四話 魔法を使ってみようと思います
僕の朝はとても早く、いつも太陽が空へと登りきる前に目が覚める。そして夜行性のアクロさんは、いつもこのくらいの時間帯に就寝している。
顔を洗い、運動用に買った白のTシャツと青い短パンに着替えてから屋敷の周りを五周ほど走った後、朝食を作りにキッチンへと向かった。
僕は十二歳になった。
出来る事も増えてきて、剣の修行も順調。この前なんて、オークの群れを一人で倒すことが出来た。アクロさんにはまだ、一度も攻撃を当てられていないけど……
ちなみに、女の子を口説く事に関しても滞りない。街に行けばしょっちゅう花やファンレターを渡されるし、ときどきだけど食事のお誘いをしてくる子もいる。
男達にはめちゃくちゃ妬まれてるけど、話しかけて仲良くなると皆僕に対する態度を変えていってくれる。根は良い子達なんだろうな。
冷蔵庫を開け、ハム、レタス、卵、トマトを取り出す。ハムと野菜は食べやすい大きさに切り、卵はフライパンとコンロを使って目玉焼きにした。
これらを全てパンに挟めば、アルテアお手製サンドイッチの出来上がりだ。
次に鍋でコーンとキャベツとベーコンのスープを作り、二つとも食器に盛り付けて食卓に並べた。
「ふぁ〜あ……おはようですわぁ……」
まるでタイミングを見計らったかのように、まだ少し寝ぼけ気味のマシロさんが登場。
「おはようマシロさん。朝ごはんは出来てるから、先に顔洗ってきなよ」
マシロさんは朝に弱いらしく、眠気によっていつもの倍ふわふわしている彼女はものすごく可愛い。この状態を見る事の出来ないアクロさんに、同情してしまうくらいだ。
マシロさんが戻ってきたので、「いただきます」と言ってから二人で朝食に取り掛かった。冷たい水で顔を洗ったから、彼女の眠気はもうすっかり取れている。
「あのさ、マシロさん。魔法って、僕にも使えるの?」
僕がふと気になってした質問に、彼女は目をぱちくりさせて食べかけのサンドイッチを皿に落とした。
「アルテア、貴方もしかして魔法に興味が!?」
マシロさんはキラキラと目を輝かせ、テーブルから身を乗り出す。マシロさんの綺麗な髪がスープに浸かってしまいそうだったので、僕は慌てて彼女の髪を掬った。
この事は以前にも一度聞こうとしていたのだが、中々タイミングが合わなくて上手く話を切り出せない内に何を聞こうとしていたのか忘れてしまい、結局それ以降も話題に出ることは無かった。
だが今朝のトレーニング中に、何故か唐突に思い出したのだ。人間の記憶って不思議だな。
とはいえ僕は魔法に特別興味は無く、単に物とかを自在に動かせたらな〜なんて思っているだけである。この体、十二歳女子の平均身長よりは高いけれど、それでも所詮は子供なので高い所に置いてある物は取ろうとしても手が届かないのだ。椅子や脚立は、前に一度バランスを崩して腕の骨を折ってから、アクロさんに禁止されちゃったし。
だから魔法を使って、対象物を手元まで持ってこられるようにしたい。
「興味っていうか、使えたら便利そうだなって」
「まあまあ、それは素晴らしいですわ。では早速、アルテア用の杖を買わなければいけませんわね。そうだ! 今日は仕事もお休みですし、一緒に魔法の練習を致しましょう!」
「えっ、流石にそこまでは……」
「善は急げですわ! さあ、共に参りましょう!」
全然話を聞いてくれない……
朝食を食べ終わったら、あれよあれよという間に外へ連れ出され、僕たちはシャルネの町にある杖屋さんへと足を運んだ。
「さぁ、好きなのをお選びになって! どれだけ高価なものだとしても、私が買って差し上げますわ!」
「だから、僕は別にそこまでしてもらいたいわけじゃ……」
「これなんてどうですの? 杖の先がハート型で、見た目も可愛らしいですわ」
何これ、女児向けアニメに出てきそう。
なんか全体的にキラキラしてるし、ハートの中心には宝石がはめ込まれていて、左右に羽の装飾が付けられている。
僕はどうせなら、もっとシンプルで格好良いやつが良いんだけど…………あ、これ良いじゃん。
店の隅っこにあるミニテーブルの上に置かれている、木でできたこげ茶色の短い杖。先端には小さな水色の宝石が付けられており、ほんのりと光を放っている。
「あれ? この杖、値段書いてない……」
他のものには全て値札が付いているのに、これだけ値段が分からない。店員さんにでも聞いて見るか。
「すみませ――」
「待って」
後ろから、今の僕と同い年くらいの男の子に服の裾を掴まれた。
背は僕より小さいが力はあるのか、服を掴まれた瞬間、割と体幹のしっかりしている僕でも少しよろけそうになった。
男の子はそれに気づいて「ごめん」と手を離し、僕の持っている杖を指さす。
「それ、僕の。ここに置き忘れて……」
「え、そうなの? 勝手に取ってごめんね。じゃあこれは、君に返すよ」
そっか、だから値段が書いてなかったんだ。それにしても杖屋に杖を置き忘れるなんて、マシロさん並にうっかりさんだな。
彼は杖と僕の顔を緑色の瞳で交互に見つめ、やがて気まずそうに口を開く。
「君……こんな杖買おうとしてたの? もっと他にいいやつあるのに」
「そうかな? この子、他に比べて削りも荒くないし、長さも丁度良くて持ちやすいし、何よりこのシンプルさが格好良いよ。魔法の杖って感じ」
ゲームの中とかだともっと可愛くて装飾の凝った杖が多いんだろうけど、生憎僕はゲームなんてしたこと無いから、魔法使いの知識なんて映画や小説でしか取り入れていない。
僕の好きな魔法使いの映画に出てきた杖は、普通の木の棒に近かった。だから僕には、こういったものの方が落ち着くのだ。
「もし良かったら、その杖がどこに売ってたのか教えてくれない? もしくは、作った人紹介してほしいな〜なんて」
「…………」
彼は目を見開くと、ほんのり頬を染めて目線を逸らす。
「……が、つくった」
「え?」
「僕が……つくった」
嘘でしょ。今の僕とあまり年も変わらなそうなのに、こんな綺麗な杖がつくれるなんて……
「すごいね、職人さんみたい!」
「な、何がすごいの……? ただの木の棒に、魔鉱石をくっつけただけだよ」
「ただの木の棒はこんなに形整ってないし、もっとちくちくするよ。多分、持ち手が使いやすいよう削ったり磨いたり、たくさん工夫したんだね」
「そん、な……大したもの、じゃ……」
男の子が顔から火が出来そうな勢いで俯いている。ちょっと騒ぎ過ぎたかな……他のお客さんへの迷惑を気にしたのかもしれない。
「ごめん、僕うるさかったよね」
「えっ、いや……」
「今日はもう帰るよ。めぼしいものも見つからなかったし」
真後ろでマシロさんがやばい見た目の杖選んでるし。
「じゃあ、また。君なら良い杖職人さんになれると思うな」
「あ、うん……ばいばい」
ドクロが纏わりついてるみたいな少しグロめの杖を選ぼうとしていたマシロさんを引っ張り、外に停めてある馬車へと乗り込んだ。
「何も買わずに出てきちゃうだなんて……欲しい杖、見つかりませんでしたの?」
「好みのデザイン無かった。とりあえず今日はいいよ、また明日改めて買いに行く」
「そうですか……じゃあ今日の所は、私のお古を貸しますわ」
「マシロさんのお古?」
ものすごい奇抜なデザインのだったらどうしよう。でもマシロさんが今使ってるのはちょっと派手だけど普通の杖だし、大丈夫だよね……きっと。
そう思っていたのも束の間、屋敷一階の物置からマシロさんが取り出して来たのは、細長い人参だった。
「なにこれ」
「木でできた人参ですわ」
うわほんとだ。よく見ると絵の具で色付けした形跡がある。
マシロさん昔、この人参そっくりの杖使ってたの?
「では、これより魔法の授業を始めまーす!」
「よろしくお願いします……」
「まず最初に、アルテアの適性を調べなければいけませんわね」
「適性?」
「魔法といっても、色んな種類がありますわ。攻撃魔法、回復魔法、補助魔法、召喚魔法……などなど。そしてそれらの魔法には基本、火や水などの属性がついているのです。その人が使える属性を、適性と言うのですわ」
「じゃあ、適性が無いと魔法使えないの?」
「何の適性も無い人は、そう居ないのでご安心を。ちなみに私は、この世における全ての魔法が使えますわ」
今しれっとものすごい事言った……
そういえばこの人、三百年以上も生きてる魔女だったな。それくらい出来ても不思議じゃ無いのかも。
マシロさんが僕に手をかざし、目を瞑って小声で何かを唱え始める。
一分ほど経つとマシロさんがニコニコして「分かりましたわ!」と言った。
「アルテアは、四つの属性に適性があるようですわ」
「ほんと!?」
「ええ。火、水、風、土……これは珍しいですわ。普通なら、多くても二つくらいですのに」
「じゃあ僕も、物を動かしたり、傷を治したり出来る!?」
「いえ。物の移動は無属性魔法、傷の治癒は光属性魔法に分類されるので不可能です。それにアルテアは、その四属性の中でも攻撃系の魔法しか使えないようですわ」
上げて下げられた。まさか一番使いたかった魔法が使えないなんて……じゃあ僕、何の為に魔法教えて貰ってるの? というか、僕の能力攻撃特化過ぎないだろうか。戦闘は剣で充分だし、せめて回復魔法とかが使えれば良かったのに。
「アルテアは魔力量も充分にありますから、練習すればきっと最強の魔法使いになれますわ!」
彼女がここまで言ってくれているけど、僕のモチベーションは既にだだ下がりだ。
でもここでやっぱ学ぶのやめたなんて言ったら、マシロさん相当落ち込むだろうな……ここまで来たし、魔法の方も特訓してみるか。
「それじゃあ、実際に魔法を使ってみましょう!」
ぶ厚めの古い本を一冊渡され、ページを開いてみると色んな魔法とそれを発動する為の呪文が書き記してあった。
ここに書いてある通りに唱えれば、魔法を使うことが出来るようだ。
「本格的だ〜! 最初は何の魔法にしようかな」
「ちょっと待って下さいアルテア。魔法を使うには、相手が居なければいけませんわ」
確かに、それもそうだな。僕が使えるのは攻撃魔法のみらしいし、攻撃対象が居なければ僕の魔法は使えない。
だからって、まだ基礎も出来てない内から魔物を相手にするのもな……
もったいないけど、おやつに食べようと思って取っておいた林檎を魔法の練習台にでもしようかな。
「ごめんね……僕の加減次第では、焼き林檎として生まれ変わるだけだから」
多分灰になるけども。懐に仕舞っておいた林檎に罪悪感を感じながら、地面へそっと置いた。
「アルテア、何をしていますの?」
「いや、相手が居なきゃ駄目って言われたから」
もしかして、食べ物を粗末にするなって怒られるのかな。マシロさん真面目だし。
「相手なら、もうすぐ来ますわ」
「来る?」
遠くから、大きな足音のようなものが聞こえてきた。それと同時に、地響きも鳴っている。
嫌な予感がして屋敷裏まで行くと、およそ百メートルくらい先から全身岩で出来た超デカい物体が森の方からこちらに向かってきているのが見えた。
「は!? マシロさん何あれ、ゴーレム!?」
「ええ。普段は洞窟の中で眠っていますが、さっき封印を解いておきました」
何してくれてんのこの人!
「ほら、早く気を逸らせてゴーレムを誘導しなければ。このままでは、屋敷が壊されてしまいますわ」
何その脅し、もうやるしか無いじゃん!
剣は自室に置いてきちゃったし……まだ一度も使った事の無い魔法で、いきなりあれを倒せって言うの……!?
「あーもう、どうにでもなれだ!」
半分やけくそになりながら、僕は森を迂回してゴーレムの背後に回り、石をぶつけ――
全力で逃げた。
倒すのが目的ではあるのだけど、まずはゴーレムの気を引いて屋敷から引き離さなければ。
シャルネの街が東にあるので、僕はその真逆の西方向へ進んだ。
背後からゴーレムが追いかけまくってきて、めちゃくちゃ怖い。
もう大分屋敷から離れたかな……?
よし、もう覚悟は決めた。
右手に杖、左手に魔導書。魔法を使う為の道具だけは揃っている。
それに剣が使えなくたって、僕にはアクロさんとの修行で鍛えた身軽さと持久力があるんだ。
足の震えは止まってないし、今も怖くて仕方がない。
だけど、ここで足掻かなきゃ死ぬ。
僕は魔導書の“水属性・攻撃魔法一覧”という項目を開き、杖に意識を集中させた。
「水の精霊様……貴方の力、一時お借りします。ウォータースピア!」
もし生きて帰れたら、明日の朝食にマシロさんの嫌いなピーマン入れてやろう。