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暁のホザンナ  作者: 青柳ジュウゴ
78/78

78 真誠に微睡む残響 - 2 -

よろしくお願いいたします。

 熾天使メタトロン。

 それは、光り輝く天界で最高の地位を持つ者へと与えられるあざなであった。

 その長い金の髪はさながら光を紡いだ金糸のようであり、その双眸は春を思わせるように淡く遠く、透きとおった柔らかな空色をしている。肌の色は白く背は高い。声も低いが甘く香るような響きがあった。一切の威圧感がない腰の低い優男。女神と見紛う美しい男。

 まるで清廉という言葉を体現したかのような男だった。

 あのように無垢で、誰にでも同じ笑みを向け、迷いなく他者を救おうと手を伸ばす存在を私は長らく見たことがなかった。優しさ、慈しみ、平等に向けられる博愛は果てなく深く。打算などないのだろう真摯さはいっそ気味が悪くさえあった。

 何もかも満たされた天使の欺瞞だと、圧倒的強者による傲慢な施しであると信じて疑わなかった。

 空の上にある永遠の楽園、静謐な世界に満たされた静穏な存在。安穏と空に座する愚昧なる者。我らの厭悪一欠片も知らぬ悪辣者。汚れなき白痴。美しく佇む姿は穏やかで落ち着いており、一切の穢れなど知らぬと言わんばかりの優しげな眼差しには心底苛立った。悪意というものを知らぬといった顔で、白々しく居直る天使という存在が吐き気を催すほどおぞましかった。


 元来交わらぬ存在だ。

 天上に君臨する天使、地に投げ堕とされた悪魔。

 相容れるはずもない。

 それなのにこうしてここまで来た。来てしまった。

 その結果がこれである。


「あの馬鹿をなんとかしてくれ……」


 机の上に突っ伏して呻くように口にすれば、「大変そうだなぁ」とからから笑うオリビアの声が響いた。どこまでも他人事のようなそれに、ルーシェルはじとりと恨みがましく睨みつける。


「他人事だと思いやがって」

「他人事以外のなんだと言うんだ」

「そもそも私には関係ないと言うに」

「我々には更に関係のないことなんだなあ」

 

 にべもない。

 エルフの里の孫娘である人物との付き合いはないにも等しかったが、それでも今現在自分がいるのは彼女の仕事部屋であった。あまりにあまりな天使の行動を見咎めたオリビアが、ここへと避難させてくれたのだ。くれたのだ、が。相変わらず部屋の外にはあの阿呆天使がいる。待っているのは平気です、じゃあないんだ。こちらとしてもアスモデウスからの接触を避けたいものではあるが、一人になるのは嫌だとは思ったが。だからといって四六時中側にいて世話を焼かれるなど冗談ではない。


「あいつやっぱりオカシイにゃ」

 

 傍らのリーネンが心底面倒くさそうに呟く。

 昨夜、主人であるこちらに滅茶苦茶な暴言を吐いて退出させられた使い魔は、戻ってきたら戻ってきたで阿呆天使をぶん殴ろうとしたのを周囲に止められてから非常に機嫌が悪い。

 興奮が落ち着けば大人しくなるかと思っていたが、夜が明け完全覚醒後からまた地を這うように苛立ちが舞い戻ってきていた。天使の事を悪しざまに言うのは悪い気はしないが、オリビアが「そう言ってやるな」と苦笑するのは実に複雑なものがある。


「その場にいた訳ではないから断言するものではないが、悪意があるわけではないだろう?」


 いかにも性善説で生きている人種の言いそうなことである。どいつもこいつもあの強情な生き物を過信しすぎてはないだろうか。

 オリビアの仕事部屋、彼女の座る机の前に置かれた小さな応接セットに気だるく腰掛けながら胸中で毒づく。


「善意も行き過ぎれば単なる悪意にゃ」


 ばりばりと差し出された茶菓子を貪りながら、リーネンが代弁する。そう、あの男に悪意はない。それは絶対である。言い切れる。だからこそ手に負えない。

 オリビアは少し目を見開いて意外そうにしてはいたものの、難しいもんだな、と。言うに留まった。あの男とその周囲の反応を目の当たりにしていないからこそ言える立場である。

 朝の騒動はそれはもう酷いものであったのだ。


 側で私を護るのだと言って憚らない男を何とか押し留め、屋敷のメイドを呼び、見張らせ、湯を浴びる事にしたのだが。その対価としてメイド達に冗談ではないほど真白いワンピースを着せられ、今現在も大層きらびやかに着飾られたのはこの際もうどうでもいい。いや一つもいいことなどはないのだが。それでもまだ許容出来る範囲であった。出来ないのはあの本当にわけのわからない男だ。いや馬鹿だ。何がどうしてこのような状況になっているのかまるでわからない。贖罪ってなんだ。


 思い返しただけでも頭が痛い。

 あのような夢を見たと言うだけでも十分であるというのに、あの一連の騒動はこちらの精神を摩耗させるには余りあった。こぼれ落ちるのは最早癖になったと言っても過言ではない重く長い溜息である。疲労も感情も行き場がなく、どうにも遣る方無い。


 静かに、けれど忙しなく仕事を片付けているオリビアをぼんやりと見やる。書類を繰る音、ペンの走る音、視界の先で揺らめくカーテン。リーネンの人とは違う、あまりに軽い咀嚼音。

 窓の外では花祭り最終日ということで随分と賑やかになっている。華やかな花の香り、そよぐ風、花弁。透きとおった空は明るくあまりにも現実味がない。

 オリビアは弟の方とは違い口数の多い方ではなく、里長の補佐としてきっちりと働いているようだった。対するルアードといえば実務だそうだ、外に駆り出されている。如月兄妹も仕事だと言って外出している。残されたのは異界の者である我々のみ。扉の外には天界の住人が三人待機しているという事態なのである。暇人か。

 

「朝食も賑やかだったんだってな?」


 突然の言葉にひくりと頬が震える。

 意地の悪い、騒動を知っているからこその含みを持たせた物言いである。忌々しいとばかりに睨みつけてやるのだが、しかしオリビアは顔を上げないまま。さらさらと相変わらずなにやら書面に書きつけている。

 思い出したくもないあれこれに地獄の底でもまだマシだろう長く重い吐息が漏れ出た。着替えの後は食事だろうと連れられていった先、ダイニングルーム。こちらから離れようともしない、わけのわからん理屈で献身する男が黙っているわけがないのだ。


「……だったら何だ、」

「いやなに、私は昨日の事後処理で手一杯でなあ。なんだ、食うとか食わないとかで揉めたと聞いたが」


 言いたくないとばかりに視線を逸らすのだが、実に穏やかに皮肉と共に追撃される。どうせ報告は上がっているのだろうに、どうやら噤んだこちらの口を割りたいらしい。昨日の騒動は私のせいじゃないだろうに、多少の意趣返しなど可愛いものだろうよ――言外に、その緑の瞳に。多分に込められたそれは大変に居心地が悪い。

 あれはにゃあ。口の周りを焼き菓子で汚したリーネンが、一緒に提供されている茶へと手を伸ばしながら声を上げた。そうしてそのきれいな琥珀色の液体に満たされたカップをそのまま一息に仰ぐと、ぷはーっと満足げに息をつく。低級魔族が味なんぞわかるのか。リーネンはぺろりと唇を舐めながらまた菓子へと手を伸ばし。


「ルーシェルさまが意地を張るから悪いんにゃ」


 ばり、と。焼き菓子の砕ける一際高い音が鳴る。

 どこか呆れたような物言いである。なんだ、どんどん遠慮がなくなって来ていないかこの使い魔は。

 

「……貴様はどの立場にいる」

「あんなに拒否することないじゃにゃいですか、なんでそんなに食べたくないにゃ?」


 ほらほら美味しいですよう、リーネンはまったく意に介した様子もなく一つつまんだ菓子を差し出してくる。綺麗な焼色が着いたそれはクッキーだと聞いてた。中央にジャムやら何やらが乗せられた随分と派手な見た目のものが気に入ったのか、幼女姿の使い魔はオススメですにゃあ、と。執拗に勧めてくるが、いらんとばかりにその手を適当に押しやった。途端、リーネンは口をへの字に曲げる。そうしてこちらへと差し出したクッキーをこれみよがしに齧れば宝石のように赤いジャムが少女の唇にべたりと張り付く。何故だなどと。そんなもの。


「私の勝手だろうが」


 言葉はそれこそ呆れと共に吐き出される。低級者とはここまで行儀が悪いものなのか。

 腐っても魔王直属の配下だ、あまり見苦しいことはしないで欲しい。礼儀作法なんぞあってないようなものだが、それにしたって食べかすまみれというのはどうなんだ。小さなオレンジ色の猫型悪魔、その口元をぐいと指先で乱暴に拭ってやった。んむ、と不満の声を上げつつリーネンは抵抗しない。丁寧に手拭きが置かれているのがありがたい、柔らかく白い布地に指をこすりつければ鮮やかな赤がそこにぽつんと映る。赤。赤、は。命の色だ。

 

「里の料理はお口には合わなかったかな?」

 

 オリビアの問いかけはとんだ的外れである。

 

「そうじゃない、そもそも我々は食べる必要がない。お前もあの馬鹿も何故そうも抵抗なく口に出来るんだ」


 生物は何かしら他の命を喰らう。命は命を奪うことで命を永らえさせている。その理から外れた我々がヒトの真似事をした所で一体何になるというのだ。必要のないことをする意味が見出させないでいる。強要されたらなおのこと、動植物の命を口にする事はどうにも好きになれないでいた。命を刈り取り、喰らい、己の命にする。生き長らえるための儀式じみた行為。だと、いうのに。


「ルーシェルさまがそんなんだから、ヨシュアが介助しますとか言い出すんにゃ」


 呆れたようなリーネンの声に。

 ごふ、と。盛大にむせる破裂音が続いた。

 この場には不釣り合いなそれに、驚いて音のした方を見やればオリビアが口元を押さえて顔を伏せている。


「か、介助、介助と言ったのか、」


 ぶるぶると肩を震わせて、声を震わせて、笑い出しそうになるのを必死になってこらえる仕草である。


「そうなんにゃ! ヨシュアが少しでも食べた方がいいとか言うのに、ルーシェルさまが拒否するから! 介助だ何だ言い出して、そうしたらあのチビが文句言い出して……」


 あとはもういつものお決まりの流れである。

 大真面目にこちらへと付き添うヨシュアに向かって騒ぐ白い小娘に加え、銀色のも共にいるものだからそれはもう目も当てられない騒動へと発展したのである。

 

「それであの騒ぎか」

 

 オリビアは喉を震わせている、最早笑うことを隠しもしない。

 乱闘騒ぎにならなかっただけマシのような騒動の後も、ヨシュアはそれこそ私の側から離れるようなことはしなかった。図体のでかい木偶の坊は邪魔だ、一人にさせろと言った所で返ってくるのは贖罪が、という眼差しである。まるで捨て犬のような悲しげな目をして結局押し切られているのだ。罪を償いたいと真剣な眼差しで言いながら、そのくせこちらの言い分を聞きやしない。完全なる善性の暴力である。邪魔にはならないようにと気遣いはするものの、決して己の行動を改めはしないのだ。

 

「随分と甲斐甲斐しいじゃないか。世話を焼いてくれるのだから執事として扱ってやればいいのに」


 はあ、と。大仰なまでに息をついて、ひとしきり笑ったらしいオリビアが顔を上げる。執事――人の近くに侍して家政を行う者。ただでさえ苦痛でしかないと言うのに、あの男の行動に大義名分を与えてどうするという言うのか。


「冗談じゃない」

「そうか? ヨシュア殿は燕尾服とか似合いそうだがな」


 くつくつ笑いながら、オリビアは適当なことを言う。

 あの穏やかな容姿、嫌味のない細やかな気遣いのできる男である。燕尾服姿も似合わないわけがない。丁寧に完璧に仕事をするだろう、それは疑いようもない。今現在がこれなのだから。


 風呂についてくる。

 いらんというのに朝食を勧める。

 片時も側から離れようとしない。


 そこまで考えて、一介の執事がそこまでやるだろうかとも思う。そもそも主人の命令は絶対の筈だ、私がやめろと言ってるのを聞き入れないのは単なる暴挙だろうに。


「……面白かってるだろ」

「王様なんだろう、適当に扱ってやればいいのに」

「あいつも立場上そういうものなんだがな」


 投げやりに答える。

 熾天使メタトロンとは神の栄光を冠する天に座する天使の王だ。

 ヨシュアというかつての名を名乗る様子のおかしい天使だ。

 生真面目であるかと思えば変な所で抜けていて、酷く押しの弱そうな外見をしているくせに強情で融通が効かない。普段は聡いくせに、自分へと向けられる感情に信じられないくらい疎い。一見たおやかな優男に見えるがえらく脳筋で、体幹が化け物じみていて、……身体中に、酷い傷跡を隠していて。綺麗に覆い隠した硬い殻の中に、誰にも触れさせないようにやわらかな心を抱えている男。約束というものに不必要なまで固執する男。綻び、ほんの少しだけ開いた隙間から覗く深淵。きれいな皮で丁寧に包みこまれた、脆く不安定な精神が垣間見えた気がした。本人は知られたくないのか何も言いやしないのだけれど。

 

 触れられたくないこと。

 誰にも知られたくないことは無限にある。

 生きとし生けるもの、永遠にも似た長く長い生。

 

 あの男の、犯した罪は償わねばならぬという病的なまでの自罰行為。約束とは祈りと言っていた。そして、幸福は祈りの外だと。約束は守らねばならない、果たさねばならない。それは、義務であって意思ではないのかもしれない。思惑など入り込む隙もないのかもしれない。そもそも、最初から。幸福は甘受すべきではないと拒絶している……?

 

 唇から零れ落ちた重い吐息。

 溜息はさながら呪詛じみてきている。

 

 私は悪魔である。悪魔とは紛うことなき悪である。

 人を惑わし、天使を堕落させ、自由気ままに、自由奔放に、野放図にただ享楽に耽る存在。秩序などない。力こそが全てであり唯一の法。そんな存在の親玉である私が、異世界とはいえ地上にいるのだ。人を守護する天使が警戒するのは当然であった。逸らされることのない視線、巡らす探るような気配、監視、それが――緩んだのはいつだっただろうか。信頼と言えるだけのものがあるわけでもない、人が好みそうな絆など夢想にもほどがある。なにもない、なにもない、のに。

 同じ時を過ごせば嫌でも知ることとなる。何があいつの琴線に触れたのかはわからない、記憶の消去、攻撃、負傷、回復、謝罪からの贖罪。

 考えたとてわかる筈もない。


「ルーシェル殿も酷い怪我をしたんだ、責任を取ってもらうのが筋だと思うがね」

 

 一段落ついたのか、はたまたもう仕事にならないとでも思ったのか。オリビアがぱたりと手にしていたペンを机の上に置いた。そうして肘をついてニコニコとこちらを見ているのだが、何を言わんとしているか不明瞭である。


「すじ、」

「そう。まあ所謂ケジメだな」

 

 言いながらかたりと立ち上がる。

 揺れる金の髪色はやわらかで、豪奢なそれは彼女の背でゆるく波打っていた。柔らかな春の日差しを紡いだのがヨシュアならオリビアのそれは朝焼けのような色をしている。似て非なる色、こちらを見るのはまるで違う新緑。

 

「傷付けてしまったあなたへどうにかして償いたいのだろう。だがそれはヨシュア殿自身の問題だ、受け取り手がいらないと言ったのだから。それはもう、彼自身のエゴに過ぎない。エゴを尤もらしい言葉で取り繕っているんだ、可愛らしいことじゃないか」

 

 何が嬉しいのか知らないが、オリビアは穏やかに微笑みながらそんな事を言う。人の気も知らないで。エルフの娘はゆるりと窓際へと立つ。金の髪がひときわ煌めいてふいと視線をそらした。


「何が可愛いだ……あいつは分け隔てないから、義務感でやってるだけでしかない」


 言って、自分でも苦く笑う。

 どこまでいってもあの男にとって私は他の有象無象と何一つ変わらないのだ。あの男が固執しているの約束なのであって、今現在だってやらかした事象のリカバリーに勤しんでいるだけに過ぎない。そこには何の思惑もないのだ。単なる善であって――きりりと。胸の奥が傷んだような気がした。

 オリビアがゆるく首を傾げる。


「そうでもないと思うが、」

「あの男はそういうやつだよ」

 

 遮るように声を重ねる。

 必要ないとこちらが拒絶したというのに頑なに贖罪をと迫ってくるのはそう、たしかにあの男のエゴだろう。自分勝手で自己本位でしかない単なる利己的な行為でしかないのだ。優しいのは間違いない、疑いようもない。勘違いしてはならない、あの男は特別など作らない。等しく慈悲深いだけなのだから。私も、その他大勢のうちの一人でしかないということだ。


「贖罪の形は沢山ある。けれど〝傍にいること〟を選んだ時点で、それはもう、ただの義務ではないのではないかな」


 オリビアとは個人的な接点はない。

 なんならルアードの方が過ごした時間も交わした言葉も多い。

 だからこそ、導き出される希望的観測。

 天地相容れぬ我らのことを知らぬ、人の子の理屈でありこうであろうという道理である。推測の域を出ない。あの男の善意は疑いようもない、善であるからこそ、真実善行であると信じているからこそ他者のパーソナルスペースを容易く踏み越えてくる。触れられた側の感情なんて全部無視して、気付かなくて、最初からなかったかのように容易く切り捨てる。


「――義務だ」

 

 それ以外の何があるという。

 じろりと睨みつけてやるのだが、オリビアは苦笑した。


「断言するんだな」


 義務でしかないのだからそうだと言っているのに、一体何が不満だというのだろう。あの男が、私の側にいる事を自ら望むなどあり得ない。あってはならない。穢れたこの身、汚れ果てたこの身、あの真実清らかで真白い男にはあまりに不釣り合いなのだ。白は容易く黒に染まる。あいつは天にあるべきだ。

 間違っても私の側ではない。


「そうじゃないと困る?」


 ほつりと落とされたのは抑揚のない静かな声。

 柔らかなそれに、ぞわりと直接胸の内をなぞられたような気がした。触れられたくない場所、知られたくない所を無遠慮に踏み込まれたかのように。

 ぎゅうと、胸元を握りしめる。

 違うと、叫びたかったのに。言葉は喉に張り付いたまま形にならなかった。掠れた吐息のようなものが唇から漏れ出る、違う、そうじゃない。そんなことなんかない。

 ようやっとの事で吐き出された言葉はあまりにも掠れていた。


「……好き勝手な事ばかり言ってくれる」


 否定も肯定も出来ないこちらを、オリビアはゆるく笑って見ていた。緩やかにほどける緑の瞳が、室内に差し込む光を受けてきらりと輝いている。

 

「仕方ないだろう。貴殿らは我々より随分と歳を重ねてきているらしいが、私に言わせてもらえば子供の喧嘩だ」

「なん、」

「他者との関わり方がどちらも下手くそ過ぎるんだ」


 あまりにもきっぱりと言い切られた。

 子供。喧嘩。下手くそ。歯に衣着せぬ物言いに絶句すると、オリビアはそれこそ幼い子供に言い聞かせるかのようにゆるく笑うのだった。

 

「まあ、しばらくは好きにさせてやればいい。誰しも自分のやり方でしか償えないものだ。気が済めばやめるだろうよ」

「何を……悠長な、」

 

 しばらく、しばらくっていつまでだ。下手に放っておけばそれこそ死ぬまで自罰を続けかねない。あの男ならやりかねないという、そう、確信じみたものがあった。

 そうだなあ、オリビアが何かを考え込むかのような仕草をしながら緩やかに窓辺から離れる。そうしてそのまま、まっすぐに扉へと向かっていった。ドアノブへと手をやる、扉を開ける直前、こちらへと振り返ってにやりと笑った。

 

「で、だ。贖罪も怪我の責任も、ケジメもつけるとなると手っ取り早いのは直接話し合うことだと思うんだよな」

「は、」


 言いながら、オリビアはばん、と。乱暴に扉を開け放つ。

 突然の行動に呆けていると飛び込んでくるのは淡い色彩の金の髪、空色の瞳。律儀に待機していたであろう天使ががゆったりと動いてこちらを見た。……扉の直ぐ側に立っているだけだと言うのに、酷く優雅に見えるのは一体どうしたことだというのだろう。随分な才能だと思う。ではなくてだ。


「お、おいオリビア……!」

「お話は終わりましたか?」


 前置きなく突然何をするんだというこちらの声にならない声は、天使の声によってかき消されることになる。ヨシュアがそう言ってゆるく微笑み、やわく問いかけてきたのだ。暖かないろ。当然悪魔に向けるようなものではなく―― 共に廊下で待っていたらしい、銀と白の天使が凄まじい形相でこちらを睨みつけてきている。何やら言いくるまれているのか、これといった行動に出ることはなかったが。

 それら全部を無視して、オリビアとヨシュアが対面する。


「ああ、ルーシェル殿をお借りして済まなかったな」

「いいえ、女性同士のお話なら私がご一緒するわけにはいきませんし」


 二人以外の空気全てが不穏なものであると言うのに、そういったものを完全無視して穏やかに交わされる会話。

 私をこの部屋へ引き込むための、オリビアが口にした口実を素直に受け取ったらしい天使が小さく笑った。一応そこら辺の配慮は出来るんだな、出来るからこそ助かったわけではあるが。

 

「花祭りは今日が最終日だ、二人で出かけてくるといい」


 にっこりと微笑んで、オリビアは突然言い放った。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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