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休暇用レコード49:鴇宮紫苑編「燕の巣で、望月を」

劇団舞鳥

大戦が始まる前、舞台演劇が最も栄えていた帝都に存在した劇団

しかし大衆が知る「舞台」のような可愛らしいものを、彼らは演じていた訳ではない


彼の時代、文化が一気に栄え、「文化革命」が起きたと言われるこの時代は・・・劇団が多すぎた

だから潰し合った。自分たちの舞台が一番だと教示する為に


そうして生まれた文化が「舞台戦争」・・・劇団にとって大事なものを賭け、演技で、戯曲で殴り合う観客の知らない、劇団同士の暗部

もちろん私もその暗部に関わり、今日もまた舞台戦争を終えて帰路につく

丘の上にある一軒家。そこの扉を今日も元気に叩いて家主を呼び出すのだ


「蒼時さん蒼時さん。開けてくださいな」

「またかよ、鴇宮先生。マジで近所迷惑だから、ドアバンするのやめろ」


うんざりした顔で出てきたのはこの家の家主

燕河蒼時つばめがわそうじさん。出版社に勤めている彼は私が連載小説を書いている雑誌の編集さんでもあります

長い付き合いのある、相棒みたいな存在です


「蒼時さん」

「なんだ」

「合鍵を渡してくだされば、万事解決ですよ?」

「やらねえよ?」


くいっくいっと差し出した手は思いっきり叩かれる


「ちぇっ・・・そういう性格ですから「売れ残り」となり、縁談に恵まれないのですよ?」

「お前には言われたくねえよ「行き遅れ」」

「そんな貴方だから、こうして気軽に家に居着けるのですが・・・結婚しないでくださいね?私、住む場所を失っちゃいますから」

「大人しく居候先の鳩波家に帰ってくれませんかねぇ・・・」

「嫌です。ここ、住み心地がいいので」


蒼時さんの文句を横に、さりげなく玄関に立ち入り下駄を脱ぐ

それを確認した後、蒼時さんは面倒くさそうに鍵を閉めた


丘の上にある燕河家は、都市部にあるのに喧噪とはほど遠く

井戸水は美味しいですし、汲み放題。もちろんお風呂も入り放題

それに、蒼時さんの作るご飯は美味しいですし、掃除も蒼時さんがしてくれますし

洗濯も蒼時さんがしてくれますし・・・執筆環境としては最高な物件なんですよね

仕事場物件。三食昼寝、家政夫兼家主兼クソ編集付き・・・最後のはともかくとして、物件としては最高の部類でしょう


「・・・編集長に頼んで見合いでも組んで貰うか」

「駄目です!全部破談にしてやります!」

「なんでだよ!」


だって、蒼時さんが結婚したら・・・

私の「理想の執筆環境」がぽっと出の女に奪われるということではないですか!

それに加え、蒼時さんがそのぽっと出女のご飯ばかり食べるようになり、自炊をしなくなります!

それに、蒼時さんのご飯は劇団近くにある大衆食堂と同じぐらい美味しい

それでいてただ!無料で出てくるのです!

そんな理想空間をその辺の女に奪われるなど!断固拒否です!


「じゃあ、鴇宮先生が嫁に来ます?」

「一生養いますよ・・・!」

「じゃあ決まりだ。二十歳になるまで独り身なら引き取ってやる」

「ありがとうございまぁす!」


やったぜ。二十歳になるまで私に男が湧かなければ理想郷が手に入る!

私に男が近寄る訳がありませんから、理想郷が既に確約されたようなものですね!


「いやっほう!アルカディアは私のものです!」

「・・・なんでこう、回りくどい真似をしてやらねえといけないんだろうな」

「何か言いました?」

「何でもない。晩ご飯準備してやるから風呂入ってこい。一応聞いておくが、今日の着物にこびりついている血は誰の血だ?」

「お兄様です」

「まぁた鴻上とやりあってんのかよ」

「舞鳥のライバルは孔雀のみ!そして私のライバルもまた鴻上橙弥こうがみとうやのみ!」


たとえ異父兄妹であろうとも、普段は作家友達であろうとも、舞台戦争の時はきっちり殺りあいます。それが舞台戦争の掟です


「今日の舞台戦争は、お前の着物が駄目になったところを見るに、戯曲作家を狙うタイプか」

「いかにも」

「本当、無理すんなよ・・・」

「いつものことですから。それに、お兄様以外は全員戦略込みであろうとも潰せますし・・・何か心配事があるのですか?」

「心配事って、そりゃ、お前が怪我とかして、可哀想な目に遭っているところとか、見たくないし・・・」

「?」

「う、腕とか、骨折したら、連載に支障でるからだ!さっさと風呂入れ!血生臭いんだよ!」

「ひゅう、ツンデレって奴ですね!本音は?本音は?」

「うるせえ!締切短縮すっぞ!?」

「それは困ります!鴇宮紫苑!入浴してきます!」

「おうおう。その間に着物の血抜きしとくから、ゆっくり浸かれ〜・・・」

「マジで女子力高いですね。私が二十歳になったら本気で嫁に来てくださいね!」

「誰が嫁だ。お前が来い」


蒼時さんから新品の石鹸を投げつけられ、それは私の額に命中します

こう乱暴なところもありますが、この人・・・・


「・・・聞こえていないふりをするのは、意外と大変です。面白いから今後も聞こえていないふりをしますが」

「何か言ったか?」

「いいえ。なんでも」


気遣いが不器用すぎる担当編集をからかいながら、私は風呂場への扉を開けます

湯気たつ一番風呂にこみ上げてくる笑いを必死に抑えながら、舞台戦争のない一日に足を踏み入れました


・・


風呂に入った私は、物干しで揺れる必死に血抜きしてくれたであろう着物を眺めつつ、晩ご飯にありつきます

縁側に繋がる襖は全開にして貰っています。今日だけは、特別です


「蒼時さん」

「なんだ」

「今日は十五夜らしいですが、お団子はいくつ作ってくれました?」

「そういうと思ってこちらを。材料費は先生の原稿料から先引きしてますんで」

「ありがとうございます、蒼時さん!」


山のように積まれた色とりどりの一口団子

言う前に用意してくださるとは・・・流石です

しかし、いつの間にか原稿料を奪われているような・・・まあいいでしょう


「でも、あんまり期待すんなよ。食材仕入れるのも最近大変だから・・・」

「変ですよねぇ。物価も高いですし、何か始まるのでしょうか」

「舞台戦争絡みじゃないのか?」

「いえ。最近は政府から公演数を規制されている影響で、舞台戦争も活発ではないですから。多くの物資が必要ということもありません」

「変なの」


「それよりも見てくださいな。今日は雲一つない夜です。満月が綺麗に浮かんでいます」

「鴇宮先生みたいながさつな女でも月を眺める風情を楽しむ心を持ち合わせていたんですね・・・」

「なんですかその目は」


なんというか、衝撃的なものを見るような目で蒼時さんが私を見てきます

それぐらいの感性は持ち歩いているというのに

そういえば、この前の英語の授業で面白いことを聞きましたね

少し、試してみましょうか


「そういえば、女学校で面白いことを聞きました。取材で色々なことを学んでいる蒼時さんならご存じかもしれませんが・・・」

「なんだよ。お嬢様だらけの女学校で、どんな面白いことを?聞かせろよ」

「今夜は、月が綺麗ですね」

「そうだな。まあ十五夜だし。綺麗じゃないともったいないな。で、それの何が面白いことなんだ?」

「むすー・・・」

「なぜふてくされる」

「なんでもありません」


どうやら空振りらしい

そりゃあそうか。先生も私だけに話したなんて言っていたし

あまり羞恥されていないような話なのだろう


「・・・ちょっと待ってろ」

「なんですか?」


ふらりと立ち上がり、彼は台所の方へ向かう

そこで何故か数回何かを打ち付ける音がした後、額を腫らした蒼時さんがお椀と醤油差しを片手に戻ってきました


「ん」

「TKG!TKGじゃないですか!なぜ!」

「てぃ・・・?」

「卵かけごはんの略です!なぜ今このタイミングで?花より団子を愛でる精神は否定しませんが!」


手渡されたお椀の中には、空の上に浮かぶそれよりも丸く、黄色く艶やかな卵

私の大好物の一つです。お手軽で美味しい。それでいて私にも作れる料理ですから

けれど、この状況で手渡されても困惑するだけなのですがね


「見ても腹の足しにならない満月より、お前はこっちが好きだろ」

「大好きです!」

「前のめりかよ・・・ほら、今夜の月は綺麗だろ?」


おや、ここでまさかの台詞返し

ちょうどいい。ここはきちんと模範解答を見せる時のようです


「私、死んでもいいかもしれません」

「はひゅ・・・」


なんて、冗談だ・・・と、締めようとしたのに

なんですか、その反応は

その意味のわかっているような反応を隠せていないのは、どういう了見なのですか


「た、卵かけご飯程度で死ぬな馬鹿!ほら醤油!団子も、詰まらせない程度に食えよ!俺は風呂に入ってくる!」

「あ、蒼時さん」


そそくさと去る彼の後ろ姿を呆然と眺めながら、私は無言で醤油を卵の上に流し込みます

お椀の中の望月は少しだけ薄暗く。靄がかかってしまったかのように色づく

・・・とても、気に食わない

箸を思いっきりご飯の中に沈ませて、力任せにかき混ぜる

しばらくしたら、醤油と卵が綺麗に混ざり合い、先ほどよりも大きな望月をお椀の中に浮かばせていた


「ふむ、綺麗な色合いです」


そうです。迷いなんて必要ないじゃないですか

迷いも、正しさも、感情も、全部かき混ぜて、一気にかけ込めばいいだけの話です

向こうがその気ならば、私がやるべき事は・・・ただ一つなのですから


「あがががが」


卵かけご飯を勢いよくかき込んで、空のお椀を机の上に置く

少しだけ胃もたれしたような感覚を覚えつつ、私はお風呂場の扉を開けて、彼に告げるのだ

前に進むための、一歩を


「蒼時さん」

「んー?どうした?」

「私、二十歳まで待てません。けれど、私は待つことしかできないので・・・」

「・・・」

「少しでも早く、貴方が来てくれるのを待っています」

「・・・げ、原稿回収にか?意識高いな」

「一生来ないでください」


いい空気を台無しにしてきた蒼時さんに舌打ちを返しつつ、私は台無しにされたことを足踏みで抗議しつつ、居間に戻ります


それから少し後に、蒼時さんがお風呂から出てきました

ワイシャツ姿から甚平姿へ

洋服も似合えば和服も似合うとは・・・狡い男です

縁側でふてくされていた私の隣にさりげなく腰掛け、風呂上がりで赤くなったであろう顔を内輪で仰ぎつつ・・・


「それで、鴇宮先生」

「はい。なんですか?」

「うちの苗字、いつから使いたいんだよ」

「・・・本当に、回りくどい人ですねぇ」

「こういう性格なもので」


嘘つき。私が関わったときだけ回りくどいです

普段はストレートに物事を言ってくるくせに、何が回りくどいのが自分の性格だ・・・だ

仕方ないですね。その分、私がまっすぐあろうと思います


「では、明日からでも」

「無茶言うな」

「ついでに、明日までの締め切りを延長して頂きたいのですが」

「無茶言うな。書き終えてくれ、今日中に」

「理不尽な!」

「今夜は寝かさないからな」

「こんなタイミングで聞きたくなかったんですけど!」


それから私は蒼時さんに監視されつつ、明日までの締め切りになっていた作品を一作仕上げました

終わる頃には朝

私は廃棄予定の原稿用紙の海に横たわり、蒼時さんが出勤する姿を見送ります

・・・この人、私と一緒に徹夜したはずなのになんであんなにも元気なのでしょうか


「じゃあ俺、原稿編集部に出してくるから」

「なんで一緒に徹夜したのに、蒼時さんは元気なのですか・・・」

「半分寝てたから」

「ずるい・・・」

「じゃあついでにもう一つ」

「ん?」


ふと、顔に影がかかり、頬に奇妙に暖かくて柔らかい感覚を覚えます

ぼんやりとした目でその影が遠ざかる姿を見つつ、遠ざかっていく彼の声に耳を傾ける


「じゃあな「紫苑」。寝る前にちゃんと戸締まりしろよ」

「・・・しおん」


おかしいですね、いつも「鴇宮先生」と呼ぶ蒼時さんが私の名前を呼んだ気がします

しかし今の私は、夢と現の狭間

それが現実に起こったことなのか・・・理解するまもなく、夢の中へと落ちていく


けれど、願うのならば

どうか現実であったことでありますようにと、望みを抱いて私は望月と同じく眩く、それでいて暖かさを持つそれと共に眠りについた

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