一話 森に放置されました
次に目を覚ましたとき、とても薄暗い森で仰向けに倒れていた。夜空には満月が浮かび、コウモリの鳴き声が聞こえる。
確かに自由な場所が良いって言ったけど、いくらなんでも自由過ぎない!?
とりあえず、自分の体がどうなっているか調べよう。言葉は擬音しか発せず、頬はおまんじゅうのようにぷにぷにしている。腕もムチムチしており、手足はとても小さい。うん、これは赤ちゃんだ。
つまりあの神様は、赤ちゃんの姿になった私を夜の森に一人残していったのか。殺す気か。
私は暗くて人気の無い場所が大嫌いだ。万が一幽霊とか出たらどうしてくれる。しかもなんか、変な声まで聞こえてきた。声のする方へ振り向くと、赤い光の玉が二つこちらに近づいて来ている。待って本当に無理。折角生まれ変わったのに、怖くて心臓止まりそう。
はいはいで逃げようとするが、なんせ赤ちゃんなのでめちゃくちゃ遅い。それでも何とか遠くへ行こうと足を前に出す。すると、何かに両脇をガシッと掴まれた。終わった。私はきっとまた殺されるんだ。あのストーカーめ……次に会ったら文句言ってやる!
いくら怖くても、絶対に気絶はするな。何とかして逃げる隙をつくるんだ。
必死に考え込んでいると、いきなり私の体が宙に浮いた。駄目だ、逃げられない。きっと私はこの妖怪に、あの世へ連れて行かれるんだ…………
「うーわ。誰だよ、俺の縄張りにガキ捨てていったの」
え?
「しゃーねーな……見捨てたらアイツ怒りそうだし、連れて帰るか」
声の持ち主が私を横抱きにすると、ようやくその姿を目にすることが出来た。
月明かりに照らされた、漆黒のショートヘア。火の玉と見紛うような、赤い瞳。八重歯が特徴的で、少し変わった耳を持つ青年だ。別に妖怪じゃなかった。勘違いしてしまって恥ずかしい……
見た目からして、生前の私より少し年上くらいの年齢だろう。
「あーうあ」
貴方は誰ですかと聞きたいが、赤ちゃんなのであとうくらいしか喋れない。
「こんな場所に一人で怖かったよな。もう大丈夫……お前の事は、俺が守ってやるよ」
彼が優しい顔をして、私に微笑みかける。
こんな夜中に、しかも森の中を徘徊する人間なんてかなり怪しい気もするが、その柔らかな表情はどうにも悪人とは思えなかった。
“守ってやる”という言葉を信じて、彼に連れて行かれるのもアリかもしれない。
どうせこのまま森に居ても、餓死するか獣に食い殺されるかの二択だからな……だって私、赤ちゃんだもん。非力だもん。
自分が森の熊さんにがぶりされているところを想像していると、突然彼の背中からコウモリのような黒い羽が飛び出てきた。
「ガキって確か、高い所が好きなんだよな。じゃあ普通に帰っても問題無いか」
人から羽が生えるという初めての瞬間を目の当たりにし、口を開けたまま動きが止まってしまう。
次に羽が前後に大きく動き、さっきまで居たはずの地面がものすごい速さで遠ざかっていった。
一応言っておくが、私は別に高所恐怖症ではない。
だが命綱も何も無い、落ちたらどんなに屈強な人物でも即死レベルの高さをジェットコースター(下り)と同じくらいのスピードで走行して平気な人なんて居るのだろうか。
怖くて泣き叫んでも「そんなに楽しいのか、高い高い」と言われる始末。
高い高いって、こんなにスリリングな遊びだったっけ? これじゃあショックで他界他界してしまいそうなんだけど。
前言撤回……やっぱり森で獣の餌になった方が、数倍もマシだった。
◇◇◇
地獄のような時間が十分程続いた後、山奥にある小さな洋風の屋敷の前に降り立つ。
(気持ち悪い…………吐きそう)
彼がドアノブに触れるより先に玄関の扉が開き、中から白髪の可憐な少女が顔を出した。
「アクロ、お帰りなさいですわ」
アクロというのは、今私を抱いている彼の事だろう。
少女は宝石のようなキラキラとした青い瞳で私を見ると、ニコリと笑って頭を撫でる。
「この子、どうしたんですの? すごくぐったりしていますけれど」
「森に捨てられてたから、拾ってきた」
「森で? …………まさか貴方、赤ちゃん抱えたままいつもみたいに空飛んで帰ってきたんですの?」
「おう、なる早で帰った方が良いと思ったからな」
少女の顔色が、みるみるうちに変わっていった。雪のように真白い肌から、更に色素が薄れてゆく。
「この大馬鹿!」
少女はどこにしまっていたのかも分からない杖を取り出すと、アクロさんの頭を思い切りぶん殴った。
その衝撃で私も地に落とされかけたが、急に体が浮いて今度は少女の腕の中に収まってしまった。
もう、何が何なのか分からない…………
「さぁ赤ちゃん。馬鹿の事は放っておいて、私と一緒にお部屋へ行きましょう?」
余程強く叩いたのか、アクロさんは今だに頭を抱えてしゃがみ込んでいる。しかし、少女はガン無視で屋敷の中に入っていった。
所々に苔や錆が目立つ外装に比べ、屋敷内はどこも掃除が行き届いている。装飾も豪華で、埃一つ落ちていない。
外から見るとホラー映画に出てきそうな洋館そのものだったので、少しホッとした。
でも、アクロさんもこの少女も、普通の人間では無い……よね、多分。
髪や瞳の色が違うのは外国人だからだと思っていたけど、背中から羽が生えたり、物を浮かせる事が出来るなんて明らかにおかしい。
や、やっぱり妖怪? 妖怪の住み家なの? ここ。私、妖怪に食べられちゃう?
「まずは土で汚れた体を、綺麗にしましょうね」
最初に連れてこられた部屋は、お風呂場だった。
お湯の入ったたらいに入れられ、手で少しずつ洗われる。
とても気持ち良いが、十五〜六歳くらいの少女に体を洗ってもらうのはちょっと恥ずかしい。
「ごめんなさい。ここに来るとき、とても怖かったでしょう……あいつも、悪気があったわけじゃないんですの。どうか恨まないで下さいね」
濡れた場所を柔らかいタオルで優しく拭き取りながら、少女が私に話しかける。とはいっても、赤ちゃんなので返事は出来ない。
「私はマシロと言いますわ。この屋敷に、アクロと二人で住んでいますの」
マシロさんか……白い髪を持つ彼女にぴったりの可愛らしい名前だ。
それに、黒髪の青年がアクロで白髪の少女がマシロ。すごく覚えやすい。
体が拭き終わると、赤ちゃん用のバスローブを上から着せられた。何故あるんだ。
「きゃー! 可愛いー!」
マシロさんが喜んでるから、まぁ良いか。
彼女にもう一度抱えられ次に向かったのは、大きなテーブルにパンやシチューなどの料理が乗ったダイニングルーム。
そこでは既に、アクロさんが席に着いていた。
「マシロ、腹減った」
杖で殴られた事は、特に気にしていない様子だ。彼はマシロさんの目の前まで来ると、マシロさんの首元に噛み付いた。
えぇぇぇぇ!? ちょ、赤ちゃん見てるんですけど!?
「ちょっと、赤ちゃんの教育に悪いですわよ!」
その通り。赤ちゃんというか、人前でやることじゃない。
「仕方ねぇだろ。俺、今日は一度もお前の血飲んでねぇし」
え、血?
コウモリみたいな羽が生えて、目が赤くて、耳が尖ってて、牙があって、人の血を飲む生き物って…………
「ほら、赤ちゃんもドン引きですわ!」
まさかこの人、吸血鬼なのでは?
そういえば、例のカレーうどんを食べさせてくれた友達が言っていた。最近は、異世界転生というものが流行っていると。
てってきりお話のジャンルか何かだと思っていたけど、まさか現実で生まれ変わる事だったなんて!
友達曰く、異世界転生にありがちなのは常識の違い。
異世界には御伽話のような魔法や、今までに見たことのない生き物が存在するらしい。
そんな世界で私、生きていけるのかな……
宣言通り、アクロさんが守ってくれるのだろうか。
「つーか、いい加減赤ちゃんって呼ぶのやめないか? 名前つけたほうが良いだろ」
「それもそうですわね……けど、何が良いかしら」
名前か……もし本当にここが異世界なら、叶という名前は合わないだろうな。
「あ、キャラメルちゃんとかどう? それか、ホイップちゃんとか」
それだけは絶対に嫌だ。アクロさんの表情を見るに、そんな名前はこの世界でも確実に弄られる。
「今日って確か、七夕だよな? じゃあ、アルテアってのはどうだ?」
異世界にも七夕があるんだ。アルテアという名前は恐らく、彦星であるアルタイルからとったのだろう。
普通に格好良いと思う。というか、キャラメルとかホイップより全然マシ。それで良い。それにして下さい。
「えー、あんまり可愛く無いですわ。女の子なのに……赤ちゃんも、私が考えた名前の方が良いですわよね?」
マシロさんが尋ねてきたので、全力で首を横に振った。
「ほら、こいつもアルテアが良いってさ」
今度は全力で首を縦に振る。
マシロさんは不満そうに頬を膨らませるも、一応は納得してくれた。
「では、改めて自己紹介ですわね。私は魔女のマシロと言います」
「俺は吸血鬼のアクロ。変わった家だけど……よろしくな、アルテア」
なるほど、マシロさんは魔女なのか。だから何も無いところから杖を取り出したり、私を浮かせる事が出来たんだな。
二人が私の両手を握って、屈託の無い笑顔を見せる。
今日だけで、何度死ぬ思いをしたのだろう。銃で撃たれて、森に放置されて、火の玉に追いかけられて、地獄のジェットコースターを体験して…………
だけど、ここは前世のように息苦しくない。
この世界は私の知る世界とは大分かけ離れているけれど、少なくとも両親に自由を奪われ続ける呪縛からは解放された。
この世界なら、私の夢を叶えられるかもしれない。
そうだ、折角生まれ変わったんだから今世では好きな事をして生きよう。
私の……いや、僕の夢は…………女の子を口説きまくって、自分だけのハーレムをつくる事だ!