六話 昨日の彼と再会しました
初めての魔法でゴーレムと戦い、我が家に新しい家族が増えた翌日……僕は改めて杖を買いに、ゴーくんも連れてシャルネの街へと赴いていた。
杖屋に行く途中、ゴーくんが僕の肩から飛び降りてトコトコ歩いていってしまったので、慌てて追いかける。
立ち止まった彼の足下を見てみると、水色の生地に白いお花の刺繍が施された綺麗なハンカチが落ちていた。
ハンカチを手に取って前を向くと、僕と同い年くらいの、胡桃色の髪をハーフアップに結った少女が僕の目の前を歩いている。ハンカチの刺繍と同じ、白いお花の髪飾りをつけた可憐な雰囲気の少女。きっと、この子が落としたのだろう。
「そこの可愛いお嬢さん。このハンカチ、貴女の?」
僕の声に、少女が振り向く。彼女はほんのりと頬を染めて頷き、小さくか細い声で僕にお礼を言って一礼した。
ひゃぁぁぁ……かわいい〜…………今日は寄り道しないつもりだったけど、予定変更だ。だってこの子めちゃくちゃ可愛いんだもん。
「君、この後暇? もし良かったら僕とお茶でも……」
彼女の白く柔らかい手をそっと掴み、いつものように口説こうとした。
そんなとき、どこからか『ふざけんじゃねぇ!』という男の怒鳴り声が聞こえてきて、耳の奥にまでしっかりと響き渡った。うるさすぎて、自分の耳を塞ぐ為に一度彼女の手を離してしまったではないか。
声は、近くのレストランから聞こえてくる。何だ何だ、喧嘩か?
僕と同じように思っている人が多いらしく、他の人達も声につられてレストランの周りに集まってきている。
僕達もレストランの近くに行き、少女と共に生垣の前でしゃがみ込んで、ガラス製の扉からこっそりと様子を伺ってみた。
店内のカウンター前で、いかついリーゼントヘアのマッチョが何やら店員さんと揉めているようだ。
『俺は冒険者だぞ! なのに何で飯が安くならないんだ!』
『ですから、ランクに応じて施設の料金が安くなるのは酒場と宿屋だけです! うちの店は対応しておりません!』
『知った事か! 俺は今日銅貨一枚しか持ってねぇんだよ!』
冒険者? ランク? 一体何の話をしているんだろう……
よく分からないけど、あのリーゼント男が無茶苦茶言って店員さんを困らせてるっていう事だけは分かる。
このままじゃお店の人もお客さんも可哀想だ。よし、助けに行こう。
立ち上がって特に迷いなく扉を開けようとしたら、少女が真っ青な顔をして、両手で僕の腕を掴んだ。
前世で護身用に格闘術習ってた上、現在もアクロさんに鍛えてもらっている僕だけど、傍から見ればまだ十二歳の子供だもんな。そりゃ心配するに決まってるか。
でも僕、負ける気ないよ。結構強い方だって自分でも思うし、困ってる人は放っておきたくない。
僕は彼女の頭を撫で、彼女が安心するようふんわりと微笑んだ。
「すぐ戻るから、待ってて。そしたら今度こそ、僕とお茶してくれる?」
未だ不安そうな顔をしながらも、彼女はコクンと頷いて、そっとその手を離してくれた。
そして少女の肩に手を添え、額に軽く口づけを交わし、僕はガラス製の扉を開けてレストランの中に入っていった。後ろから「おい君、危ないぞ」などの声が多数聞こえたが、あまり気にしないでおく。
カランコロンという音が鳴ったにも関わらず、リーゼント男は興奮してるからなのか僕に気づきもしない。
一方、男に胸ぐらを掴まれている男性店員さんはすぐに僕の存在に気づき、酷く驚いた顔をしていた。
一応、剣は腰に携えている。昨日みたいにマシロさんから無茶振り掛けられたときの為に、だ。あのときだって剣があればもっと楽に倒せたし、核を取り出すのも容易だったはず。
でも流石に、ここで剣を抜くわけにはいかない。男の血で店が汚れてしまう。
じゃあどうやってこの男を懲らしめるのか。それは勿論――後ろから股間を思い切り蹴れ上げればいいだけの話だ。
「あがぁっ!」
僕のつま先が、男の股間を強打する。不意打ちで急所を突かれたことで、男は顔面蒼白で床にへたり込んだ。
男なんて大抵これで一発と前世の友達が言っていたが、まさかこんなに効くとは……
男性の店員さんやお客さん達が迷惑客にも関わらずこの男を憐れむような目で見ているので、実際相当痛いのだろう。僕にはよく分からないけれど。
大きな体を丸ませて、リーゼントの先端を床に擦り付ける男の肩を、僕の鞄から出てきたゴーくんがペチペチと叩く。
「おじさん、自分が気に食わないからって周りに怒鳴り散らしたりするのはみっともないよ」
「うるせぇうるせぇうるせぇぇぇぇ! このクソガキ、何しやがるぅぅ!」
中腰になり、人差し指を立ててめっ! と叱る僕に、思ったよりも早く復帰したリーゼント男が逆上し、立ち上がって僕に殴りかかってきた。ゴーくんは男の叫び声にビックリしてしまったようで、壁にもたれて座ったまま動かない。
懲りないなぁ……次は鳩尾でも狙うか。と右膝を上げて構えると、突然誰かに後ろから目を塞がれた。しまった、仲間がいたのか!? いやでも、これは子供の手だ……
「風の精霊よ。ひとときの間、我に力をお貸し下さい! へドゥウィンド!」
どこか聞き覚えのある声で早口気味に詠唱が叫ばれた直後、男の悲鳴と共に大きく鈍い音がゴンッ! と店中に鳴り響く。
僕の視界を遮る何者かの腕を退かすと、目の前では男がカウンターにもたれて意識を失っていた。さっきの魔法で吹き飛ばされて、カウンターに頭でもぶつけたのだろう。
「あの、ありがとう……」
全然僕だけでもどうにかなったのだが、助けてもらった事には変わらないのできちんとお礼は言おう。
振り返って助けてくれた彼の顔を見ると、覚えがあるのは声だけでは無かった。緑色の瞳をした彼はじっと僕を睨みつけ、短く切り揃えられた朽葉色のサラサラした髪を揺らして僕の両肩を力強く掴む。痛い、と声が漏れるも彼はその手を離さず、むしろ更に力を強めてきた。
「何やってんの!? このバカ!」
彼は間違いなく、昨日杖屋で出会った子だ。なのに再会を喜ぶどころか、物凄い形相と剣幕で僕を罵ってきた。何でこんなに怒ってるの……僕この子に何かした?
「あんな大人相手に喧嘩売って、怪我したらどうする気だったの!」
それが理由か。いやまあ、確かに子供が大人に喧嘩ふっかけてるの見かけて、更にそれが知ってる顔なら当然驚くよね。彼には相当、心配をかけてしまったようだ。
「僕、ア……お父さんに、護身術と剣術習ってるから心配いらないよ。喧嘩には自信あるの」
実際アクロさんに習っているのは剣術だけで、護身術は前世でしか教わっていないのだが、ややこしくなるのでそういう事にしておこう。
「それに、困ってる人を困ってるままにはしておけないでしょ?」
そう言うと、彼は呆れた様子で深い溜息をついた。あれ、納得してくれたわけではなさそう。なんか、マシロさんを叱る事に疲れたときのアクロさんみたいな顔してる。
「本当に噂通りなのか……」
彼が下を向いて、ボソッと呟いた。噂……? 女の子達が僕の居ないところで僕の話してキャーキャー言ってくれてたのかな。もしそうだったらめちゃくちゃ可愛いけど、普通に悪い噂とかだったらどうしよう。
「あの、この度は店を救って下さりありがとうございました!」
若い男性店員さんの声にハッとなり、ふと周りを見渡すと、レストランの店員さん達は頭を下げ、他のお客さんや外から一連の流れを終始見ていた人達が拍手をこちらに向けていた。救ったなんて大袈裟な……でも、こういう称賛は悪い気しないな。
その中からは、女の子達の僕の名を呼ぶ声も聞こえてきた。ファンサのつもりで手を振ったら、皆歓喜の悲鳴を上げて喜んでくれた。可愛い。
一先ずカウンターの前で気を失っている男の懐から財布らしきものを取り出し、彼が本来払わなければいけなかった金貨七枚を僕が勝手に支払った。何が銅貨一枚しか無いだ。めちゃくちゃ持ってるじゃないか。というか金貨七枚って、どれだけ食べたらこんな額になるの?
店員さん達に何かお礼をと言われたがやんわりと断り、昨日の彼と一緒にレストランを出ていこうとした。ここに放置していくわけにもいかないのでリーゼント男も引き摺って連れて行こうと手を引っ張ってみたのだが、重くてビクともしない。そしたら昨日の彼が代わりに彼の首の後ろの襟を掴んで引き摺っていってくれた。やっぱり男の子って力持ちなんだな〜。すごいや。
リーゼント男はそのまま彼に任せ、扉を開けて外に出ると、胸付近に強い衝撃が走った。
僕との約束通りずっと待っていてくれたハーフアップの少女が、頭突きの勢いで僕に抱きついてきたのだ。
声を押し殺して僕の服を濡らす少女に僕は「待っててくれてありがとう」と言葉をかけ、両手を彼女の背中に回した。心配かけてごめんね。
リーゼント男は近くの路地裏に寝かせてもらって、彼にお礼を言う。にしてもこの男全然起きないな……相当打ちどころ悪かったんだな。
ハーフアップの少女は人見知りなのか、ずっと僕の後ろに隠れている。
「あ、の……貴方も、この人にお茶に誘われたの?」
少女が僕の背中から顔だけ出して、彼に尋ねた。
「えっ、いや……そういうわけじゃない」
少女が必要以上におどおどしているからか、朽葉色の髪の少年も緊張気味に答える。
「もしかして僕、邪魔だった……?」
「……私、知らない人は苦手。だけど貴方はこの人の事助けてくれたから……この人が良いなら、三人でもいい」
僕ら以外にはまず聞こえないであろう小さな震えた声で話す彼女に、彼が目を輝かせながら近づいた。
「いいの?」
ビクッと肩を跳ねらせた彼女の振動が、僕にも伝わってくる。小刻みに震えながらも「うん」と肯定した。
彼女がそれで良いと言うのなら、僕も彼を除け者にする理由なんてない。さっき助けてくれたお礼もしたいし。
「じゃ、三人でどこかお茶しに行こうか。どこのカフェが良い?」
「出来れば、女子の少ない所」
「ひ、人が少ない所……」
人が少なくて、特に女子が少ない所か……シャルネにカフェは三つくらいあるけど、どこも賑わっていて人はたくさん居る。公園ではやんちゃな男子達がボール遊びしていて彼女が怖がるかもだし、そもそもお茶する為の道具を持ってきていない。
……そういえばこの前、マシロさんがいつ家に友達を連れてくるんだってしつこく聞いてきたな。ならもういっそ――
「二人共、うち来る?」