56 変革 - 1 -
よろしくお願いいたします。
屋敷の応接室。
大きな窓から降り注ぐ陽の光は暖かく柔らかい。淡い色彩で統一された室内には不遜な態度で椅子に腰掛ける天使が一人。柔らかな金の髪、赤い瞳をした男は足を投げ出し腕を組んで不満げにしているのである。
部屋の隅に座る彼の対局の位置には先程まで言い争いをしていたオリビアの姿。こちらもむすりと口を引き結んで同じようにソファへと深く腰掛けていた。組まれた腕、組まれた足、彼女の細く長い指先が苛立たしげにリズムを刻んでその細腕を叩いている。
自分はと言えばサンダルフォンの側にヨナと共に座り、オリビアの側には頭を抱え少し顔色の悪いイーサンとルアードが座っている。その間に隼人と梓、なんで俺がと器用に無表情のまま表現しているアーネスト。なかなかの人数が一堂に会していた。ルーシェルは……私は関係ないだろうと参加を拒否し、部屋にとどまっている。屋敷はオリビアの領域内だ、そうそう暴れるような事もないだろう。
「孫娘が失礼をした」
「いえ、こちらこそご迷惑を……」
イーサンと自分とが互いに謝罪を交わす。
当の本人たちはと言えば、引き続きむっすりと口を引き結んで不満な表情を遺憾なく披露している。結局あのあと二人がかりでサンダルフォンとオリビアを引き離し、別室に連れていきなんとか落ち着かせたのである。
何故あんなにも腹を立てたのかと聞いてもサンダルフォンは知らん、何か異様にムカついたと言い……オリビアも似たようなことを言っていたとルアードから聞いた。どうやらこれと言った理由があるわけではないようだ、強いて言うのであれば双方言葉が荒かったか。
「普段から里の模範となるよう伝えているのですが、……この度は誠に申し訳ない」
イーサンが改めて謝罪を口にする。
オリビアは確かに豪胆ではあるが、無礼を働くような方ではなかったはずだ。それはサンダルフォンにも言えることではあったが、今は関係ない。結果が全て。
「いいえ、非はこちらにあります。申し訳ございませんでした」
立ち上がって深く頭を下げると、サンダルフォンはぎょっとしたように腰を浮かせた。
「おい、お前が頭を下げる必要はないだろ」
「貴方の来訪を告げていなかった私にこそ責があります」
「それは俺が知らせもなしに来たからで、」
「私はあなたの上官です、配下の不始末は私の不始末」
冷ややかに告げれば、うぅ、と。小さく唸って悪かったよ……と、あれだけ尊大な態度であったというのに視線を床に落とした。浮かせた腰を再び柔らかなソファへと沈め、小さく項垂れる。
彼とは友人ではあるが、それと同時に上司と部下の関係でもあった。学生である頃に出会ってから今に至るまで長い時を共に過ごし、競い合い高め合い助け合ってきたのだ。確かに少々気が短いところはあるが……役職名を戴いてからこのようなごたごたなどは皆無である。整然とした天使達は己の職務に忠実であり、談笑がないわけではないがいつも冷静に務めていたのだ。あんな風に感情を剥き出しにするサンダルフォンなど久しく見ていない。
「悪かったって、」
おろ、と。こちらを見上げる赤い瞳が揺れる。
魔王ルーシェルと同じ鮮血のような色、生を受けた時から持つその色彩。悪魔の持つ色だと不当な扱いを受けてきた彼が、努力で全てをねじ伏せていった事をよく知っていた。誇り高く折れることのない矜持、打ちのめされて尚立ち上がる不屈の精神を美しいと思った。負けず嫌いであると一言で称するのはあまりにも乱暴だ、幾度となく挑まれた勝負事。能力値の絶対的な差は埋められずとも、彼はそれを余りある努力の果てに獲得した技術で補ってきたのだ。
ふう、と。
呆れたように小さく息をつく。
――優秀ではあるのだが、いささか勝ち気な性格ゆえか態度が酷く尊大になる事が多々あった。今回に至っては割と良くない状況である。常識の違う異世界で売り言葉に買い言葉で激しく口論など印象が悪いにも程がある。謝罪の前に悪態を吐いた、有り体に言ってまあ最悪である。
「……私に対して言ったとて意味がないでしょう」
心証の悪さはもはや如何ともし難い。
誠心誠意謝るべきだ。卑屈になる必要はないかもしれないがそれでもあれはない。侵入者が居直ってどうするというのだと、そう、言っているのに。
「あー……なんだ……その、女。悪かったな」
サンダルフォンはしばらく視線をうろつかせていたかと思うと、腕を組んだまま。酷く不満そうに。文句を飲み込んだように。棒読みの、とてもじゃないが謝罪とは程遠い言葉を吐いた。
しん、と。
静寂が一つ、転がって。
「貴殿は謝罪の一つもできんのか!」
爆発したのはオリビアだった。
立ち上がって糾弾よろしく叫ぶ彼女に、それはそれで癪に障ったらしい。負けじと立ち上がったサンダルフォンは吠えるように言い返し始める。
「名を知らんのだから仕方がないだろう!」
「先日名乗っとるわこの愚か者が!」
「短命種の名などいちいち覚えていられるか!」
「たん……っ!?」
ひくりと。
オリビアの頬が目に見えて引きつった。
「我々エルフは三百年生きる! 短命種ではない! 名を覚えないことこそ無礼だろう!」
「言い返すのそこかよ! 三百など瞬きのような時だ、俺達は数千年を生きるんだ!」
「長く生きてそれか!」
「お前らの尺度で測るな!」
「貴殿がそれを言うのか!」
舌戦再びである。
「オリビア、いい加減にしなさい」
イーサンがうんざりしたように窘めるのだが、最早二人は止まらないのかばっと老年のエルフに体ごと向き合った。頭に血が上った二人の迫力はなかなかのものであったが、流石イーサンは動じることもなく。
「ですがこいつが!」
「そもそも先に喧嘩を売ってきたのはこの女だろう!」
「サンダルフォンやめなさい、」
「じいさまに向かってなんて口を!」
「オリビア」
「……なんかもう収集つかないねぇ」
最早止めるつもりはないのか、喧々囂々という二人を眺めながらルアードがのほほんと口にした。ロージー達メイドが用意したお茶をのんびりとすすっている。その側で、びっくりしたという言葉がぴったりの表情でいる梓が目を丸くして隼人にぽそぽそと耳打ちしていた。
「あんなに大声出すオリビアさま始めて見たぁ……」
「いや……ルアードに対してはいつもあんな感じだったぞ」
「そうなの?」
「ほらそこの朴念仁もよくどやされていただろう」
「……………………お前、俺に対して当たりが強くなったな」
「何のことかなあ、俺にゃよくわからんなあ」
完全に蚊帳の外にいる人間三人の様子は微笑ましくも映るがそれどころではない、感情の高ぶり故だろう、朝方と同じように魔力と霊力がゆらゆらと双方から溢れ出始めている。封魔の陣が張られたというこの応接室内でぱちんぱちんと、乾いた音を立てながら弾けて消える。強力な陣なのだろうが、いかんせんサンダルフォンの霊力量は彼女らの比ではないのだ。屋敷内の術式が崩壊するだけならまだしも、里に張り巡らされたものまで破壊しかねない。その事に気付いているのかいないのか、二人共さらに白熱して行く。無効化されて弾け消えゆく乾いた音が段々と重いものに変わっていく、――はあ、と。ひとつ息をついて。
「ぐ、っ!?」
サンダルフォンの胸元に、そこそこの力を込めて拳を叩きつけた。所謂裏拳。
オリビアばかりに意識が行っていた彼は完全に無防備な状態で胸元を強打され、前のめりになってごほごほと激しく噎せ返っていた。彼本来の銀髪ではなく、色を変えた柔らかな金の色が揺れてまるで別人のようにさえ見える。
「な、……っにしや、……」
みぞおちのあたりを押さえ、涙目でこちらを見上げてくる。赤い瞳の恨みがましい眼差しに、反省の色なしと判断した。深い溜め息をつく。
「それを私に言うのですか」
「…………っ、」
静かに告げれば、サンダルフォンははく、と。唇を戦慄かせて今度こそ口を噤んだ。そうしてよろよろと再びソファへと力なく沈む、酷くばつの悪そうな表情。
「ヨシュアさんでも手を上げることあるんだねぇ」
「言って聞かないなら実力行使も選択肢に上がりますね」
別にしたくてしたわけではない。暴走したまま止まらぬ彼を止めるた為だと困ったように笑って伝えれば、ひゅー、と感心したようにルアードは声を上げた。言葉で解決できるのであれば諍いなど起こるはずもない。現に自分は何度も制止している、そもそも恩人であるオリビアに食って掛かるサンダルフォンにこそ問題があるのだ。犬猫の躾みたいだなと隼人の呟きが耳に届いたが、聞こえなかったことにした。
「姉ちゃんも年甲斐もなく暴れんなよなー」
「年は関係ないだろう、」
「もう十分でしょ?」
「く、……醜態を晒したな」
オリビアも不承不承といった体ではあるが、唸るような声で小さく口にし、苦虫を噛み潰したかのように顔を顰めていた。ひとまずは収束と言ってもいいだろうか、そもそもここまで大事になることでもなかったはずだが。サンダルフォンの来訪、突然の訪問に対する謝罪と今後の事についての話をするだけだったのだ。それがどうしてこうなった。
こちらが呆れたように小さく息をこぼしたと同時に、ごほん、と。場を改めるようにイーサンもひとつ、咳払いをした。
「それで、お話とは何でしょう。随分と資料室に籠もっておいででしたが、何かわかった事でもありましたか」
ルアードと同じ緑の瞳がこちらを射る。
すっと伸びた背筋。威圧的ではないのに威厳ある佇まい、所作。
「……竜人についての記載と、こちらの術式構築方法を主に見ていました。御令孫方に解説などもしていただき、ある程度まで把握できたこと感謝致します」
貴重な資料が収められているという資料館を使わせていただいた事に対して深々と礼をする。
出来る限りの解読と考察。
知り得たのは肉体に宿る魔力と魂に宿る霊力の違い。
触媒の有無、発露に至るまでの構築式、細かな違いはあるものの力の練り上げ方織り上げ方は誤差のような違いでしかなかった。系統立てて組み立てる、布を織るように何重にも重ね合わせる。力の流れを理解し対象物へと流し込み回路を回す、ルアードが触媒には相性があると言っていたのは耐久値も含まれているのかもしれない。
竜人のこともよく魔術書に記載されていた、というより、この世界の魔力を知る上で竜人の存在をなしには語れないようだった。元々エルフ達の生活に必要なものは編み出され使用されてきたが、竜人達が気まぐれで使う魔法を模倣したものも多いらしい。個々の持ちうる魔力量は竜人が遥かに上のようだが、構築式自体に違いはほぼないらしい。媒介はどうも必要ないようだったが、それもあくまで憶測の域を出ない。竜人とエルフに交流はなく、人間とも距離を置く彼らに竜人と人間の混血児との接点もほぼない状態であった。
竜人と人間との間に生まれた子は様々だ。
色だけ受け継ぐ子、人と変わらぬ外見で魔力を持つ子、人を喰う子、人と変わらぬ子。
いつかの宿で、冒険者達が口にしていたことを思い出す。
リリーからもらった絵本でもそうだったが、竜人の持つ色彩についての記載はどの書物でも概ね同じだった。銀が頂点であり竜人の王、その下に赤、青、黄、緑の順に続く。竜人同士に生まれた子はより力の強い方の色彩が出る傾向がある事。人との間に生まれたとて、子が受け継ぐ色は混じる事はないのだという。竜人の色を持って生まれた子は『銀の神』なら髪と瞳も銀色、『赤の神』なら赤髪に赤い瞳といったように。
目印のように人とは違う色彩だと思っていたが、どうもあながち間違った考察ではないようだ。無論例外もあるだろうが、概ねその認識で良さそうだ。
……サンダルフォンの銀の髪。赤い瞳をしているから違うとはわかっていても、あの強烈なまでに美しい銀色を目の当たりにしては恐怖心が掻き立てられもしかたがないのだろう。
「では、そこの彼をわざわざ呼んだ理由を伺っても?」
つ、と。
緑の瞳がサンダルフォンを捉える。この騒ぎの原因となった男は先日もここに来ていた。あの時事後報告となってしまったのは彼を一度天界に帰したからで、この度再度呼んだ理由を問われているのだ。
「そうだよねぇ、ヨシュアさんこないだサンさんに帰ってもらってたよね?」
「サンさん?!」
ルアードの言葉に、ようやく呼吸が落ち着いたらしいサンダルフォンが素っ頓狂な声を上げた。
「あ、サンダルさんの方が良かった? ちょっと長くってねぇ、こっちじゃ馴染みのない音だし」
あっけらかんとルアードは答える。
それじゃあ別の意味になるなあと隼人が小さく呟いた。
前から不思議ではあったが、イヤリングの言語変換機能は誤変換が少なくニュアンスまで通じるのだから大した性能である。自分の耳には使い慣れた言語が聞こえるのだが、どのように作用している術式には興味があった。空気、振動、どうやって翻訳しているのだろう。こちらの世界の文字も概ね読めるようにはなっているが、会話はまだイヤリング頼りである。
翻訳はあくまで翻訳である。
正確ではないのだろうから、文字を習得したのであればイヤリングに頼らずとも会話も出来るようになるべきだろう。馴染みのない音、文字の羅列。その名の意味を知るのは、文化形成を理解した前提条件があってこそである。
ふむ、と。改めてサンダルフォンと胸中で口にしてみる。
確かにこの世界では馴染みのない音かもしれなかった。長さもまあ、わからなくもない。
「妙な略し方をするな、この名は神聖なもので、」
「……彼の名はカレブと言います。こちらの方が呼びやすいでしょうか」
「おいこらお前!」
しかしサンダルフォンもといカレブはこれまた声を荒げる。
「そもそも呼ばせる必要もないんだ! 何故名を教える!」
「単なる役職名ではありませんか。ここはゼブルではありませんし、私もかつての名を名乗っていますし」
「だからそういうことじゃなくて!」
「カレブ」
まだ何か言いたげにしている彼を遮る。
信頼している相手ではあるがこれ以上拗らせたくはなかった。言い争いはもう十分だ。
「後で聞きます。皆さんに集まっていただいたのは、一連の騒動についての謝罪とこの里を出ていこうと思っていることを伝える為です」
一息に告げれば、イーサンは意外そうな顔をした。
「元の世界に戻るのではなく?」
「はい、私はカレブと共に戻ることは可能ですが、ルーシェルは未だ目処すら立ちません。彼女を置いていくわけにはいきませんので……ですので、共に戻れるすべを探ろうかと。カレブにはそのお手伝いをお願いしたのです」
親友が多忙なことは承知の上だ。
それでも他の者には頼めない。気心の知れた相手であるというのもあるが、あまり己の不在を公にはしたくなかった。それに、こちらの意思を汲んでくれた彼自身が共にあると言ってくれたのだ。
「仕方なくだからな」
むっすりと口を曲げて、まったくもって納得なぞしていないのだという眼差しでカレブはこちらを射る。ソファの肘掛けに肩肘をついて不満であると全身全霊で訴えているのである。申し訳無さはあったが、それでもこれだけは譲れなかった。
「んじゃあ俺等と行く?」
ルアードの問いかけに、イーサンとオリビアはまた出ていくのかと言わんばかりに眉を顰め、アーネストは複雑そうな表情でふいと視線をそらしていた。
彼の好意はありがたいが、だからといっていつまでも甘えるわけにいかなかった。これは自分達の問題である。彼らは彼らで目的がある。
「いえ、これ以上ご迷惑はかけられませんし言葉もなんとかなりそうですので……私達だけで、別の街を目指してみようかと」
「仕方なくだからなッ!」
先程よりも語気を荒げてカレブは叫んだ。
悪魔と共に行動など冗談じゃないと散々文句を言っていたのだが、魔界からの襲撃を考えれば彼の協力は不可欠だった。この世界に与える影響を最小限にしつつこちらの目的を遂行する。この世界の常識は一応それなりに理解したつもりであるし、文字が読めて言葉が通じつるのであれば少々の事は何とかなるのではと。
……我侭を言っている自覚はある。
ルーシェルの魂を捕縛してしまえば脅威は減るだろう、だが消滅した肉体は元には戻らない。魂だけの存在となった彼女との再戦は不可能だ。それでは約束は守られない。元の世界に共に戻ること、再び対峙すること。終わりを望む彼女の、最期くらいは望むままにしてやりたいと思うのは少なからず共に行動した故の情だ。
「カレブさんも一緒に……」
「はい」
目を丸くしてぽつんと呟いたルアードに、そうだと返せば。
「なるほど……ツッコミ役だね……!」
「は?」
彼は何やら非常に満足したような表情を浮かべぽんと手を打った。そうしてその満面の笑みですたすたと怪訝な表情で見上げるカレブの前まで近寄ると、ぎゅうと。唐突にカレブの手を取ったのである。
「なるほどなるほど、美人さん達と別れるのは非ッ常に辛いものがあるけど、そっかあ、カレブさんも一緒なんだね。これで安心して旅に送り出せるってもんだ」
「ちょ、おいなんだこいつ!」
「ヨシュアさんとルーシェルさんのことよろしくね……!」
「意味がわからないんだが! おい……おいメタ、いや、ヨシュ、……どういうことだこれは!」
悲鳴のような声を上げるカレブの両手を掴んで、ルアードはぶんぶんと振っている。ルアードには随分と迷惑をかけてしまったというのに、こうして自分達のことを我が事のように喜んでくれているのは本当にありがたいことだった。彼らと別れて旅をするということに否定的な言葉もない、それはつまり、この世界の住人である彼にお墨付きをいただいたのだという安堵もある。
「なんで笑ってる……ッ」
がう、と。噛みつかんばかりのカレブの表情はしかしこちらに助けを求めるかのようであった。はて、と思う。ルアードは自分達の身を案じているだけであるというのに。心優しいエルフの青年。彼らと共に旅を続けるのであれば心強いが、こちらの都合で振り回してしまうのはもう終いにしたい。
「いえ、……改めて、これからよろしくお願いしますね」
そう言って微笑みかけるのだが。
親友はどういうわけか、顔色をなくして黙り込んでしまった。
「これ本当に大丈夫なのか……?」
隼人の呟きに答える者はいなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




