12 お母様を享受せよ
歌劇さん宅は高層マンションの最上階だった。
近所だから知っている、ここ、死ぬほど高い(金額的に)。
最近ぽっと建てられた築浅のドデカイマンション。地方のまだ栄えている町とは言え、一体誰が住むのか困惑するくらい強気の価格設定で目ん玉ひんむいた記憶があるのだが、
「なああああっ!? おいっ即死コンすんな!!」
「即死コンじゃないですうううう! 体力八割もっていけるだけの激ムズコンボですうううう!!! 悔しかったら昇竜くらいコマンドで出したらどーですかぁ!?」
そんなマンションの最上階の一室にて、俺は歌劇さんに負け越していた。
何の勝負かって? 格ゲーでだ。
床は大理石製、白いビロードの絨毯が敷かれて、顔を横に動かせば壁の一面が全てガラス張り――この町の夜景を一望できる。この一室だけで我が家のリビングの広さを越えていた。
こんな家に住んでいるのか。
こんな家に呼んでくれたのか。
こんな家で俺は格ゲーをやらされているのか。
こんなことをするために俺はざらついた不安に心を撫でられたのか。
疑問というか、この状況への置いてけぼり感を取り返す間もなく、技を挟む間もなく、歌劇さんは激ムズコンボとやらを完走し、壁掛け大型ディスプレイの中で俺のキャラクターはノックアウトされた。これで更に黒星を重ねたことになる。
天蓋付きのキングサイズベッドに歌劇さんは腰掛けていた。
隣に座れと何度も命ぜられたが、女の子が毎日寝ているつやつやと輝く純白のシーツの上に俺のような庶民が尻をつけることは躊躇われた。カーペットに正座し、コントローラーを握るのが精一杯だった。
「ふぅ~~~相手になりませんねぇ~~~」
太ももの上にレバーレスのアケコンを乗せながら放つ言葉と表情には節々に煽りと侮りが表れており、学校で接する友人想いのアイドル委員長とは全く別人のようだ。
ああいや、
「暴力性はアナログもデジタルも変わらんか」
「何をぉおおお!?」
「声を荒げるってことは図星かぁ? いいから再戦だ」
青筋を立てながらも必死に苛立ちを隠した語気。漏れ出るものあるらしく、によによと余裕ぶった笑みを浮かべ、歌劇さんは『再戦』にカーソルを合わせた。
「ただいまー」
試合が始まるのとほぼ同時に、間延びした、ほわほわと柔らかな声がすうっと遠くから聞こえた。
歌劇さんのお母さんが帰ってきたのだろうか。いや、にしては声が若い。一人っ子のはずだから姉妹はない。居候とか、いとこだろうか、
「あれ? 聞声、誰か来てるのー? 言ってよぉ」
「連絡してねえの!?」
「あ、忘れてました」
スリッパを履いているらしい、軽い足音が着々と近づいている。
一直線に歌劇さんの自室に向かって。
いくらこの家が広いとはいえ、到着に一分も掛からないだろう。
とっくに操作を放棄した俺のキャラクターに弱攻撃を繰り返し続けるあんぽんたんにこの状況のまずさを完結に伝えるには、
「連絡もなしに男を連れ込んだら家族がどう思うかくらい賢い歌劇さんには分かるよな?」
首を傾げられた。
反応はただそれだけ。
「聞声、入るねー」
ああ、終わったんだ。俺の人生。
隠れる間もなく歌劇さんの親族は部屋に入ってきた。
歌劇さんを正統派アイドルとするなら、K-POPアイドルのような人だった。
しなやかな手足にほっそりとした輪郭、やはり顔つきは凛々しく、部分部分で見れば歌劇さんとそう変わらない、血縁を感じる要素ばかりなのだが、総合すると途端に格好良さや瑞々しさが目立つ。服装にしたって、実はアーティストと嘘つかれても信じてしまうほど奇抜で、スタイリッシュだった。肩からぶら下げる大きなトートバッグや、反対の手から提げるケーキ箱を含めてキマっている。
一秒。
歌劇さんの家族と俺は見つめ合っていた。
永遠の時にも思えた。
不審者かどこぞの馬の骨と疑われないため、格好良い彼女に格好良くKOされないために知恵を絞り、脳を震わせ、蓄積してきたあまねく語彙や話術等を総動員して、絞り出した俺のアンサーが、
「誤解なんです。歌劇さんのお姉さん」
静寂は再び訪れる。
ああ、終わったんだ。俺の人生。
スリッパすら履きこなし、様になるお姉さまはためらいなく俺の眼前まで迫った。
心臓が止まってしまったくらいに血の気が引いて、これから俺が食らうのは昇竜なのか竜巻なのか攻撃方法に思いを馳せることしかできなかった。
「お姉さんとか……私もう四十六歳なんだけど? そ、そんなに若く見えるんだ……ふぅん……ねえ僕、今日泊っていくよね?」
「は? よんじゅ、は? え?」
蠱惑的に頬を赤らめ、腰をくねらせるお姉さま(四十六歳)と歌劇さんを交互に視線を高速移動させる。到底信じることのできない若々しさへの動揺で頭がもげそうだった。
見かねたらしい歌劇さんがやれやれと溜息をついた。いやあんたが最初から説明してくれたらこうはなってないんだけど。
「そいつ、私のお母さんです」
「……………………マジ?」
「歌劇嬉々。お母さんだよー」
ほのかに赤みがかった頬の色は失せて、凛々しくも冷たい眼差しを向けながら、両手をひらひらと揺らした。何度見ても母親のビジュアルではないし、言葉遣いも若過ぎる。
歌劇さんに姉がいないことは知っていたけれど、あの美貌を前に母親と判断するのは無理! 頭がバグる!
「最近のラブコメだってこんな言ったもん勝ち状態の母親出さねえぞ……?」
「言ったもん勝ち?」
「気にしなくていいですお母さん。大上絵君はたまに……その、専門用語を使ってしまう癖があるので」
苦しい言い訳に歌劇さんのお母さんは「賢いんだね」淡々とした口調で微笑んだ。
「あ、俺、大上絵藍って言います。歌劇さんの友達です」
「私の?」
「ああいえ、歌劇さんのお母さんのではなく、歌劇さんの友達です」
「おばあちゃんの?」
「確かに歌劇さんのお母さんは歌劇さんにとってのおばあちゃんですけど……」
「えっ……哲学の話……?」
「違いますよ!?」
老いを克服したっぽい人が哲学の話をし出したら、俺たちはおしまいだ。ラブコメの話なんか一生できない。歌劇さんのお母さんの視線はあまりに真剣だったもので、いたたまれなくて、
「俺は嬉々さんのではなく、聞声さんの友達です」
背中に感じる視線が突き刺さるようなそれに変わって、その意味や理由を知るより先に、
「ああ、なるほど。聞声の。というか、それ以外ないよね、ごめんね」
「分かっていただけましたか……」
「聞声と仲良くしてくれて本当にありがとう。これからもどうか仲良くしてね」
歌劇さんのお母さんは微笑む。
一見とても格好良い人だからそんな感情も備わっているのかと、驚きで返事に詰まって、「もうっお母さん!」その間に微妙な表情を浮かべた歌劇さんが追い出してしまう。
背中を押されながらも、微笑みが途切れることはなく、「ご飯食べていくよね?」とか「そのあとは一緒にケーキ食べよう」とか、淡々と語りかけてきた。
ようやく扉を閉めると、どっと疲れた顔をして、
「ね、言ったでしょう。うちのお母さん、超絶ルーズで放任主義なので、連絡しなくたって大丈夫なんですよ」
「……首は傾げられたが、言われた覚えはないぞ」
「…………すみません」
『TIME OVER』時間切れによる引き分けの格ゲー音声が広い部屋に虚しく響いた。