1 男女の友情を享受せよ
「俺は童貞であるが故に性交渉のない友情しか知らず、男女の友情が成立する世界に生きている」
春と梅雨のちょうど間の曖昧な時期。
代わり映えのしない放課後を怠惰に過ごす俺は茜差す教室で繰り広げられる『男女の友情は成立するのか』という論争に終止符を打つべく、最強のカードを切った。
よもや殴り合いの喧嘩に発展するのかとはらはらさせる激論は俺の完膚なき意見によって、嘘のように静まり、事なきを得る。
ふっふっふ……流石は百戦錬磨の『相談役』、この程度の恋愛相談なんてお茶の子さいさいだぜ。
「いやぁ……あいっち、そりゃあないよ」
「大上絵君、最低です」
『男女の友情は成立する派』の容姿の美麗でギャルっぽい女子生徒は微妙な顔で硬直し、『男女の友情は成立しない派』の容姿の端麗で委員長っぽい女子生徒は侮蔑を含んだ目を向けてきた。
「えぇ……」
いわれなき誹謗中傷に一瞬どこの法務部へ駆け込めば良いのか思案してしまったけれど、これは俺の説明不足が故の認識の祖語ってやつ――パンチの効いた一言を選んでしまったためにちょおっとばかし勘違いしてしまったのだろう。いやあ失敬失敬。相談役らしく、納得のいく説明をせねば。
「コホン。誰だって幼少期には男女問わず楽しく遊んでたよな? ませた奴は幼稚園とか保育園で恋を覚えるらしいが、それより前なら性別に囚われることなく誰とでも仲良くしたはずだ。それが高校に上がった途端に成立するだのしないだの議題を生む。ここの違いはなんだ? その頃には誰しもが恋を知るからだ。では恋人がいる連中は男女問わず友達を作れているか? 否だ。ではここで指す『恋』とは? まーありていに言えば、セッ、」
「「言うなああああああ!!!」」
甲高い咆哮と共にギャルっぽい女子生徒は俺の弁慶の泣き所を椅子に座りながらも的確に蹴り崩し、痛みに悶える間もなく委員長っぽい女子生徒は椅子で後頭部を殴ってきた。
「ぐふううううっ!?」
数キロある鈍器での暴行は激しい痛みを生み、向こう脛の鈍痛などとうに掻き消えてしまった。なんというコンビネーション。
更なる猛攻を危惧して後頭部をガードせんと両手で包むように抱えるも、二人がそれ以上攻撃を重ねることはなく、むしろ魔が差した犯行に気まずさを覚えているらしく目を逸らされてしまう。
「い、いまどき暴力ヒロインかよ……ラノベ読んで出直せ」
「読んでるけど」
ギャルっぽい女子生徒が言ってのけた。見かけによらなすぎるだろ。
「……一冊の値段は?」
「五百円前後」
「二千年代初頭じゃねえ! 最近のやつ!!」
なんで自分の年齢より古いラノベをギャルが読んでるんだよ。ギャルからすれば古事記とどっこいどっこいの難解さじゃないか。
「というかラノベ読んでるならなおさらそのワードの駄目さ分かるっしょ。あのジャンルじゃ童貞いじりが関の山だって」
「ぐ、ぐぬぬぬ……ギャルに論破されてしまった……なんたる屈辱ぅ……」
「ギャルって呼ぶなし。よややって呼べって何回言えば分かるわけ?」
「君こそ分かっていないな。クラスカースト最上位ランカーのギャルの下の名前を呼び捨てにしたオタクの末路なんぞラノベを紐解くまでもない。俺が引きこもりにランクダウンしてもいいのか?」
「あーだるいだるい。オタクの被害妄想ちょーだるい。友達なのに名前呼ばないの意味わかんないっしょ。なんか誰かに言われたらすぐ言えし。そいつのランク下げてやっから」
「ありがとう。ハンムラビ法典じみた倫理観は気持ちだけで十分だ」
「反……村……? 弱めのポイズン……?」
この、知識が二十年前くらいで固定されてしまっているギャルの名は熊野夜夜夜、その外見さえも二十年前からタイムスリップしてきたようだった。
高校二年生が二十年前の正確なギャル像を知るすべがあろうはずもないので、実際には「あー二十年前のギャルっぽいなー」みたいなふわっふわした感じだが、平成レトロを基調としたビジュアルには変わりない。
ミルキーブロンドの甘くやわらかなストレートロングに高校生にしては濃い目のメイク、その凛々しい碧眼も相まって作り物めいた美しさを匂わせているけれど、柔和な笑みとすっきりとした輪郭、親近感を覚える穏やかさがそれを否定していた。
ギャルの標準装備らしい、折った回数が戦闘力となる校則と恥をぎりぎりまで攻めたプリーツスカートに、着ているところ見たことがない腰に巻いたカーディガン、やたらめったら多い謎アクセサリー、ここまできたらルーズソックスも履いてほしいところだけれど、「それはやりすぎ」と突っぱねられてしまった。
ギャル装備を身に纏う体躯はすらりとしなやかなモデル体型で、ここまでギャルの似合う人もいないだろうと納得してしまうギャルの中のギャルだった。
男女の友情は成立するといって一歩も退かなかったのは彼女だ。
「あの、頭、大丈夫ですか?」
「言われてるよーあいっち。やっぱあの発言はえげつないって」
「ただ知り合いなのに馬鹿にされるほど!?」
「違います! 確かに酷い下ネタでしたけど! ……私が心配しているのは思わず殴ってしまった頭に怪我はないかと……」
「心配するの遅くないか? ラノベで言えば一ページ分の間があったぞ」
「だ、だってお二人が楽しそうにおしゃべりしているんですもの。間に入るのは悪いと思って……」
「おしゃべりってか小競り合いだけど。というか、きくっち天性のDV気質だねぇ」
「うぅ……本当にごめんなさい……」
けらけら笑うギャルに反論もなく、委員長っぽい女子生徒――歌劇聞声は小さく縮こまるばかりであった。
一昔前の委員長と言えば三つ編みおさげに眼鏡が相場だろうが、二十年前を生きるギャルとは打って変わって実に現代的で清楚チック、クラスのアイドルなんて風合いの美少女だ。
さらさらと艶やかな黒髪を肩まで伸ばし、黒い垂れ目に高校生らしい薄めのメイク、ブレザーの改造箇所は一つもなく、全体的に丁寧というか突出して飾ったところこそないが、それでも彼女がクラスの地位をアイドルたらしめているのは並外れた品のよさ、それに尽きる。
人当たりがよく、愛想がよく、愛嬌があり、所作が美しく、文武両道で、そもそも素材がよい。自分の美貌を鼻にかけないというだけでも好感度は高いのに、性格もいいとなれば人気者になるのは必然だろう。
高校生活における最たる面倒事の一つ、委員長を引き受けたともなればその支配力は絶大――委員長の中の委員長、そう称してもクラスから反論が出ることはあるまい。
もっとも、俺はその委員長の中の委員長から下品な暴行被害を受けたわけだけれど。
断固として男女の友情は成立しないと言ってきかなかったのは彼女だし、見た目と性格によらず、スタンスは案外粗暴らしい。
「クラスの三大マドンナの二人が揃って何事かと思ったが……いいねえ、学生らしくて。一人の男子生徒に二人揃って惚れちゃったラブコメ展開かと勘繰っちゃったぜ」
「……茶化さないでくれますか? 私たちにとっては大切な問題なんです」
「そーそー。きくっちがガンコだから、こーやってあいっちのとこにわざわざ来たんだし」
「こんなによややちゃんが分からずやじゃなかったら、大上絵君を頼っていません。というか、相談役ってなんですか。まだ私説明受けてないんですけど」
「その前に言い争いが勃発したからな」
「……すみません」
俺に向けられた責めっけのあるジト目は一転、非礼を詫びるようなそれに変わった。
「いいよ。委員長様の新たな一面が見れたってことでチャラにしてやろう」
多少キザに肩を竦めるとギャルに笑われた。お前に何が分かる。
時系列で並べると、教室の隅っこで居残りしていた俺の元にアポなしでギャルが、付き添いで委員長が現れた。面識のあるギャルが相談を始め、その内容には委員長もかかわりがあるらしく、話に割って入り、ディベートへ……という具合だ。
「おい、ギャル。なんで説明してないんだよ」
「よややと呼べオタク。そりゃあ、付き添いのつもりだったし。話分かんなくてもいいっしょって……」
「がっつり関係者っぽいのにか? ったく……まあ、相談役っていうのは俺のあだ名みたいなもんだよ。主に恋愛関係の相談を受けている。今回みたいにディベートの審判をすることもあれば、痴話喧嘩の仲裁、浮気の証拠集め、クラスの相関図調査から惚気の壁打ち相手までなんでもござれ、だ」
「恋愛経験ないのによーやるよねぇ」
「お前もねーだろうがよ!」
「私はラブコメしようと思えばできるしぃ? んな変なことしてないしぃ? てか同じクラスなのにきくっち知らんかったの?」
「え、ええ。大上絵藍君のことは出席番号近いのでもちろん知ってましたけど……話したこともありませんでしたし。色恋ごとも疎いので」
そう大したことでもないのに委員長は申し訳なさそうに俯き、力なく笑った。
気まずさから漏れ出た笑みだろうが、清楚を絵に描いたような委員長様にかかれば、どこか魅力的でアンニュイな色気を帯びる。その薄紅色の唇がやけに湿って――おおっと、いかんいかん、見惚れている場合か。
「で、話を戻すけど、」閑話休題の運びに誘導すると、お前が変な発言したからだろうと言わんばかりに冷ややかな視線が二つ、木張りの椅子へ座り直した俺へと注がれた。
が、そこは仮にも相談役、この程度の修羅場など幾度も潜り抜けてきたわけで、鍛えられた鋼の心臓は次の言葉を紡ぐ。
「相談の内容は、『男女の友情は成立するか、否か』の話し合いで、いいんだな?」