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暁のホザンナ  作者: 青柳ジュウゴ
73/78

73 陽だまりに咲く花 - 7 -

よろしくお願いいたします。

「断る」


 オリビアに連られてやってきた銀色の天使は、実に尊大な態度でもってこちらに向かって一言。有無を言わさぬ態度で高らかに言い放った。

 宙に浮いた状態で腕を組み足を組み、全ての決定権は己にあると信じて疑わない傲慢な天使のその態度にひくりと。オリビアの頬が引きつる。


「……よく、聞こえなかったのだが。何を断るだって?」


 喋ることの出来ない自分の代わりにオリビアの低い声が室内に響く。

 それをサンダルフォンは酷く鬱陶しそうに顔をしかめ、ふいと視線をそらした。カーテンが引かれ仄暗い室内でほんのりと発光したかのような男の金の髪が搖れる、一応、こちらの世界での色彩について配慮するだけの気遣いは出来るらしい。らしい、が。配慮はするようだがその居丈高な態度を改める気はないらしく、はあ、と。これみよがしに不遜な溜息を付いた。


「何故この俺が悪魔を助ける必要がある」


 じろりとこちらを嫌そうに見る赤い瞳には、侮蔑と軽蔑、蔑み、嫌悪、獰猛なまでの憎悪。天上のお綺麗な天使様にとってみれば、己のような悪魔など目にするのも耐え難いのだろう。首に巻かれた金の首輪、罪人用の強力な枷。今は形を変えられ針が無数に首を貫いている状態だ、それを氷のように凍りついた眼差しが冷ややかに見下ろしている。

 

「殺さないだけありがたいと思え」


 穢らわしい悪魔に対し、俺は慈悲深いだろう――言葉が、声色が、態度の全てが侮蔑を極めていた。


「この状態のルーシェル殿を放置なさると」


 いらだったようにオリビアが声を荒げるが、サンダルフォンは呆れ混じりに小さく息をついただけだった。これ見よがしに長い金の髪を掻き上げる、本来であるなら輝く硬質な銀のそれ。わざわざ変えてやったのにと、無言で見せつけるかのようなその仕草。


「己の出来ない事を他者に求めるな。神は慈悲深いお方だが全ての願いを叶えられる事などしない。自己の問題を嘆くばかりで動きもしない者をお救いにはならない。神の奇跡は怠惰な者には与えられない」

 

 尊大な態度で、声色でサンダルフォンは静かに言い放つ。

 

「そもそも、それを変形させたのは誰だ? メタトロンはどこにいる」


 淡々と告げられるその言葉には苛立ちが滲んでいた。

 どこにいる。どうしてこの悪魔の側にいない。天使のそういった感情を抑えない真紅の瞳に射抜かれる。

 罪人用の金の首輪、現在己の首を刺し貫くそれはその問題のメタトロンが形を変えたのだが今、ここで。正直にそれを告げればサンダルフォンがどう動くかなど火を見るよりも明らかだった。嬉々として攻撃に転じるだろう、ヨシュアが殺すなと言ったからこの男は私を生かしているに過ぎない。記憶をなくしているなど関係ないのだ、悪魔を排除する口実を探し隙を狙っているこの天使にとって絶好の機会を与えかねない。それがわかっているからだろう、オリビアもルアードも口を噤んだまま黙り込んでいる。


 終わりを望んでいる。

 それは事実。

 では今この眼の前にいる男にそれを頼むのか。

 それは、……それは。


 ばちん、と派手な破裂音にはっとした。

 銀の天使の周囲で溢れ出す力がばちばちと音を立てて弾けているのだ。宙に浮かび不快感を隠しもしない男、強大な力を持つ熾天使のいつ爆発するともしれない抑えた感情はまざまざと。


「俺が来ているのにどうして出てこない。強い聖性を感じた先にあいつはいなかった、破壊された森などは戻せとやかましいから直した。これ以上俺に何を望む?」

 

 低く、低く。重く転がる男の声は耳に心地の良い低音であるはずなのに、ぞっとする程の怒気が混じる。男の赤い瞳の奥に燃えるような氷がある、こちらから逸らされぬそれが言葉よりもよほど雄弁に感情を叩きつける。

 ――強い聖性を感じた先とは、ヨシュアが暴れたあの場所のことだろう。派手に暴れ、発動こそしなかったもの詠唱霊術まで放ったのだ。紡ぎ上げた霊力は霧散したものの、織り上げていた途中で砕けた術式が周囲へと散らばっていた。恐らくそれを目印に天界から再度やってきた天使の問いかけに、しかし誰も答えられない。

 

「……万が一あいつに何かあったのなら、俺は容赦しない。お前達が仲間を想う様に俺は俺の大切な物を傷付ける奴らを許しはしない。異界の者に砕く心など持ち合わせちゃいない。俺は、この里を消し炭にすることなど造作ないんだからな」


 体温という温もりすら取り払ったかのような、冷気を孕んだかのような声だった。ぼう、とサンダルフォンの手に力が集う。凝縮された光の塊、圧倒的な力。天より降り注ぐ業火、神とやらの指示一つでいくつもの街を滅ぼすことすら厭わぬ冷徹な天使。

 

「ヨシュア殿は、……別室で休んでおられる。まだ詳細はわかっていないが、どうやら術式の暴発だと聞いている。外傷はないが、少々記憶が揺らいでいるらしい」


 最早いつ爆発してもおかしくない程にじりじりしたものを剥き出しにするサンダルフォンに、オリビアが殊更声の調子を落として静かに告げる。事実ではあるものの本質を明言しない物言いに、さっとサンダルフォンの顔色が変わった。

 

「術式の暴発? 記憶が揺らいでいるだって?」

「酷くぼんやりとしておられたのと、――ああ、腕輪も壊れていたな。レイジュツとやらが使えなくなっていて、」

「どうしてそれを早く言わない!」


 先程までの苛立ちはどこへやら、偉そうに宙に浮いていたのが血相を変えて慌てたように床へと降り立った。ぐしゃりと手にした炎を握り潰してオリビアに詰め寄る。

 

「言っただろう、ルーシェル殿を助けてやって欲しいんだ。術の構築式が我々とは違うのか解術できない、リーネン殿が今そうやって頑張っているがそろそろ限界だ。ヨシュア殿には今ヨナ殿がついている、心配ない。だからこちらを先に、」

「それはこちらが決める事だ、別室とやらはどこだ」


 さっさと案内しろと言わんばかりに噛みつくサンダルフォンを、オリビアは思い切り押しのけた。

 

「だから緊急を要する方を優先するべきだと言っている!」

「しつこいぞ、悪魔なぞ勝手に野垂れ死ねばいい」

「貴様!」

「我らの事情に首を挟むなと言っている!」


 オリビアの怒号を上回るほどの声量で持ってサンダルフォンは叫ぶ。

 室内がびりびりと震える、ばん、と音を立てて室内の照明が砕けて落ちた。仄暗い室内、それすら、この男にとっては気に入らないのだろう。元いた世界とは違う理で回るこの世界、悪魔というものの本質的なものを理解できない異世界の住人に対するあからさまな苛立ちをまざまざと。


「悪魔は穢れだ、貴様らが在ること自体が既に罪だ。己が欲望に(とざ)され、形を歪め、互いを喰らい、血で血を洗う。善も秩序もなく、ただ我欲と嫉妬と憎悪だけが支配する。人を惑わすその囁きは甘美にして毒であり、聖きものを穢すためにのみ存在する。我らは裁く者、聖なる秩序を護る責を負う。剣は我らの手にあり、光は我らの盾、聖火は我らの満ちる怒りなき務めだ。何故、何故我らが悪魔を助けるなど、」

 

 震える声、握られた拳。

 燃えたぎる怒りをそれでも押さえつけ男はこちらへと向かって呪詛じみた言葉を吐き捨てる。絶対の正義を信じて疑わない傲慢な言動は、正しく天使の姿ともいえた。天使どもは悪魔を許さない。罪人を許さない。整然と、忠実に、ただ神の名のもとに。静謐で清浄な世界の住人。一点の汚れをも許さぬ断罪者。罪を裁くもの。

 改めてヨシュアの異常性が際立つ。

 すべからく向けられる平等、いっそ病的なまでの善性、圧倒的な光。柔らかく溶ける空色の瞳は温かで、まるで全てを許されたかのように錯覚するその所作はひたすらに美しく鷹揚だった。

 

「……同じテンシでも随分違うんだねえ」


 ぽつん、と。

 黙ってオリビアとサンダルフォンとのやり取りを見ていたがルアードが呟いた。場にそぐわないふんわりとしたその口調は、わあ、と。どこか感心すらしたかのようだった。サンダルフォンが舌打つ。

 

「そもそも我々天使は悪魔を断罪する者、天から堕とされた不浄の者にかける慈悲などない!」


 癇癪を起こした子供のようにサンダルフォンは捲し立てる。


「この状態が異常なのだと何度言えばわかる。この場にいるお前らを悪魔にそそのかされた罪深き者として滅することだって、」

「ヨシュアさんなら助けてくれるんだけどなー」

「あ!?」


 感情のままに喚くサンダルフォンに対し、ルアードが「おっと、」とわざとらしく口にしながら口元を押さえた。どこか演技じみたような大仰な動きに、サンダルフォンは分かりやすく苛立ちをぶつける。


「何が言いたい!」

「あぁ、いやね、この首輪ホント誰も外せなくってさ。困ってたんだけどヨシュアさんならきっと出来たんだろうなあと思って」


 ほんと、困ってるんだよねぇ。

 普段から穏やかな顔立ちをしているルアードが、へにゃりと殊更眉を下げて苦笑した。それにぴくりと、サンダルフォンが眉を顰め怪訝そうに顔を歪める。


「なんだと?」

「ううん、カレブさんもこれ外せないんだよね。ごめんね頼んじゃって」


 気にしなくていいからねぇ、誰にでも得手不得手はあるよねぇ。

 実に穏やかに困ったと笑みを浮かべながら、酷く演技がかった声色で残念だと口にする。そこには出来ると思ってたのに、というがっかり感があからさまにすぎるほど滲み出ていた、確実にサンダルフォンの神経を逆撫でるかのような物言い。

 

「………………誰が出来ないと言った」

「うんうん、出来ないんなら無理しなくていいんだ。あとでヨシュアさんにお願いするから……ああでも、大丈夫かな。ヨシュアさんにルーシェルさんに手を出すなって言われてるんだよね? この状態で何もしてないって……いや、なんでもないよ。難しいよね、変なこと言ってごめんねぇ」

 

 実にしおらしく、そのくせ出来ない、無理、難しいという言葉をいやに強調する。終始「こんな事言っちゃってごめんね」という態度を貫いているが、心配した風でいて滅茶苦茶に煽り散らかしている。

 案の定、サンダルフォンはわなわなと震えていた。


「無理じゃない!」


 叫んだ銀色の天使の言葉に、ルアードが見えない所でぐっとガッツポーズをしている。完全にルアードの手玉に取られているというのにどうやら気付いていないらしい、堅物のような言動をしているくせにまんまと乗せられている。天使は純粋ゆえに悪に染まりやすいと聞いたことはあった、それがこいつらの性質なのかどうかは知らないが非常に扱いやすい。


「いやいや、いいんだよ? そんな見栄をはらなくったって」

「はあ!? 何が見栄だ! くそ、この、見てろ、……ッ!」


 ダメ押しのように煽るルアードに、完全に主導権を握られたサンダルフォンはもはや怒髪天を衝く勢いである。慈悲の天使とは思えない酷い表情でばっと腕を振りあげる、指先に集う光、膨大な霊力を紡ぎあげる細かく隙間のない緻密な術式。

 

《イパレーム・ハ=アリーグ!》


 半ばヤケクソのように唱えられる詠唱は術式解除の術のそれだった。

 紡がれた力が空気を震わせる。ばつん、と強制的に術式が、霊術の残滓が解除される。巻き戻るかのように元に戻る砕けた照明、満ちる柔らかな光、天使の聖なる力が織り上げられた力を解いていった。ふ、と消える首を貫く異物感、冷たい金の首輪は溶け落ちるように剥がれて消えていった。ついでだと言わんばかりに受けた傷もきれいに消えている。そろりと手をやる、指先は傷跡一つない己の肌に触れただけだった。痛みもない。残ったのは赤い石のペンダントのみ。

 ふん、と。サンダルフォンが得意げに胸を張る。


「どうだ、撤回してもらおうか!」

「わあ、凄いねぇ! さすがヨシュアさんの親友だねぇ、助かったよ。ルーシェルさんももう大丈夫? 声出せる? 美人さんの綺麗な声が聞こえないっていうのは世界の損失だからね!」


 急に振られて、「え、あ、ああ、」と。

 単語にもなっていない言葉が口から零れ落ちると、ルアードは良かったあ、と。にんまりと笑った。そこでようやくサンダルフォンは己の行動の結果に気付いたようだったが、最早全てが遅い。手遅れである。こちらとしてみれば不本意ながらも助かったわけであるのだが、天使はたたただ呆然としている。


 オリビアが非常に複雑そうに表情を歪めて頭を抱えていた。リーネンの、こっわ、という端的な言葉が室内に転がり落ちてそのまま音もなく消えていく。呆然と立ち尽くす天使、その中で一人ニコニコと全てを理解したうえで微笑んでいるルアード。ただのお節介だと思っていたが、どうにも敵には回したくないタイプである。


 はあ、と。息を付いた。

 息をつくくらいしか許されないような酷い空気である。仄暗い室内、舞い散る聖なる力。強大な力を持つ天使。ようやくまともに呼吸も出来るようになって、リーネンが力を使うのを止め疲れたとばかりにぐったりと仰向けに倒れ込んだ。

 ……あの馬鹿は、どうなっただろう。

 別室にいるはずの男の姿を薄らと思い浮かべながら、そんな事をぼんやりと考えた。

 

   ※


 最古の記憶は真白い空間から始まる。

 物心ついた時には既に静けさに満ちた神殿にいた。美しく清浄な世界、青く澄んだ空。光は鮮やかに輝き、温かく、何もかも過不足なく与えられ満ち足りた世界。静謐、寂寞、祈りの声はとめどなく。光は柔らかな本流となりあらゆるものを浄化する。力、紡がれるもの。無が有へと変わる。本来あるべき姿が変質する。鳴り響く鐘の音。


 与えられたのは剣。

 言い渡されたのは務め。


 務めを果たすことこそが使命であった。

 剣を振るい、霊術を駆使し、襲い来る悪しき者達を斬り捨てていく。

 冷えた空気、死の匂い。共に戦う同胞が一人また一人と形も残らず消え失せていく。さらさらとこぼれ落ちていく。如何ほど護ろうと力を振るおうが、すり抜けていくそれを食い止める事が出来ない。覚えるのは絶望的なまでの無力感、強く、もっと強く。望んだ果てに辿り着いた先、本来あるべき形から逸脱する。それはもはや異形と変わらない。

 

 鋭い牙が肉に食い込む。

 長い異形の爪が腕に、足に沈む。

 喰まれ、引き千切られ、それでも立ち止まる事は許されない。戦うことこそが全て。護らなければならない、それこそが存在意義であり存在理由。


 刃。術式。降り注ぐ光。滴る深紅、翻る銀光。噴き出る鮮血は鮮やかに周囲を染め上げる。砕ける身体、飛び散るのはかつて仲間であったもの。護る為に戦う、それこそが与えられた役目。振るわれる力。責務。苦痛は飲み込まれ恐怖は書き換えられる。


 祈り。務め。儀式。


 何度も何度も繰り返される、その度に少しずつ削れていくなにか。破壊される肉、修復される骨、祈りは永遠に。賛美、御言葉、聖歌は神の御代を歌い続ける。幾千幾億の祝福、慈悲、気が遠くなる程の光。

 ひしめく異型の悪魔達、向けられる剥き出しの殺意が肌を刺し貫く。奥深くを抉るように怖気を掻き立てる。粛清。悪夢は終わらず現実へと滲み出す。繰り返される祈り、損傷、儀式は滞りなく。


 研ぎ澄まされていく感覚。

 鋭利な湖畔のように凪いで、鋭く尖る。

 何かが酷く鈍麻していく。

 緩やかな時の流れ、漠然として不透明で不鮮明。

 

 真白い空間。荘厳にて静謐。

 

 あなたさまは特別な方。

 御身は神の御手を知ろしめす。

 栄光、天のいと高き所にホザンナ。


 ――本当に?


 そう、口にしたのは。一体誰だっただろう。

 絶え間なく満ち溢れる光、影は影であることを許されずただ清き輝きに溶けていく。花は色とりどりに咲き誇る、朽ちることもなく枯れることもなく永遠の秩序に従い永遠を映す。欠けるところのない楽園の完全さ、光に包まれ、歌に満たされ、穢れなく、罪なく、ただ清く、ただ正しき永遠の御座。調和のただ中に存在する神の栄光。守る為に戦う、この世界を、皆を、穢れから護らなければならない。不必要な痛覚はとうに捨て去っていた。大丈夫、まだ戦える。闘える。


 ――本当に、君はそれでいいの?


 案じる眼差しの暖かさが、よくわからなかった。

 その問いかけに答えられない。何を問われているのかすら理解出来ていなかったように思う。自分は望まれてここにいる、成果を出さなければならない。護らなくては、誰ひとり取りこぼすことなく戦わなければ。強くあること、ただ強く在ること。それだけがすべて。痛みは感じない、平気だ、自分は単なる兵器なのだから。戦って、戦って、戦って、救えるのならこの身が潰えようとも構わない。この命が消えたとて御旨は続く、意思は連なっていく。終わらない、それこそが永遠だろう?


 どうして、彼女は泣いたのだろう。


 握られた手の温かさに、そう、酷く驚いたような覚えがあった。震える手で、なんでそんな事言うのと。随分と不思議なことを言われたような気がする。何故なんて、それこそ何故そのような事を問うのだろう。護る為には戦わなければならない、負傷を恐れては戦えない。悪魔を殲滅しない限り続く、ただそれだけのこと。それを、どうして彼女は責める。

 

 ――約束だよ、


 忘れないでと泣いていた。

 ほとほとと彼女の白い頬を流れ落ちる涙の意味が一つもわからないのに、触れた手の暖かさが不快ではなかった。柔らかな指先が、自分の硬く傷だらけの手で怪我をしないだろうかとそんなことばかりを考えていた。泣かないで欲しいと、告げた自分に、約束守ってくれるなら泣き止んであげると。むっとしたような彼女の、その、表情が酷く眩しく映った。生きている、どうしてだろう、そう思った。彼女は確かに生きてそこに存在している、暖かくて脆い身体、そこに覚えた感情のあまりの不確かさ。

 他愛ないやりとりだった。

 一番最初に交わされた些細な約束。

 彼女は、自分に何を望んだのだったか――…

 

 

 ふ、と意識の浮上と共に瞼を上げる。

 明るい室内は見覚えがなかった。差し込むのは西日だろうか、朱色に染まった世界が窓の向こうに広がっていた。自分はといえば窓際に置かれた椅子の上に座り込んでいる、腕の中には愛剣である聖剣メレフ・ハネビイーム。いつの間に手にしていたのだろう、私は確か、ヨナと一緒に花祭りを回っていた筈で……?

 

「気付かれました?」


 白髪の少女がそこにはいた。

 不安げな表情でこちらを見上げてきている。

 

「ヨナ」

「はい、ヨナです。お身体は大丈夫ですか?」

「問題は……ないと思います。あの、私はどうしてここに?」


 随分と懐かしい夢を見ていたような気がするが、どうしてここにいるかまでは解らなかった。ここは里長の屋敷だろうか、どうやって戻ってきたのだろう。


「ヨナを庇ってくださったのですよ、それで……記憶が少し、飛んだみたいで」

 

 困ったように口にする少女に、そういえばそうだったかな、とほんの少しだけ思い出す。相性占いだったか、ああそうだ、魔力で作動するものに霊力を注ぎ込んで暴発したのだった。それで、ヨナを庇って――どう、なったのだったか。くらりと目眩。痛みはないが妙な感覚が残っていた。おや、と思う。腕にはめていた腕輪型の増幅装置がなくなっていて気配の察知が出来ない。何故、そんな事を考えていたら、ずだだだだだ、と。何かが転がり落ちるような酷い足音が遠くから聞こえてきた。だんだんと近づいてくるそれは部屋の前で止まったかと思うと、一拍のあと、ばん、と。乱暴に扉が開く。

 

「おい、俺がわかるか!?」


 飛び込んできたのは硬質な刃物を思い起こすような銀の髪をした天使だった。あまりの勢いに面食らっているこちらへとずかずかと荒い足取りで近づき、両肩を掴まれたかと思えば彼の輝く真紅の瞳が無遠慮にこちらを覗き込む。乱暴であるのに不安げに搖れる眼差し。


「か、カレブ? また来ていただいていたのですね、」

 

 吐息がかかるほど近付く友人の顔に狼狽えつつも、ありがとうございます、と。天界で非常に多忙である筈の彼に礼を述べるとカレブはぐしゃりと顔を歪め、はああぁ、と。酷く深く長い息をついてしゃがみ込んでしまった。頭を抱え、よかった、と。絞り出されたかのような安堵の言葉に、しかし理解が追いつかない。


「あの、一体どうしたというのですか」

「俺の事覚えてなかったら承知しなかったぞ」

「え、と……?」

「ヨナも! ヨナもですからねぇ!」

 

 わっと抱きついてくる少女にしかしやはり状況がよくわからないでいた。やわらかくその小さな体を抱きとめる、愛らしく自分を慕う白い少女。その傍らにはむすりとしたままの親友。その煌めく銀の髪色はここでは不穏な意味を持つものだが、それでも自分はその綺麗な彼の髪が好きだった。鋭い刀身を思わせるそれは冴え冴えと輝いて、彼のそのはっきりとした顔立ちを真紅の瞳を酷く際立たせている。


 強く美しく、自分を親友だと言ってくれる彼に、苦労をかけながらも自分の側にずっといてくれる少女に。事態は未だに飲み込めなくとも自然と浮かぶのは柔らかな笑みだった。優しい二人、暖かくて心地良い。大切にされている。それは疑うべくもない、のに。

 

「すみません、ご迷惑をおかけしたようですね」


 果たして、己にそれだけの価値があるのだろうか。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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