55 日昇りて朱は交わらぬ
よろしくお願いいたします。
「……どうして貴殿がここにいる」
清々しい朝の気配が里全体を包み込む中、こちらに向かって投げられた言葉は随分と棘のあるものだった。
昨夜屋敷から外に出たのは考えを、というのも事実ではあったがサンダルフォンからの連絡を受けていたからであった。愛剣であるメレフ・ハネビイームを受け取り、あの後も色々と話し込み、双子のラファエルとガブリエルに礼をと天界にコンタクトを取ればそれはそれでそれだけで済まず。屋敷に戻ったのは、すっかり日が昇り明るくなった頃だった。
出迎えてくれたオリビアは、こちらには目もくれず髪色を金色に変えたサンダルフォンを半眼で睨むように見据えている。外出したまま朝まで戻らなかった上、里全体を覆う結界をものともせず外部からやってきているのだから彼女の言い分は最もである。だが、彼がこの里にやってきたのは自分の為なのであるから責任はこちらにある。
「すみませ、」
「随分な挨拶じゃないか」
謝罪をすべきだと言うのに、自分の副官であり片腕であり相棒であり親友でもあるサンダルフォンは彼女の態度がどうやら癪に障ったらしい。ふん、と。面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「招き入れた覚えがないものでな」
返すオリビアの声も矢張り棘々しい。
「あの、すみません私が」
「こうもやすやすと侵入されては困ると言っている」
豪奢な金の髪と美しい緑の瞳を燃え上がらせて、こちらの言葉を遮るようにオリビアが声を上げる。しかしどうしてだろう、やはり彼女の視線は自分にではなくサンダルフォンに向けられているのだった。
柔らかな朝日が周囲を照らす中、屋敷の入口で睨み合う二人を中心に急速に周囲の空気が凍りついてく。感情の機微に疎い自覚はあるが、流石にこの状況はよろしくないことくらいは解った。解ったが。
「あの、」
「この程度の結界などあってないようなものだろうに」
なんと言えばいいのだろうと思案してる間に、同じようにこちらの声を遮り、サンダルフォンはサンダルフォンで煽るような物言いをする。
「我々の術式を愚弄なさるか」
「事実だろう」
いらついたようなオリビアの声と嘲るようなサンダルフォンの声。きりきりと双方が睨み合っている、両者の間に火花が散った。ような気がする。更に加速を付けて囲を覆い尽くす剣呑な空気に慌ててサンダルフォンの腕を引いた。
「お世話になっている方です、そのような口のきき方は」
不躾にもほどがある、咎めるのだがしかし彼は聞き入れない。
何故だと言わんばかりにじろりとこちらを見る。赤い瞳が苛立ちに燃えている。こちらの世界にやってきた自分達こそが異端であり、感謝こそすれこのように相手を非難する資格などないというのに。一体何にそこまで腹を立てているのか。
「そもそも悪魔の肩を持つ奴らだ、神の名の元に正しい道へと導くのも我々の役割だろう?」
「肩を持つだなんて、」
「傲慢な考えだ。そちらの神は我々にとって何の意味もない、テンシもアクマも知ったことではない。貴殿は異世界の信仰を説くおつもりか?」
たしなめようと声を上げるが冷笑が響く。
よく通る声がさらに吐き捨てるように言葉を続ける。
「……ああ、貴殿は本質を見極めようともせず表面的な情報のみで他者を判断するうつけだったな。ルーシェル殿も気の毒なことだ」
ほとんど一息にオリビアは言い放った。
美しい唇が嘲笑に歪む、心底嘲るように。里長の娘から溢れ出る怒気、言葉が的確にサンダルフォンの神経を逆撫でていくのを肌で感じとった。引いた腕がこわばる、ぎちりと握りしめられる拳の音を確かに聞いた。
「……傲慢はどちらだ、誰に向かって口を利いている。悪魔など生かしておいても有害無益でしかないのだとこちらも説明した筈だが。理解出来ない程おつむが弱いのかこの世界の住人は」
「そちらの世界でどれほど偉かろうが私達には一切関係がない。地位をひけらかし笠に着るなど愚者のすることだ、闇雲に喧嘩腰なのも程度が知れるというもの」
「喧嘩を売りつけてきてるのは一体どちらの方だ! お前達が怯えるから配慮して髪色を変えてきてやったんだこっちは!」
「異界の方には理解できんのだろうからとやかく言うつもりはないがな、集落には集落の規範と暗黙の了解と根底に存在する前提条件とがあるんだ! それすら理解できんのかこの無識は!」
「なんだと!?」
もはやただの口喧嘩である。
掴みかからばかりの剣幕であるサンダルフォンを抑えるも、あまりの勢いに止めることが出来ないでいた。
「俺は親友の迎えに来ただけだ! 挨拶くらいしておけとこいつが言うからわざわざ来てやったんだぞ!」
「何故そうまで偉そうなんだ! というかヨシュア殿もヨシュア殿だ、アポイントくらい取れんのか!」
「えっ」
突然矛先がこちらにも向けられる。
いや当然と言えば当然だ、この里の方々が厳重にかけた結界をいとも容易く突破されてはいい気はしないだろう。結界に穴を開けることなくやってくる、ふとした瞬間に突然異質な力を感じれば恐怖を覚えるのは当たり前のことだ。サンダルフォンの再来は告げていたとは言え、確かに〝いつであるか〟までは伝えていなかったのだ。
「あ、あの、すみませ……」
「がなるな女!」
「怒鳴る男が何を!」
申し開きもない状態なのだから謝罪を口に仕掛けるのだが。こちらに強い言葉を向けてきたオリビアに対しサンダルフォンがさらに怒りの声を上げた。それにオリビアも応えるように声を張り上げる、自分の落ち度をサンダルフォンに伝えるのだがしかしもはや聞く耳持たずにいる。己の小さな制止など二人の言い合いに飲み込まれていってしまった。
早朝である為行き交う通行人はまばらだったが、それでも騒ぎとなれば当然エルフ達も何事かと出てくる。みな一様に怒髪天を衝くと言った状態のオリビアの姿に、呆気にとられているようだった。里長の補佐ともいえる立場の彼女が見慣れぬ男と言い争いをしているのだ、しかもかなり激しく。
「なになに、朝から賑やかだねぇ。どしたのよ」
ひょこりと顔を出したのはルアードだった。
いかにも寝起きですと言った風貌でのんびりとやってきたのだが、やはり彼も一瞬事態が理解できなかったらしい。ぽかん、と舌戦とも言える二人の応酬を前に立ち尽くしたのである。他のエルフたちもどうしたものかとこちらを伺っている、
「なにこれ」
「ルアードさん、すみません助けてください……!」
情けなさ全開であっけにとられているルアードに懇願する。暴れるサンダルフォンを押さえる事はともかく、オリビアにまでは手が回らない。お互い感情の高ぶりによるものなのか霊力と魔力とがそれぞれ周囲に漂い始めた、暴走までは行かないだろうがそれでも里に危害を加える可能性がある。現在扱える霊力量ではとてもではないが抑えきれない。
「サンダルフォン、いい加減になさい!」
「無理な話だな!」
「ねえちゃんも大人げないよー?」
「やかましい!」
よく通る二人の怒号が澄み渡った空に響き渡る。完全に目が据わっている二人にはこちらの言葉など最早届きもせず、どうしてこんな事になっているのかさえ分からず。
……結局、何の騒ぎだとイーサンが飛び出してくるまで二人の応酬は続いたのだった。
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