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暁のホザンナ  作者: 青柳ジュウゴ
79/84

79 真誠に微睡む残響 - 3 -

よろしくお願いいたします。

 何がどうしてこうなったのか。

 最早原因を考えることさえ放棄して、ルーシェルは呆然とベンチへと座り込んでいた。目の前をエルフ達が行き交うのをただただ眺めている、揺れる真白いスカートの裾、緑のリボン。賑やかな声、聞き馴染みのないメロディ。道に敷き詰められた石畳は人が通り過ぎる度、場違いなまでに軽やかな音を立てている。足元を舞い落ちてもなお色彩を保つ花弁が彩っている。


 花祭り最終日。

 賑わいは否が応でも増していた。


 半ば強制的に追い出された屋敷からはいつものコートを持ち出せないでいた。代わりに渡されたのはこれまた嫌味なほどに真っ白な日傘である。木漏れ日が降り注いで、ちかりと目を刺す光を遮るように傘の角度を変える。なんでこんなことに、もう何度目になるかもわからない問いを繰り返しながら、目の前にいる男をぼんやりと見ていた。手の中で日傘の絵を弄ぶ、背中に目でもあるのかとでも言わんばかりに男の意識はこちらから離れない。離れないまま、何やら露店で購入している。悪夢のようだ。


「どうぞ」


 振り返った青い瞳が柔らかく溶ける。

 こちらへと差し出されたのは一つのカップ、その中で淡い桜色をした液体が小さく揺れていた。水面をしゅわしゅわと小さな気泡がいくつも揺れている、中に入っているのは花弁だろうか。


「…………いらん、」

「折角ですので是非」


 ふいと顔を背けるのだが、優しげな物言いの男はしかし少しも引きやしない。


「結局朝は何も口にされていませんし、顔色も悪い。気分転換にでもいかがでしょう。とても美味しいものでしたよ」


 ね、と。駄々をこねる子供に言い聞かせるような顔をして、小首を傾げるな大の男が。違和感がないのが一番の違和感とは一体どういうことだろう。

 じろりと睨みつけてやる。

 いつもの調子が戻ったのか、男は堪えた様子もなくにこにこと笑っている。笑いながら、美味しいものだった、と口にした言葉は過去形である。既に堪能しているのか。自分の為に何かを買うような奴だとは思えない、一体誰と飲んだのやらと思えば、なんだか胸の奥が燃え盛るような熱を帯びるのだった。

 だいたい、顔色だって一体誰のせいだと思ってるんだ――喉元まで出かかった言葉をかろうじて飲み込む。こうして差し出された食物を拒否した結果が朝の騒動である。食べないと拒絶するこちらと体調を心配して食べさせようとしてきた天使、そこに第三者の乱入により目も当てられない騒動へと発展していったのだ。

 曰く、厚意を無下にする無作法者だの、気遣いのわからない冷血漢だの。天使らしく悪魔のように口汚くはないものの、それはもう散々に罵倒された。それにまたリーネンが大反発し……流石にヨシュア自身が苦言を呈したおかげで騒動は沈静化したものの、それこそ場の空気は最悪なものと化したのだ。そしてその空気を犠牲にした事によって何も口にしないことを勝ち取ったのだった。勝ち取ったのに、なんだろう、虚しさが凄まじい。

 

「…………、」


 はあ、と。これ見よがしに重く溜息。

 諦めの言葉ばかりが積み重なっている。


 白と銀二人の、あの凄まじい表情はなかなかお目にかかれるものではなかった。天使がしていい表情じゃない。こちらへと向けられるのは「何誑かしてんだ」という憎悪、言い掛かりにも程がある。それだけ大切なんだろうとはわかるが、私には関係がない。というか正直こちらとしても勘弁してほしい。

 

 今現在白と銀の天使どもはオリビアに引き留められていてこの場にはいない。いないのだが、この一対一のやりとりですらあの騒ぎがちらついてすこぶる気分が悪い。贖罪だなんだと言って必要以上に世話を焼く男、それを騒ぎ立てる周囲の構図はもううんざりだった。そう、こいつは強情なのだ。物腰柔らかな物言いだが絶対に折れない。あの手この手で己の我を通そうとするのだ、どこまでも善意で。良かれと判断したことに対して一切の妥協がない。


「嬉々としやがって……」

「誰かの役に立つこと以上の喜びがありますか?」

「悪魔の世話を焼くなど反逆もいいところだろうに」

「困っている方を助けることに何の躊躇いがありましょう」

「偽善者め」

「なさぬ善より成した善でしょうに」


 へこたれない。

 相変わらず代わり映えのしない言説である。善であることの盲信、まるでそれでしか己を確立出来ないかのような物言い。

 眼の前にいる男はどこまでも清らかに微笑んでいる。それが無性に気に食わないでいた。なんだかわからないが非常に気に入らない。むかつく。いらいらしながら男を睨むのだが、相変わらずヨシュアは儚ささえ漂うやわらかな笑みを浮かべるばかりなのである。さながら陽の光の中に溶けていってしまいそう。こんな上背ばかりでかい木偶の坊に一体何を馬鹿なことをと思うのに、そんな風に思ってしまうのだからいい加減重症だとも思う。


 差し出されたカップ。

 容器は透明で、光を受けて気泡がきらきらと輝いている。

 男はこちらが胡乱な眼差しで見つめるものの手を引っ込めることはない、受け取るまでじっと待っているのだ。あれだけ朝、こちらが拒否したというのにまさか受け取らないとは微塵も考えていない顔である。性善説、行き過ぎた善性。ここまでくれば最早根比べである。どこまでもぶれないその強情さはいっそ滑稽ですらある。

 それでも、気遣われたのは確かだった。贖罪だなんだとよくわからない理屈で行動するものの、こちらに対する悪意も下心もないのは間違いなくて。やりにくい、言葉にするならばきっとそんな一言。

 

 こぼれ落ちるのは行き場のない感情と吐息。

 ああもう、本当に。


「……これだけだからな、」

 

 観念したように口にする。

 このクソ馬鹿にも自分自身にもげんなりしつつ、しかしだからといって差し出されたものをすぐに手にするのも癪で。嫌々だが仕方がないという体を装ってカップを受け取った。揺れる液体、かろん、と氷が小さく泣く。容器からひんやりと指先へ伝わる冷たさが心地よくて、日傘を肩で押さえながら両手で包み込むようにしてカップを支えた。

 こちらの感情などガン無視の天使はその様子を見ながら、酷く満足したらしい。へらへら笑ったまま、失礼しますとこちらの隣へと腰掛けた。流れるような美しい所作に拒絶の言葉が一瞬、飲み込まれる。ぎしりと小さく鳴る木製のベンチ、二人の間にほんの少しだけ開けられた隙間。僅かに身をすくませるが、男は気付いているのかいないのか、気付いていたとしても無視しているのか。定かではないが微動だにしない。


 何を勝手に座っている、側に寄るな、そう、いくらでも毒づくことは出来たはずなのに。あまりにも男が穏やかに微笑んでいるものだから――結局、かけるべき言葉をなくしてしまった。

 姿勢よく腰掛けていて、まあなんというか育ちが良いのだろうなと思わせるだけの空気を纏っている。……なんだろう、こちらに対して少し、遠慮がなくなったような気がする。いや訂正、いつもこうだったなこの男は。


 どこを見たらいいのかわからなくなって、視線をうろつかせる。双方の間に横たわるのは軽やかな沈黙。代わりに飛び込んでくるのは周囲の耳に痛いまでの喧騒。聞こえてくるのは自分にはあまりにも不釣り合いでやわらかく暖かな会話だった。通り過ぎていくだけのもの。

 何となくいたたまれなくて、コップの中身を少しだけ口にする。

 酷く甘ったるくて、舌先に少し苦味が残った気がした。喉を通り過ぎていく冷えた液体が胸の内でじわりと広がる。口の中で弾ける気泡が喉を滑り落ちて行く。燃えるような胸の内、思考、少しだけ熱を落としたような気がする。

 ちらりと盗み見た男の手には何もなかった。行儀よく膝の上に乗せられていて、細く長く、白くしなやかな指から目を逸らせない、ではなくてだ。

 

「…………貴様は」

「え?」


 無理やり言葉にしたら、それはそれで想定外だったのかきょとんとした眼差しが返ってきた。どこまでも遠く透き通った空色の瞳が、腹の底まで見通すようで居心地が悪い。

 

「いや、お前は飲まないのかと、」


 取り繕うように口にすれば ああ、と。得心がいったように男はふわりと微笑んだ。

 

「そろそろ手持ちが心もとなくて。増幅装置も破壊してしまったようですし、何処かで入手しなくてはなりませんので」


 エルフの皆さんは魔法が使えるので、この里には売っていないそうなんですよねぇ。

 先日記憶を吹き飛ばしこちらへと強大な霊術を使おうとした男は、なんでもないようにのんびりと答えた。どうやら残金は少ないらしく、流石に節約するつもりらしい。ふうん、適当に相槌。

 この世界では何かしらの媒体を噛ませなければ術の発動まで至らない。サンダルフォンは問題なく術式を使っていたのだから多分、正規の手続きを経ないままこの世界へと転移してきた自分たちが何らかの理に縛られたのだろうとは思う。それが一体何の意思であるかなどはこの際どうでもいい、結果が全てである。

 ともかく、どこぞで増幅装置を新たに購入するつもりでいるようだ。今朝のように私のものを頭数に入れてはいないようで心底安堵する。あんなふうに毎回手を握られてはたまらない。


「また闘技場で稼ぐのか?」


 問いかけには大した意味はない。興味もない。

 人の生活というものから外れた天使が、人のように金勘定に苦心するのは面白いものだと思ったに過ぎない。ないのであれば獲得するしかない、強奪が手っ取り早いがこの男は良しとはしないだろう。ならば前回のように地道に肉体労働だろうか。手を貸すつもりなど当然ながらないが。

 

「それは……あまりしたくはないですねぇ」


 結構意外な言葉が返ってきた。

 

「護るべき人に刃は向けたくありませんし……戦うのは、あまり、好きではなくて」


 前回はやむにやまれずでしたし。

 珍しく歯切れ悪くヨシュアは口にする。


「脳筋のくせに?」

「そんな風に思っていたんですか?」


 思わず漏れ出た本音に、実に嫌そうにヨシュアは顔を顰めた。心外だと言わんばかりである。

 いやだって、貴様、あれだけ圧倒的な強さを誇っていながら争い事は嫌とか一体何の戯言だというのか。他を寄せ付けない剣技、圧倒的な霊力、そこから繰り出される霊術は比類なく。戦闘狂とまでは思っていないが、誰よりも強いこの男が争い事は好まないとか冗談だろう。いや、不必要なまでに慈悲深いこの男だ、ある意味らしいと言えばらしいのだろうか。


「…………そう、ですね」

 

 男は一つまた笑みをこぼすとこちらから視線を外した。前を向いたもののその眼差しは一体何を映しているのだろう。何かを見ているようでいて、何も見ていないような気さえする。道行くエルフ達、露店は賑やかで楽しむ彼らの声も鮮やかである。花祭り、生と死を表す豊穣祭。異物としての自分達はその輪の中には入れない。

 会話は途切れたまま、双方黙りこんでいる。

 昼を過ぎた里はより一層活気と花で満ち溢れていた。

 空は青く風は緩く、陽光は木々に遮られまばらに降り注ぐ。不快だがそれまでの光源。ふうわりと風は甘く香り、頬をゆるやかに撫でていく。手の中には冷たい液体、揺れる日傘。風に舞う花びらの色が眩しくてどうにも座り心地が悪い。

 

「務めを、果たさなくてはならなくて」


 ほつりと落とされたもの。

 それはまるで、空に溶けていくかのような儚い声色だった。


「護る為に剣を振るう。それこそが私に与えられた責務でしたので」


 男の言葉は相変わらず要領を得ない。

 脳筋だろうと言ったこちらに対する弁明のつもりなのだろうか。戦いは嫌いだが戦わざるを得なかったとでも言いたいのだろうか。戦場に、長く居たらしいのに? 自ら名乗った戦天使、磨き抜かれたその技、容赦のない圧倒的な強さ。それは、望んだものではないと?


 ざあ、と風が通り過ぎていく。淡い色彩の花弁が無数に舞い踊る。

 己の長い黒髪が風になぶられて視界を覆い、手にしていた日傘がふわりと飛んでいった。それを見たヨシュアはゆっくりと立ち上がる、転がっていく日傘へと伸ばされる手。楚々と傘の柄を持ち上げる男の指先、揺れる金の髪、軽やかな足取り。振り返る、柔らかな光をたたえた空色。

 

「――誰にも、言えない事があるのです」

 

 内緒話のように。

 さながら誰にも聞かせるつもりのない囁きのように。

 

「私は嘘つきなのです」


 しい、と。自身の唇に人差し指を添えながら男はゆるく目を細めた。耳を澄まさなければ聞こえない程小さなその声は、けれど何故だろう、叫び声のようにも聞こえた。ごく自然にこちらへと差し戻される日傘、落ちる影、長く揺れる金の髪は闇の中に差し込む光芒のようでもあり、救いのようであり絶望のようでもあった。やわらかな表情で微笑んでいるのに、纏う空気も与える印象も完全な無だ。ここにいるのにどこにもいない。透き通った儚さ、無色透明。

 

「……は、……」


 声が喉の奥に張り付く。

 受け取った日傘をぎゅうと握りしめる。覚えるのは言いようのない不安だった。存在感、体温、確かにそこに存在しているのにからっぽ。どこにもいない。いない、から。だから取り繕うように自己犠牲に走るのだろうか。自分しか持っていないから、だから他者を基準に働くのか。確固たる個がないから自己主張すら出来ないのか。繰り返される善、まごうことなき善性。自我があるのかさえ不確かな、繰り返されるだけのプログラムのよう。他に何もない、から、?

 

「〝見つけて欲しい〟……?」


 ようやっとの思いでこぼれ落ちた言葉は、笑えるくらい酷く掠れていた。

 見上げた先の男がわずかに瞠目する。瞠目して、はぐらかすかのように再び微笑んだ。作り物のような笑み、その中にほのかに覗いていたものが埋没していく。意図した隠蔽。仄めかされたもの、与えられたという責務。

 並べ立てられたものが何ひとつわからない。わからないのに、前回男の吐いた不可解な言葉が繋がったような気がした。

 記憶をなくしこちらへと振るわれた力、淡い色彩とは明らかに違う紫紺色の瞳。過去の姿? 漂う虚無と空虚。白紙。まるで別人のようだった男。さながら感情のない人形のように。


「過去は未来へと繋がるものでしょう?」


 そう小さく口にして、男は殊更深く笑みを浮かべた。

 問いには応じず返ってくるのは前後の繋がりが怪しい言い回しのみである。そのくせ、こちらの投げかけた言葉を否定も肯定もしない。

 何故だろう、穏やかに微笑んでいるはずなのに泣いているような気がしてならなかった。空色の中で揺れる静かな光、丁寧に隠された奥底に滲む寂寞。

 ざわ、と再び風が吹き抜けていく。日傘の縁が小さく揺れる。

 こちらを試すかのような物言いだった。出方を伺っている、感情が、心が、儚げに揺れている。何も言いやしないのに、悟らせることすらさせないのに随分と身勝手なこと。強情で頭の硬い天使、きっと、自分の為になど何一つ出来ないのかもしれない。からっぽの可哀想な天使。吐き出されるのはただ、空白を埋めるためだけの言動。


「…………伝える気がないならもう喋るな」


 意味のない言葉の羅列にいい加減食傷していた。言葉を交わしているはずなのに何も交わらない、分からない。この状態で何ができるわけでもないのに、こいつの意味不明な言動で無意味に乱されるのはごめんである。

 男は風に乱れた長い髪を乱雑にかき上げた。それと同時にふ、とゆるく伏せられた眼差し、閉じられて、再び開かれた時にはもう陰りはなく。空を舞う真白い鳥が地上に降り立つように、空虚だったものが途端に重さを取り戻す。にこりと微笑む、作られたように整えられた笑み。


「これは手厳しい」

 

 くすくす笑ってさえいる、演じられたように緩やかに紡がれる言葉、微笑。……言うに事欠いて手厳しいとは何だこの野郎。最初から何も伝える気などないくせに、好き勝手言ってこちらをかき乱す男が心底腹立たしかった。


「言いたいことがあるならはっきり言え、まだるっこしい。わけの分からないことばかり……」

「聞いてくださるのですか?」

「言えとは言ったが聞き入れるとは言っていない」


 きっぱりと突っぱねてやれば、男は不思議そうに目を丸くしていた。そこでようやく生き物らしさが生まれて、ふん、と。息をつく。綺麗に整った顔が作り出す間抜け面。

 そもそもヨシュアの言葉は単なる独り言で片がつくものばかりだ、どうこうして欲しいといった類のものではない。ないのだ。あれこれ意味ありげな事を言っているくせに、期待していると言った空気は皆無なのだった。なにもない。そういう意味では、本当にただの人形だ。姿形を真似ただけの紛い物。言葉とは物事の伝達手段である。それを発話者が最初から放棄しているのだから、耳を傾けるだけ無駄というものだ。


 再び沈黙が落ちる。

 男の、少し、何処か、困ったような気配。


 見つけて欲しい、迎えが来ていても帰りたいとは言わなかった男の、自身の些細な願望さえ口にしない男の、その祈りのような言葉は重く別の意味を含んでいるのかもしれない。幸福は祈りの外。感情もだろうか。何を思っている、誰を想っている。わからないのに、悪魔である私には何一つ関係がないのに。腹の底が苛ついて仕方がない。

 お前に、そんな顔をさせているのは一体何だ。

 真実清らかで、誰よりも幸福であるべきお前の抱える傷は何だ。

 風に煽られて揺れる金の髪、降り注ぐ花弁。淡い色彩の空色がこちらを柔らかく見つめている。所在なさげなそれは迷子の子犬のようで、酷くムカつくのに目が離せなくなる。手の中のカップから再び涼やかな音が立つ。


「……罪を。償わなくてはなりません」


 しばしの沈黙のあと、それでもやはり吐き出されるのは型通りの言葉だった。はあ、とこれ見よがしの溜息が盛大にこぼれ落ちる。何でもないことのように、繰り返されるのは無意味な音の羅列。僅かな逡巡かと思ったが結局は堂々巡りである。忌々しく顔を歪めて、それこそちっと。大きく舌打った。男は困ったように眉を下げるがそれだけだ。

 

「またそれか」

「贖罪を、願い出ました。そして貴女はそれを了承してくださった」

「したつもりはないが」

「そうでしたでしょうか」


 真面目な顔をしながら空惚けるものである。

 どうでもその、「罪を償わねばならない」という天使の自己満足からは逃れそうにもないらしい。そういえばなんだったか、怪我の責任、ケリを付ける、気が済むまでやらせてみろ――オリビアは簡単そうに言っていたが。この男がこういうヤツなのだから最早考えるだけ無意味ではなかろうか。どう考えた所で手に負えるような男ではない。エゴイズム。気が済むまで。この自罰傾向の強い男の気が済む頃など永遠に訪れるとは思えない。

 

「……天界の王は認知障害を患っていらっしゃる」

「魔界の王は随分とお口が悪い」

 

 嫌味を言ってやるのだが、苦笑とともに軽口が返ってきた。一体何がおかしいというのだか。

 男の言動に一々反応を返すのも馬鹿らしくなってきて、溜息をこれ見よがしについてやってからコップの中身を飲み干した。氷が解けて薄くなった桜色の液体は口の中で淡くほどけて、喉を滑り降りていく。ひやりとしたものが腹の中に落ちる、甘さも苦みももうよくわからなくない。ぼやけた味覚、そのまま思考を放り出す、どうせもう考えた所でわかる筈もない。この男自身が理解される事を拒否しているのだから、会話が成り立つ筈もない。それなら黙っていればいいのに、何故あれこれわけのわからないことばかり投げかけてくるのか……


「首飾りを、」

「あ?」


 もういい加減阿呆は放って帰ってしまおうかと考えていたら、ぽつん、と。男は口にした。ぐったりとベンチへと体重を預けていたのだが、目の前に立つ男が緩やかに身をかがめてきた。さらりと目の前で流れる金の髪、結ばれた緑のリボンが視界に躍る。温かな光に満ちた空が落ちてくる。

 

「首飾りを、……していてくださって。ありがとうございます。とてもよくお似合いです」


 空が、声が、融ける。あたたかで慈しみに満ちた囁きがふうわりと香るように落とされる。絶対的な聖性、紛うことなき光に視界が満たされる。

 する、と。言葉を紡ぎながらこちらへと伸ばされた男の腕が、柔らかく頬に触れていった。風に乱れたこちらの髪を丁寧に払ったのだ。男の乾いた指先が肌の上をほんのりとかすめていった。絡む視線、空色が柔らかくほどけて、どく、と。心臓が跳ね上がる。自分の意志とは関係なく肌が熱を帯びる。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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