61 変革 - 6 -
よろしくお願いいたします。
祭りは賑わいを増していた。
淡い色彩の空、日は高く昇り緩やかな風に乗って柔らかな花の香りが周囲を満たしている。陽気な音楽、歌声。穏やかに笑い合うエルフ達、揺れる金の髪、翻る真白い布地、新緑色のリボンと薄桃色の大輪の花。綺麗に結い上げられた己の髪からも時折はらりと花弁が落ちふうわりと甘く香る。
隼人と賑やかな三つ子たちとは別れ、来た道を戻る。傍らには長い黒髪の男。むっつりと口を引き結び、黙ったまま祭りの主会場から足早に離れるアーネストの後に自分も続く。彼の背でさらさらと踊る黒髪はしかし、祭りの正装だというリボンは結わえられていない。酷い傷跡を隠すように袖の長い衣服、いつもと変わらない服装。
「アーネストさんは髪を飾らないのですか?」
先をゆく彼に問うと、歩みを止めないままアーネストはちらりとこちらを見た。深い海の底のような蒼、どこか苛立ったかのような剣呑とした眼差しはしかしすぐにこちらから離れた。
「……俺は部外者だからな、」
再び前を向き小さく一言だけ口にする。
部外者。外部の者。この里の構成員ではない者。この里では目立つ髪色をした彼は一目で異分子とわかる。すれ違っていくエルフ達がアーネストへと向ける視線は好奇と不快感が多数を占めていた。誰もが彼を知っている、けれど不必要な程の距離。視線を投げかけてはくるものの、話しかけてくる者はいない。だから彼は、祭りには参加しないのだと言う。
「エルフどもは人間を嫌う。あの馬鹿が上手く取りなしているだけで、……さっきの三つ子も言っていただろう、〝人間ごとき〟と」
淡々と続く言葉。
その程度の扱いなのだと、彼は言外に込める。
緑の瞳から向けられる視線を気にした様子もなく、彼は里長の館へと歩みを止めない。
「俺は〝竜人の喰い残し〟だ。一度手にした獲物へ執着する獣も多い、里の奴らは報復を恐れている」
だから当然の反応なのだと言わんばかりの物言いである。受け入れられない事、誰もが彼の事を知っているのに、ルアード達以外のエルフは名を呼ばない事。人間、と種族名で距離を取られている事。
エルフと人との確執は聞いている。
竜人という絶対的な存在からの報復、獲物を取られたと襲撃を受ける可能性はゼロでは無いのだろう。それに人間はエルフ達の遺骸を持ち去った過去もある、相容れるはずもない。そもそも種族が違う。文化、思考、生活様式に魔力の有無。姿形こそは似ていても似て非なる者。
「だから、帰りたくなかったのですか」
「表立って何かされるわけじゃない。そりゃあ里長のお墨付きだからな、手が出せないというのが正しいのか……」
ふ、と。アーネストは何かを諦めるかのように小さく笑ったような気がした。先をゆく彼の表情は見えないまま、どこか震えるような呼気が空気を揺蕩う。視線がゆるく落ちる。
「そんな俺が、――」
「あれー? アルじゃーん? 思ったよりちゃんと帰ってきたねーぇ?」
不意に上がる大声に、びくりと肩を震わせてアーネストは伏せた顔を勢いよく上げた。足早であったからか思ったよりも早く辿り着いた里長の館、その前にはとろけたようなルアードの姿があった。顔を真っ赤にしてベンチに座っているである。にこにこと笑ってはいるものの明らかに泥酔状態。
「……アル?」
「ガキん時のあだ名だ、あの野郎」
ちっ、とこれでもかといわんばかりの激しい舌打ちが響く。
「お前どんだけ呑んだんだ」
「んふー、いっぱいかなあ」
急激に機嫌が急下降していくアーネストにしかし、ルアードは気付いていないのかえへへぇと嬉しそうに笑っている。随分と酔いが回っているのか声が妙な節を付けて変調する。
「お祭りはあ、無礼講ー」
思い切り顔をしかめるアーネストとは対象的に、ふにゃりと融けたような表情のルアードは呂律が怪しい。
「お前が無礼だろ」
「そーおー?」
里長の孫である彼はこてん、と首を傾げるのだがそのまま戻らず傾けた方へところりと倒れ込んだ。何が面白いのか、ひゃーと不思議な声を上げてけらけら笑っている。大丈夫ですかと声をかけるとぱちりと緑の瞳とぶつかった。熱に浮かされたように潤んだ目元が、更にとろりと溶ける。
「ヨシュアさんはあ、まーた更に美人さんになったねーぇ?」
んふふふ。不思議な声を上げながらふらふらとした指が伸ばされるが、目測が怪しいのかこちらへは届かない。ゆらゆらと揺れる指先、どうやら結い上げられたこちらの髪の事を言っているらしい。ルアードが手にしていた花籠は空っぽになっていたが、同時に空になった酒瓶もベンチの上に三本転がっていた。随分酔っ払っていると思ったが相当数を飲んだようだ。
「大丈夫ですか? お部屋に戻ってお水を、」
そう言うって彼のそばへと寄ろうとしてぐいと肩を引かれた。
振り返ると顔という顔に面倒くさいと書かれたアーネストがこちらを見てゆるく首を振る。青い瞳にはどこか殺伐とした光が宿ってさえいて。
「酔っぱらいは放っておけ。ろくな事にならん」
「えーアルってばひどくなーい?」
「お前の介抱はうんざりだ」
心底嫌そうにアーネストは吐き捨てる。
「大体、毎回浴びるように飲む奴が悪いんだ。宿へ泊まるたび前後不覚になりやがって、誰が回収してると思っている」
「アルも飲めばいいじゃんねぇ?」
「いやだ。酒は怖いものだ」
「えーおいしいよぉ? おいしいしふわふわきもちいし、陶酔感っていいよねぇー」
その間も通りかかるエルフ達が今日もよく酔っ払ってんなあと言いながら笑っている。今年のお酒もいい出来だったよお、にこにことご機嫌なルアードに青筋を浮かべたアーネストは頬を引きつらせていた。
「誰のせいだと……」
唸るように低く。
ぎちりと握り込まれる拳の強さ。殺気立った空気が武器のありかを探ったのがわかった、ちらりと向けられる彼自身の背後への意識。そこには常であれば大剣が威圧的に存在しているのだが、里の中では流石に旅の装備類は外されている。もし旅のさなかであれば確実に抜かれていただろうほどの怒気。というより最早殺気に近い。
アーネストの苦労は忍ばれるが流石に流血沙汰は避けたい、と全身の毛を逆立てたようなアーネストにわずか身構えた瞬間。
「お前はまた飲んだくれてるのか」
呆れた声がしたと思えば、ひゅっとを細長い緑が伸びてきてあっという間にルアードを縛り上げてしまった。そうしてあらーという間抜けな声とともにぐいと釣り上げられる。一本釣り、という言葉が頭をよぎる。森の中で木の幹にぶら下がっていた虫も思い出された。
ルアードを縛り上げた蔓を自在に操りながら、現れたのはオリビアだった。
真っ白な裾の長いワンピースを身に纏った彼女もまたアーネストと同様凄まじく顔を歪めている。呆れ半分、怒り半分といった非常に複雑な表情をした彼女にしかし、ルアードはふにゃふにゃしながらも抗議の声を上げる。
「花酒の出来をー評価するのもー里長のお仕事でしょー?」
「じいさまが済ませとるわバカモノ」
そうして遠巻きに見ていた周囲のエルフ達をじろりと見やる。
「皆もこいつに面白がって飲ませるな、馬鹿は際限がない」
ばかはひどくないー? ルアードの声が頭上からする。
ゆらゆらと揺れながらも機嫌の良さは相変わらずなのか、実に幸せそうにしている。それをちらちらと見ながら、周囲のエルフ達はええと、と。オリビアに対し気まずそうに視線をうろつかせていた。僅かな沈黙の後。
「いえちょっと飲みっぷりがよくて……」
「どれくらい飲むかなーとは」
「断じて賭けではないです、うん、」
「あ、ばか、」
どうやら一人が口を滑らせたらしい。
慌てて周囲が発言者の口を塞ぐが零れ落ちた言葉は取り消せない。じろと、オリビアのその緑柱石のような瞳がもう一度周囲をひと睨みした。まずいと、エルフ達の間に緊張が走る。どうやら賭博はご法度らしい。
「……その辺りは後で改めるとして」
はあ、とオリビアの呆れた溜息。
前髪をくしゃりとかき上げると改めてこちらへと向き直る。
「ちゃんと帰ってきたんだな」
意外そうな物言いである。
当然アーネストには面白くないのだろう、むっと眉間にしわを寄せている。握り締めていた拳は行き場をなくしたせいかひらりひらりと指を振りながら、実に面倒くさそうに息をついた。
「お前ら揃って俺を何だと思ってるんだ」
「里に戻れば報告の約束だろう、さっさと逃げたお前が言う事じゃないな」
普段は寄り付かないくせに。
続く言葉にふいと視線をそらし、アーネストは無言で返す。答えたくない、わけではなさそうなのだが何か言葉を選んでるような妙な間が横たわる。
「一体どういう風の吹き回しだ?」
オリビアの問いかけに、ちらりと。青い瞳が何故かこちらを見た。
何か言いかけて、やめたかのような一拍。はく、と唇が戦慄いたが再び閉じられ、それは、と。酷く言いにくそうにしたかと思ったら、ややあって観念したかのように口を開いた。
「……こいつ、駄目だ。騙されて借金背負うタイプだ」
飛び出してきたのは全く想定外の言葉だった。
え、と。我ながら素っ頓狂な声が出た。
「一人にさせられん。から、付き添いだ」
「ま、待ってください一体何のことですか」
そのように言われる心当たりなど当然なく、思わず問い返すのだが。アーネストのあまり良く動くとは言えない表情にはありありと「嘘だろお前」と書いてあった。
「善意で犯罪の片棒を担ぎかけない」
断言である。
オリビアが目を丸くしてこちらを見た。
「三つ子の、女エルフに言われるままハヤトの店で買い与えようとしていただろう」
「それは……彼女たちが欲しいと、」
「別にあいつらとは旧知の仲でもないだろ。冗談が通じないのはまだ分かるが、何でもかんでも施してやるな。それは善意でも何でもない。相手にも失礼だ」
ぴしゃりと言い切られる。
持つ者が持たざる者に分け与える事は善であったはずだ。求められたなら応えるべきだ。けれど隼人もアーネストもそれは駄目だと言う。施し、甘やかし、そんなつもりなどない。通貨、金銭、人の子らには大切なものだが自分には必要がないものだから。だから、ならばと思ったに過ぎない。けれどそれは、確かに。傲慢な考えだったのかもしれない。
「アーネストにそこまで言わせるのも凄いな?」
ふむ、といっそ感心したような声を上げるオリビアを、実に嫌そうにアーネストは見やる。
「どういう意味だ」
「いや、お前が他人にどうこう言える立場になったのかと思ってな」
「馬鹿にしてるのか」
「ああいや怒るな、あのバカ以外に懐かなかった猫が他人を気遣えるようになったのかと――」
「ヨシュアさまぁ!」
どことなく不穏になりつつあった空気を切り裂くような甲高い声と共に、真っ白に着飾った少女が勢いよく自分に向かって飛び込んできた。小さな身体で力いっぱい首に抱きついてきたヨナを慌てて抱きとめる。
「ヨ、ヨナ、」
「おまたせしましたぁ!」
猫のようにすりすりとこちらへと頬を寄せてくる少女の頭をそうと撫でてやる。いつもの三つ編みの白髪をほどいてゆるく波打っていて、香油でも揉み込んだのかふわりとセセアの花の香りがする。頭には沢山の花、真っ白いワンピースは普段よりも幾重にも布地が重なった随分と華やかなもの。ワンピースと言うより最早ドレスに近い。
「可愛くぅ、なりましたあ?」
おずおずと青みがかった緑の瞳に覗き込まれ、くすりと小さく笑みがこぼれる。普段とは違う格好、どうでしょうと不安げにこちらを見るヨナは素直に可愛らしいと思う。
「ええ、とても。まるでお姫様のようですね」
そう告げれば少女は酷く満足したように満面の笑みで笑う。
「ヨナちゃんいっぱい悩んでたものねぇ」
柔らかな声に、びくりとアーネストが肩を震わせた。
ふわりと屋敷から出てきた梓はにこにこと笑いながら、オリビアのそばに肩を並べた。腰掛けた足元を隠すような裾の長いスカートがふんわりと揺れている。髪に添えられた淡い色彩のセセアの花が柔らかな雰囲気の梓によく似合っていた。
その後ろにはうんざりとした表情の女悪魔。深いスリットの入ったロングドレスを身にまとい、髪を美しく飾られているというのに彼女のその表情はあまりにも退屈そうだ。いや、退屈というよりは機嫌が悪いのか。艶やかな印象を惜しげもなく晒しながら、心底つまらなさそうにしてこちらを見ようともしない。
リーネンは猫の姿のままルーシェルの肩の上に座っている。控えめな白いリボンがその首元を飾っていた。
「アズサ、」
「準備万端ですよオリビアさま。ほらルーシェルさんもこの通り!」
「ふうん、ロージーが拘っただけの事はあるな、よくお似合いだ」
「……私はいつから貴様らの作品になった」
「んもう、またそういうこと言うー楽しかったでしょ?」
「楽しそうにしてたのはおまいにゃ……」
女性達の会話はひたすらに転がっていく。
きゃっきゃと楽しげにしている華やかな女性達が並んだ様は、どこか迫力があった。居心地悪そうにしているルーシェルをお構いなしに絡む梓と、ぱちりと目があう。まっすぐにこちらを見据える白と黒の色違いの瞳。
「ヨシュアさんも綺麗に髪を結ったんですねぇ、アーネストさんは……あれ、準備まだなんです?」
すい、とこちらの側までやってきてじいと彼を見上げるのを、戸惑いを隠せずアーネストはわずかに身を引いた。こてん、少女が不思議そうに首を傾げる。
「ルアードさんからお花受け取らなかったんですか?」
「い、いや俺は、」
しどろもどろとしているアーネストへお構いなしに、梓は自分の髪に飾られていたセセアの花を一つ取った。そうして向かい合ったアーネストへとそうと花を挿す。
「お祭り、楽しみましょうねぇ」
そう言って心から嬉しそうに、どこかはにかむように梓は微笑んだ。
肩で切り揃えられた黒髪が風にそよいでゆるく揺れる、はらりとセセアの重なり合う花弁がひとつ、剥がれて落ちた。慈愛に満ちた眼差し、やわらかな声色が全身で慈しみを伝えている。嬉しい。楽しい。混じり気のない真っ直ぐな感情。屈託のない好意。晴れやかに澄み渡る空のように温かで優しい色。
「――――……」
アーネストは黙ったまま立ち尽くしている。
どう答えたらいいのかわからないのか、酷く動揺しているのはわかった。アーネストさんもお花似合いますねぇと笑う梓を前に、いや、その、と。なにやらしどろもどろと言葉になってない言葉を口にしている。
「アズサ、少し里を回ってきたらいい。その朴念仁も連れて二人でな」
見かねたオリビアが提案を放ると、双方ぎょっとしたように飛び上がった。
「お、おお、オリビアさま、なんで、」
「その男が祭りの日に里にいるのは今回が初めてなんだ。アズサ、お前が案内してやれ」
顔を真っ赤にして「みんなで行くんじゃ、」とあわあわしている梓のかわりに、アーネストがオリビアをきっと睨め付けた。
「勝手に決めるな、なんで俺とアズサが、」
「ほう、アズサでは不満があると」
「そ、そんなこと言ってないだろう……!」
「じゃあ決まりだな」
アーネストを軽くあしらうと、オリビアはぱんぱんっと手を叩いた。そうして早く行って来いと言わんばかりに梓の背中を押す。
二人はしばらく互いにうかがうようにして相手を見ていたが、先に声を発したのは梓だった。それじゃあ……、と。おずおずとではあるが、二人で祭り会場である広場まで行くことにしたようだった。嫌いあっているわけではない、むしろその逆であるのなら嫌だと強固に拒否するのは良くないと判断したのだろう。
人一人、間にに入れそうなくらいの微妙な距離を開けたまま歩き出した二人の後ろ姿を、周囲にいたエルフ達も同様に微笑ましそうに見ていた。
里の者達の、アーネストに対する距離感は確かにあるのかもしれない。隼人や梓達とは違う扱いなのは、恐らく元からこの世界の住人であるか否かの差なのだろう。竜人に襲われた村の生き残り、それだけで警戒対象にはなる。里にあまり帰ってこないというのも心象が悪い要因なのかもしれなかった。
それでもこの場にいる者達は、特段悪感情を向けてるようには見えなかった。エルフ達とは違う黒髪の人間、その二人のぎこちない距離感をまるで幼子へと向ける眼差しのように和やかに見つめているのだ。
ヨナもこちらの首に腕を回したまま、よかったですねぇと満足げに笑っている。
誰も救えなかったと自責の念に苛まれる青年、元の世界には戻らないと決めた少女。誰かを愛する事は美しい事だと思う。願わくば、彼らに抱えきれない程の幸福が訪れんことを。
「えーっと、そろそろ降ろしてほしいんだけどナー」
……宙吊りのままであるルアードの声はしかし、初々しい二人を見送る周囲にしばらく気付かれることはなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




