二話 男装しようと思います
そう息巻いてはみたが、今のこの姿では女の子を口説くなんて到底無理な話だ。
ある意味多くの女性を落とせるかもしれないが、僕はそういう意味で女子に囲まれたいわけじゃない。
母性本能とかではなく、もっと王子様的な好かれ方をしたい。ウインク一つでキャーキャー言われたい。
あれから数ヶ月経ち、つかまり立ちくらいなら出来るようになってきた。
ソファの肘掛けに手を置いて、ドヤ顔でマシロさんの方を見る。
「きゃー! 可愛いですわ〜!」
マシロさんは僕の事を溺愛しており、僕が何かする度に可愛いと褒めちぎっては頬を擦り合わせてくる。
前世では親の愛というものをあまり知らなかったが、普通の家庭に生まれていればこのくらいは愛されていたのだろうか。
すぐ近くであぐらをかき、膝の上に肘を置いて頬杖をついているアクロさんの表情は、いつもより緩んでいた。
だがそれは別に赤ちゃんを見て癒やされていた訳ではなく、彼の視線は今僕を抱きしめているマシロさんに注がれている。
アクロさんは、マシロさんの事が好きだ。分かりやす過ぎるくらいに。
マシロさんが外に出掛け、少し怪我をして帰ってきたときは鬼の形相で誰にやられたのか聞いていた。あの時は躓いて転んだだけだったようだが、もし本当に誰かの悪戯で負った怪我なら、そいつの命は保証できなかっただろう。最も、マシロさんに危害を加えるようなやつなんてどうなろうが僕の知った事ではない。
他にもアクロさんは吸血鬼だけどマシロさんの血以外は絶対に飲まないと決めていたり、毎日マシロさんの首元に噛みついている癖に手が触れるだけで動揺したり。
本っっっ当に、分かりやすい。逆にマシロさんがアクロさんの好意に一切気づいてない事に驚きだ。
しかもこの二人、同じ年の同じ日に生まれた幼馴染みらしく、年齢は三百歳を超えるらしい。
つまりアクロさんは、三百年以上も同じ女性に片思いをしているという訳だ。あまりにも健気過ぎる。
せめてマシロさんが少しでも彼を意識してくれたら良いのだが、今のところそんな気配は一切無い。アクロさんの片思いは、まだまだ続きそうだ。大丈夫、僕は味方するよ。
一歳を過ぎ、単語くらいなら喋っても可笑しくない時期になってきた。
ただ問題なのは、最初に喋る言葉をどうするか。やはり、アクロさんやマシロさんの名前を呼んだほうが喜ばれるのだろうか。それともパパ、ママって呼んだ方が良いのかな。というか、どっちの名前を呼べば良いんだろう。アクロさんはそういうの興味無さそうだし、マシロさんの方か? いや、でもな……
「ただいまですわ〜」
「おう、お帰……」
アクロさんが僕の両手を掴んで持ち上げ、ぶらぶらさせるという遊びを二人でしていたら、マシロさんが全身に泥や葉っぱが付いた状態でずぶ濡れで帰って来た。膝や額からは血が流れ出ている。
「「何があった!?」」
ハッとなって手で口を抑える。僕が散々悩んでいた初言葉は、マシロさんが雨で滑って水溜りに突っ込んだ事で予想外の単語に終わってしまった。
その後マシロさんが僕が喋ったと騒ぎ出すが、アクロさんにそれより手当てが先だ! と叱られていた。マシロさんは何度僕らの肝を冷やせば気が済むんだろう。
四歳で初めて、アクロさんとマシロさんの前で自分の事を“僕”と呼んだ。どう思われるか不安だったが、マシロさんにボクっ娘可愛いと抱きしめられた。こっちにもボクっ娘の概念があったとは。
アクロさんはそれを見ながら「一人称なんざ何だって良いだろ……」と呆れていた。
理由はともかく、二人に受け入れてもらえて良かった。
十歳になり、初めてマシロさんと共に山を降りた先にあるシャルネの街へと足を運んだ。
入口付近のお店から、香しいパンの香りが漂ってくる。表の看板には、『パンの店』と書かれている。
この世界の文字は、前世で僕が生きていた世界とは違う。初めて本を読もうとしたとき、書いてある内容が一つも分からなくて混乱した。
マシロさんが子供向けの本を買ってきて文字を教えてくれた事で、僕にも読み書きが出来るようになったのだ。
ガラス越しに、ふっくらとした丸形のパンや変わった色や形のパンなどが並んでいるのが見える。
「美味しそうなパンがいっぱいだね」
「ここ、私の職場なんですの」
彼女がさらっと告げた一言に、耳を疑った。
「マシロさん、働いてたの……?」
「そりゃそうですわ。働かなきゃ食べていけませんもの」
確かにマシロさん日中は家に居ないなと思っていたけど、まさかパン屋で仕事していたとは。
「ちなみに、アクロも仕事していますよ。何をしているのかは教えてくれませんが」
アクロさんも働いていたのか……にしても、マシロさんに言えないような仕事って何なんだろうな。昼間は外に出られないから働くなら夜だと思うけど、僕が起きてる間は家に居るし……まあ、今度本人に直接聞けば良いか。
店の中に入って焼き立てのクロワッサンとあんパンを二つずつ買い、広場のベンチに座って昼食にした。
ようやく今日の一番の目的である、服屋に到着する。僕はここで、どうしても買いたいものがあった。
「いらっしゃいませ、本日は何をお探しでしょうか」
店内を見て回りながら、目当ての品を探す。僕が欲しいのは男物の服だ。
鏡を見て気付いたのだが、僕の今世での容姿や体格は前世とあまり変わっていない。黒髪で華奢だし、自分で言うのもなんだが顔もかなり整っている。
強いて言えば、前世では黒かった瞳の色が今世ではマシロさんと同じ青色になっていた事くらいかな。
なので僕が男装をすれば、中々の美男子になるのではと考えている。
僕は前世からずっと、女の子が大好きだった。
女子というのは可愛くて、か弱くて、でもときにそこはかとなく強くなる、脆いのに逞しい生き物。僕は前世でも今世でも、世の中の全女性を尊敬し、敬愛していた。
だからずっと、たくさんの女の子に囲まれたかった。好かれたかった。一人っ子だったから、姉に甘えてみたかった。妹を甘やかしてみたかった。
だが、前世での僕は多くの女性に嫌われていた。
美人でおしとやかで文武両道、誰に対しても平等で慈悲深い、いつも男性に囲まれて、常に笑顔を絶やさない。そんな女を、僕が演じていたからだ。
偽善者だの、男に媚び売ってるだの、内心では人を見下しているだの、言われたい放題。男共だって、僕が好きだった訳じゃない。僕の外見や家柄に惹かれただけ。例え僕の性格を好きになってくれた人が居たとしても、その性格は本来の僕の性格ではない。
そんな愚痴をつい溢してしまったとき、友達が言った。
“じゃあ、男装でもしてみたら? それなら男も寄って来ないし、かなちゃん絶対イケメンになるから女子にも人気出るよ”
学校は制服だし、そんなの親が許すはずない。と当時はまともに受け取らなかったが、今ならそれも実現出来る。
そこでマシロさんに街へ行きたいと頼み、馬車で一時間かけてここに来たという訳だ。
本当はもっと早く買いに来たかったのだが、幼い姿のままだと男装しても可愛いだけな気がしたので、ある程度体が大きくなるまで待っていた。
とりあえず、マシロさんにおすすめされた可愛らしい服を順番に着ていく。まだ男装するつもりだとは伝えていないので、フリフリの付いたワンピースやドレスが多い。
こういった服も嫌いではないが、動きにくいのが難点だ。
「やっぱりうちの子は、何を着ても可愛いですわ!」
「お客様、とてもお似合いです!」
マシロさんと店員さんはすっかり息が合ってしまったようで、次はこれを着てみてと興奮気味に何着ものワンピースを持ってくる。
僕は二人の間を割って通り、目についた黒のジャケットを手に取った。
「あの、そちらは男性用となっておりますが……」
「大丈夫です、僕きっと似合うので」
ついでに同じ色の長ズボンも持って試着室に入り、白シャツの上にジャケットを着て、下にスボンを履く。仕上げとして腰まで伸びた髪を一つに纏めた。
カーテンを開くと、店内に黄色い歓声が響き渡る。
「きゃあぁぁぁ! アルテア、とても格好良いですわ
ぁぁ!」
マシロさんが頬に手を当てて、顔を左右に振り回している。
店員さんや他のお客さん達は、美少女が美少年になった……とこちらを見つめて固まっていた。
「これ、このまま着ていっても良いですか? 勿論お金は払います」
僕は自分の財布から銀貨二十枚を取り出し、銅貨六枚のお釣りを貰った。銀貨や銅貨はこの世界の通貨であり、銅貨、銀貨、金貨、白銀貨の順に価値が上がっていく。
「行こうか、マシロさん」
「お金なら私が払いましたのに」
「何でもかんでも買ってもらってたら、お小遣いの意味無いでしょ」
店から出て街の入口まで歩いて行くと、同年代の女の子達がちらちらとこちらを見ては頬を染めていた。
試しに微笑んでみたら、歓喜の悲鳴をあげて崩れ落ちていく。やはり女子にちやほやされるのは気持ちが良い。男装して正解だったな。
「お前、今日からずっとその格好でいろ」
家に帰ってアクロさんにこの姿を見せると、少し考え込んだ後、僕にそう言った。
「いや、そのつもりではあるけど…………何で?」
「何でって……男の格好してれば、変な虫も寄ってこねぇし……」
なるほど、マシロさんの為かぁ。確かに僕がもっと大きくなれば、傍から見たときマシロさんが男と一緒に居るように見えるもんね。アクロさん、本当にマシロさん大好きだなぁ。
「どこぞの馬の骨に、うちの娘を渡してたまるか……」
「あれ、何か言った?」
「何でもねぇよ。それで、今日は俺に戦い方を教えてほしいんだったか?」
「うん」
この世界には、魔物が存在する。スライムのように弱くあまり害のないものから、ドラゴンのようにその気になれば街を一つ滅ぼせるものまで、種類は様々だ。
屋敷周辺の魔物は、人間を襲わないようにアクロさんが言い聞かせてくれているらしい。ただ全ての魔物が言われた通りに大人しくしているわけでもなく、言いつけを無視して人に害をなす魔物も少なからず居る。
そんな魔物達から自分の身を、そしてマシロさんを守るため、アクロさんに魔物と戦う術を教えてもらおうと思った。
日が落ち、辺りも暗くなってきた所でアクロさんと共に外へ出る。
「夕飯までだからな」
「はーい、お願いします」
「じゃあアルテア、これ使え」
アクロさんが放り投げたのは、月の光を反射して銀色に光る切れ味の良さそうな剣。
言われるがままに剣を拾うと、アクロさんはいつも羽織っていたマントを地面に脱ぎ捨てた。
「かすり傷で良い。俺に攻撃してみろ」
「…………え?」