表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁のホザンナ  作者: 青柳ジュウゴ
69/78

69 陽だまりに咲く花 - 3 -

よろしくお願いいたします。

 太陽は頭上高く昇り、煌々と地を照らしていた。

 光が強くなるにつれ祭りは賑わいを増していき、エルフ達の陽気な歌声はますます強く高らかになっていく。石畳の道、日よけの為に纏ったコート、影の濃い所を選べばそこはメインロードから僅かに外れた木々の中。舗装されていない道をざくざくと音を立てて進む。

 ざあ、と木々の擦れる音が頭上から降り注ぐ。目をやった先で、日の光を受けて弾けるようなエルフ達の金の髪が揺れている。華やかな談笑。吹き抜けていく風が淡い色彩の花弁を舞い上げ、翻る真白い衣服が輝いていた。


「ルーシェルさま、どこへ行くんですにゃ?」


 恐る恐るこちらを見上げるリーネンの、その金色の瞳にしかし何を返すことも出来ない。どこへ行く、なんて。そんなものなど知らない。ぎゅうとコートの裾を握る、何をしているのだろう。そう思うのに、それでも歩を止めることが出来ないでいた。


「………………さあな、」


 不明瞭な声色で答えながらも道をゆく。

 色の濃いコートのフードを目深に被った自分は、往来から外れていたとしても酷く目立っていた。周囲から向けられる視線は心地の良いものではない、身を隠すかのようにしながらも薄っすらと漂う聖性を辿っていた。周囲に満ちるエルフ達の魔力とは違う、その眩いまでに鮮やかな光の軌跡。どこにいてもわかる輝き。離れてより一層感じるあの男の霊力は、その量よりも特異なまでの邪悪を灼き尽くす圧倒的神聖さがあった。


 何をしているのだろうな。


 ふ、とこぼれ落ちるのは自嘲にも似た吐息。向けられる自問自答。くだらない、天使共の行うデートなど興味もない。そう、頭ではわかっていても形容しがたい想いが胸の奥底を苛むのだった。柔らかな肉に爪を立てられるようなじわりとした苦痛、喉の奥が冷たくて掻き毟りたくなるような不快感。


 向う先ははっきりしている、のに。

 辿り着いたその先でどうしたいのか解らない。


 誰をも平等に扱う天使、博愛主義者の慈愛と感情、行動、そこに一切の他意などない。ただ正しいと判断したことを行うだけの善性。あいつに特別などいない、誰も彼もあの男の前では単なる個でしかない。あれだけ他者に対し「もしかしたら自分は特別な存在なのではないか」と錯覚するほどのものを与えておいて、素知らぬ態度でいる酷い男。酷い男、なのに。自分はこうして後を追っている。魔界に君臨する魔王の姿かこれが。屈辱的である。悔しい、腹立たしい、それなのに、――それなのに。


 ――白い小娘は、わかっているのだろうか。

 

 訳知り顔でこちらに向かって好き勝手ほざき、天上の存在であるあの男に纏わりつく低級天使。それを許しているのはあの男ならやりかねないという思いと同時に、やはり、あの小娘は他とは違う立ち位置に置かれているのだろうとも思う。わからない。何もわからない、のに。あの男が小娘に微笑みかけているのだろうと思うだけで燃えるような怒りが湧き上がるのだった。一体何に対してなのかもわからないというのに。


 異界の地はあまりにも現実味がない。

 どこか天界に似た淡い色彩の空、色濃くざわめく木々、生命、息が詰まるほどに。鮮やかに舞う花弁、穏やかに流れる空気、活気、満ち満ちる吐き気を催す程の善性。日の光が白々と己を照らす、足元に落ちる影の濃さ。暗闇こそが我ら安住の地、光と対成す闇の眷属、己の異質さを色鮮やかに描き出す。陽光、熱線、断罪のように。不可解な感情、この身を削りゆく日の光、視界を覆い尽くすのは眩いまでの生の狂乱。

 自分も、あの男の名を呼べばいいだろうか。

 そうすれば、――そこまで考えて頭を振る。馬鹿馬鹿しい。どうでもいい。これではまるで自分があいつの「特別」になりたがっているようではないか。冗談ではない。


 は、と。こぼれた吐息は呆れか自嘲か。

 光を追いながら陽光から逃れるように目深にフードの裾を引く。

 

 そもそもの話、あの男の名を知ったところで端から呼ぶつもりなどなかった。個別の名、呼称、個の識別など必要ない。あいつは天使で、自分は悪魔で、そこで全てが完結している。それ以上の事などない、交わる事など。いやにこちらに干渉してくるのがあの男であっただけだ。――ああそいういえば、何故自分のことを名前で呼ばないのかと詰られたこともあった。立場のわかっていない天使の戯言である。けれど、もし、さっさと呼び捨てにしていれば。このくだらない溜飲も多少は下がっていたのかもしれない。ただの結果論。馴れ合うつもりなどないのだからと拒否していただけに過ぎない。名を呼べばよかっただなんて、一体どれほど日和れば気が済むのだ……

 

 鼻腔に否が応にも流れ込む花の香りに眉をしかめる。

 これも全て、噎せ返るようなこの花の香りのせいだ。

 

 周囲を覆い尽くす花の甘い香り、色鮮やかな色彩に溢れた生命満ちる里。仄暗い闇の底が郷里である我らにとって、此処はあまりにも感覚を狂わせる。だからだ。そう結論付け改めて前を向く、繰り返される自己嫌悪。

 ちょこちょことこちらの後ろについてくるリーネン、漂う天使の聖性。

 道行くエルフ達のざわめきが耳に突き刺さる。


 そうこうしているうちに、離れた場所で足を止めている天使達の姿をみつけた。どうやら露店の品を見ているらしい、上背のある男と白髪の小娘の組み合わせは酷く目立っていてすぐに分かった。

 こちらへと気付かれる前にさっと身を隠す、何をしているんだ、もう何度目になるかも解らない問いかけは感情の前では容易く放り投げられる。

 そろりと天使共の動向を窺い見る、何やら店主らしきエルフとやり取りをしていて、小娘が嬉しそうにしている様子が見て取れた。声は聞こえないのに、まるでエスコートでもするかのような丁寧な姿勢でいる天使の姿になにか、こう。非常にむかついた。胸の内で荒れ狂う炎を確かに感じていた。嫌なら見なければいい、さっさと戻ればいい。あの男が誰と何をしようが自分には関係ないだろう。頭の奥底でそう叫ぶのに、どうしてもその声に従う事が出来ない。

 

 あいつらは随分と前に屋敷を後にした筈なのに、まだこんな所にいるのか。店先で一通りはしゃいだらしい小娘と共に、男はゆったりと再び歩き始めている。向かう先はどこだと言ったか、セセアの大木を見に行くのだとかなんとか……興味などないというのに、それでも己も天使共の後を気付かれないように追う。


 道行く天使共は腕を組んではいるものの、はたから見ればまるで親子のようだった。小娘が一方的に纏わりついているようにしか見えないが、それを拒絶しない男に対して不可解なまでの猛烈な苛立ちを覚える。似たような服装、纏う量こそ違えども同じ聖性に満ちた霊力、穏やかで無垢な魂。ぎちりと。握った拳から嫌な音がした。掌に食い込む爪、痛みなどよりもよほど腹立たしさの方が勝る。


「ルーシェルさまは、ヨシュアが気になるにゃ?」


 周囲の喧騒ですら鬱陶しく、足取りも荒く後を追っていればぽつんと一つ。リーネンがこちらへと向けて放った言葉にびくりと飛び上がった。まるで側頭部を殴られたかのような衝撃に足を止める、ぎょっとした感情のまま見やれば、不安げに搖れる瞳がこちらを見上げてきていた。それがまるでこちらの胸の内を見透かしているかのようで、ひゅっと。喉が鳴った。


「ち、ちが、私は、別に、」

「にゃーは怖いにゃ……天使って、みんなあんななのにゃ……?」


 取り繕うための声が思い切り裏がえっていたが、リーネンはこちらのコートの裾をきゅうと握って更に続ける。震えるその小さな指先に、単なる冗談で言っているわけではないだとわかった、が。

 

「……怖い?」


 どくどくと跳ね回る心臓を抑えながら思わず口にする。

 怖い、とは。あんな、とは。腑抜けた顔で碌でもない事しかしない男の、一体何が怖いと言うのだろう。

 訝しげに問えば、リーネンはこちらを見ないままだって、と。口ごもった。

 

「だって、あの時、……ルーシェルさま、死ぬ気だったにゃ」


 リーネンの、恐る恐ると押し殺したような声にぐっと押し黙る。金色の瞳に涙を浮かべて恨みがましくこちらを見上げてくるこの使い魔に対し、流石に言いようのない気まずさがあった。


「それは、……」

「あれだけの力を食らって、普通平気なものにゃ?」


 言い淀んだこちらへと更に問いを重ねる。

 じいと見上げてくるリーネンの眼差しはどこか確信じみていた。違うでしょう。普通は平気じゃないでしょう。もっと、もっと酷くグロテスクな惨状になっていた筈でしょうと。ーー答えられない。

 思い起こされるのは昨夜のこと。

 こちらの神経を逆撫でることばかりする小娘の言葉に不覚にも乱された結果、自暴自棄になった。全てが嫌になって、全部終わりにしようとして織り上げた力。何もリーネンの過大評価ではない、事実、現在自身で扱えるだけの霊力を最大限まで引き上げ、肉を引き裂き骨を砕くに十分な威力だった筈だった。考えうる限りの惨たらしさをと、原型も留めぬよう切り刻もうと。それを、いとも簡単に打ち砕いた天使。


「にゃーは何もできないにゃ、弱くて、何のお役にも立てにゃい……ルーシェルさまが何にそんなに苦しんでるのかも、魔界でのことも、にゃーは全然わからにゃい、から。ヨシュアが助けてくれたのは、感謝してる、でも、でもにゃ、」


 こちらのコートを握ったまま、よほど力を込めているのかリーネンの拳は血の気をなくして白くなっていた。


「ヨシュア、ミンチになったと思ったんにゃ⋯⋯ルーシェルさまを助けてくれたのは、良かった、けど。なんであいつ、腕が裂けただけなんにゃ? なんで平然としてたにゃ? 霊力、あんま使えないんにゃよね? ルーシェルさまと変わらにゃい霊力量で……なんで、あれだけの傷で済んだんにゃ?」


 縋るかのような眼差しでの問いかけ。

 混乱していたあの時は気付かなかったが、言われてみれば確かに何故と思った。現在わずかな霊力は扱えるとは言え双方自動抵抗(レジスト)は発動しない状態だ、祭りの場であってあの男は帯刀もしていなかった。無数の刃を弾いたのは霊術にしても、同時に強力な防壁でも張ったのだろうか。それにしては違和感が残る。一種異様なまでの頑健さを持つ天使、異常なまでの体幹。そういうものだと思っていたが、確かに、普通というものから逸脱しているのかもしれない。


「あれ食らったら、多分、ひとたまりもないんじゃないにゃ……?」


 震えるリーネンの声。

 決してあの傷が軽傷であったとは思わない。けれど――けれど。怪我の程度が軽かったとして、それを内に秘める霊力の高さだけを理由にしていいのかまでは判断がつかなかった。単純な霊力量だけなら自分の方が多い、それでもそれなりに負傷してきているのだ。リーネンの言葉を一笑に付すには少々引っかかりを覚えたのも確かだ、否定できない。


 あの日、あの夜。ぼとぼとと、音を立てて滴り落ちていった奴の血が大地を真っ赤に染めていた。腕に突き刺さる刃が真紅に濡れそぼっていた。ずたずたに引き裂かれた肉、そうだ肉だけだ。腕が不自然にひしゃげていなかった、のは。刃が骨まで達していなかったからか……?

 

「ヨシュアは、多分いいヤツにゃ。あのちっこいのは気に入らにゃいけど! でも、どこか、うん、何かすごく怖いものがあって……きっと、ヨシュアは何かを隠してる気がするんにゃ」


 こちらのコートをふみふみといじくりながら、底しれぬものがあるのだとリーネンは口にする。


「何かって何をだ」

「わかんにゃいけど〜〜〜ッ あんまり信用しにゃい方がいい気がするんにゃ!」


 じたばた暴れながらもきっぱりと断言する。

 けれどその言葉は真実であるようでいて実態がない、あくまでそういう気がする、単なる勘といっても過言ではなかった。多分いい奴、でも何か怖いものがある、多分隠し事があって、信じるには今一つ不安がある。不穏なことばかりを並べ立てるがしかしその根拠がない。ただ単にそう感じだからと言っているだけだ。だが、全くの見当違いであると断言できないのもまた確かだった。

 隠し事はあるのだろう、それがきっと他者には言いたくないだろうことも。長い生だ、何の痂皮なく生きてきた者などいない。あの柔らかく微笑むばかりの男の、抱えるものを。つまびらかにしたとて何ができると思えない。そこまで自惚れていない。破壊と殺戮しか能のない自分に、建設的なことなどできる筈もない。

 

 ――貴女だって、そうじゃないですか。


 男の声が蘇る。

 珍しく何処か嫌味っぽい物言いをした天使。お前だってそうだろう、それは、つまりお互い様ということなのだ。敵同士だからこそ言えること、言えないこと、そうでなくても知られたくないことは沢山あった。私が兄のことを口にできないように、あいつもーー想い人のことを、言いたくないのだろう事は想像に難くない。胸の奥で切ない音がする、締め付けられるように痛むそれは甘やかで、苦しい。


 ふう、と息をつく。あの男の事を知ったところでという思いもある、知りたくないという思いも同時に。

 いい奴だが信じるな、か。

 リーネンの言語化できない言い分は、案外的を射ているのかもしれなかった。穏やかなばかりの食えない男、そもそも信用に足りる関係でもない。


「それはそうとして……随分、主人に向かって尊大な口を利くものだな」

「にゃ、にゃあ!?」

「でも、そうだな。忠告は聞いておくとしよう」


 言いながらくしゃくしゃと使い魔の頭を撫でてやると、ふへ、と。妙な声を上げつつもへにゃりとリーネンは笑った。大した力を持たない低級悪魔、その分本能的な感が鋭いのだということにしておこう。保身の為とは言え、こちらの身を案じてくれていることはそう悪い気分ではない。

 

 そのままふいと視線を天使どもに再び戻す、背の高い男と白髪の小娘の組目立つ二人組。再び歩き出したのを目で追っていた。美しく清らかな存在は眩しくて強烈な軌跡を残す、自分とはあまりに違う。信用ならない胡散臭い男、柔らかなぬくもり、木偶の坊、それでもこちらを映す瞳は青く透きとおっていた。泣きたくなるほど優しい色。真っ直ぐにこちらを捕らえて離さない。


 だって、好きだなって思ったらもうダメじゃない?


 そう言って笑っていた梓の気持ちが悔しいけれどよく分かった。頭では馬鹿らしいと思っていても心が納得しない、理性が駄目だと言っているのに想いが溢れて痛くて苦しい。告げるつもりなんてないのだから、最期まで想うことだけは許してほしいと思う。光に焦がれ焼け落ちる羽虫のようだと自嘲しながらも、そのまま終わるのも悪くないのかもしれないと満足している自分がいた。あの慈悲に溢れた強烈な光に焼かれるのなら本望だ。

 

「…………追うぞ」


 そう小さく呟いて、再び追跡を開始する。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ