンソーダをプラコップに並々注ぎながら、昨晩の余計な一言によって頂戴した右ストレートをもろに受けた頬に手を当てる。
昨日はなんともなかったのに。
アドレナリンとかが関係しているのか、一日置いてみるみる腫れてきたのだ。幸い、喋る分には、カラオケを楽しむ分には何ともないのだけれど、
「病院行った方がいいのではないでしょうか……?」
「聞声さん」
コップを両手で包むように持つ彼女はおずおずと、声に心配を含ませる。
「すみません。私のせいで」
「いやこれは俺のせいだから。流石に腹が立ってあいつの痛いとこついただけだから。病院は後で行くけど……ったく、すぐ手が出るやつは駄目だね」
「……すみません」
聞声さんもすぐ手が出るタイプだった。
「あーいや」視線を泳がせ、話題を変える。「聞声さんの友達は楽しめてる? 今日はそいつの残念会なんだし、俺もできることがあればするよ」
「それが……楽しんでるようなんですけど、ちょっと私の思い描いていた楽しみ方とは違うと言いますか、」
「多分、つちっち、きくっちに気があるんだよ。残念会なんか開いちゃったもんだからその気持ちが加速してるって感じ?」
「熊野さん!?」
音もなく忍び寄ってきたギャルは挨拶を短く済ませて、片手で支えるコップだらけのトレイからてきぱきとジュースを注いでいく。
ギャルという生き物はパーティー系の催し事で活躍するイメージがあったが、偏見ではなかったらしい。
「そのつちっち何某のこと、聞声さんは好きなのか?」
「……友達としては好きです……あの、できればうまいことかわしたいというか、残念会は何事もなく終わらせたいのですが、手伝ってくれませんか?」
「「もちろん」」
「「あ?」」
「いまのは俺に言ったんだよ」
「いや私に言ってっし」
「お二人に言いました!!」
相談役は困っている依頼人を捨て置かない。
断る理由はない。
頭の中で軽くシミュレーションして、的確なラブコメを紡ぐ。
「コホン。じゃあ、こんなのはどうだ?」