八話 父と出掛けました
オリーブやフローラと仲良くなった数日後。僕は屋敷の書庫で探しものをしていた。
「ん……やっぱとれないや」
一応目当ての本はもう見つけたけど、棚の高いところにあるため手が届かない。でも、どうしても欲しいんだよなぁ。うーん……台に乗るのは禁止されちゃってるけど、今は誰も見てないし。少しくらいなら使ってもいいでしょ。
近くにあった小さな椅子を本棚の前に置き、足をつけようとしたら突然体が浮いた。
「おい、これ危ないからやるなつっただろうが」
「アクロさん!」
アクロさんが僕の脇に手を入れ、僕を持ち上げている。そして、すぐにそっと床へ降ろしてくれた。
「欲しいやつあるなら言え。取ってやるから」
「じゃああの、一番上の右から三つ目のやつ」
「これか……ほらよ」
「わーい、ありが――」
アクロさんから本を受け取ろうとしたとき、本を持つ彼の片手がスッと上に上がった。
急な出来事に少し固まるも、なんとかジャンプで取ろうとする。しかし、大きな身長差のせいで一向に手が届く気配がしない。
「アクロさん」
「何だ」
「取れません」
「だろうな」
だろうなじゃなく! 何で素直に渡してくれないんだろう。アクロさんって、こんな意地悪するような人だっけ……? もしかして、言いつけ破ろうとしたの怒ったのかな。
「この本渡す前に……一つ良いか」
「え、何?」
表情は何一つ変わっていないけど、先程よりもほんの少しだけアクロさんの声が低く聞こえる。やっぱり、さっきの事怒ってる!?
「……お前、この間街で冒険者相手に喧嘩売ったらしいな?」
「え? うん、まぁ……店員さん困ってたし、助けなきゃと思って」
「ほらきた、いつもそれだお前は」
アクロさんは深いため息をついて、本を持つ腕をゆっくり降ろし、僕の頭にぽんと置いた。
「人助けするな、とは言わねぇが……もう少し自分を大事にしろ。俺はどっかの知らん誰かが傷つくより、マシロとお前が危険な目に遭う方が何千倍も嫌だ」
「…………わ、分かった」
アクロさんが僕の事も大事にしてくれてるのは知ってたけれど、こうやって言葉にされるとやっぱりちょっとむず痒い。
照れくさくなって俯いたら、アクロさんがからかうようにそれを指摘してきた。
「お前、何赤くなってんだよ」
「なってません。というかアクロさん、それ誰に聞いたの?」
「マシロ。なんか、街で噂してたって嬉しそうに言ってきた」
ああ……確かに、あの一件から街に行くと色んな人に囲まれるようになっちゃたんだよな。嬉しい限りだけど、これじゃあ女の子達と遊べない。もういっそ、明日は男装解こうかな。別に女の子達には僕の性別隠してないし、声掛ければ気づいてくれるでしょ。そうだ、そうしよう。
「それで、そのあとそいつに絡まれたりはしてないか?」
「何回かしてるよ。でも大丈夫、明日は男装解い……」
「分かった。明日は俺も着いていく」
「え」
次の日、僕は日傘を持ったアクロさんとシャルネの街を歩いていた。
日傘一本という軽装備で本当に大丈夫かと聞いたら、別に日光に当たったからといって死ぬわけではないらしい。ただ、長時間浴びると体調が悪くなるそうだ。
理由はともかく、アクロさんと街を歩けるだなんて嬉しいな。
「例のやつ見つけたらすぐ言え。二度とお前に近づかないよう脅……説得してやる」
「威圧程度にしておいてね……」
「で、今はどこに向かってるんだ?」
本当は今日、女の子達と遊ぶ予定だったんだけど……流石に変更せざるを得ない。
なので今は、マシロさんの働くパン屋に向かっている。二人共、対面したらどんな顔するのかな。
目的地に到着し、パン屋の扉を開けると見覚えのある男がマシロさんの腕を掴んでいた。
「少しくらい良いだろ? 相手してくれよ」
「嫌ですわ。お引き取り下さい」
しつこくマシロさんに絡むリーゼントの男と、笑顔で対応するマシロさん。
隣にいるアクロさんから、ドス黒いオーラが出ているような気がした。怖い。
「あの、アクロさん……あの人がその、例の……」
一応伝えてはおこうと思い、恐る恐る言ってみたけれど、果たして彼の耳に届いているのかは分からなかった。
アクロさんはマシロさんの腕を掴む男の腕を掴み、男が何かを言う隙も与えず、力ずくで店の外に連れて行ってしまった。これは、威圧程度じゃ済まないな……
僕は怖くて暫く硬直していたが、ハッとなってぽかんと佇んでいるマシロさんに駆け寄った。
「マシロさん、大丈夫だった!?」
「………………え? ええ、大丈夫ですわ。ああいうのは慣れてますもの。それよりアルテア、今日はアクロと一緒なのですね」
「うん。ちょっと色々あってね」
「そうだ、先程のお礼に焼き立てパン持っていって下さいな。ああ、お代は結構ですわ」
彼女はそう言って、パンをいくつか袋に詰め始めた。
……マシロさんの様子が少しおかしい。声は上擦っているし、笑顔も少々ぎこちない。やはり強がっているだけで、本当は怖かったんじゃないだろうか。
「これ以上……」
「ん?」
「これ以上は、駄目なのに……」
何の話? もしかして、限界までパンを袋に詰めようとしてるとか?
未だぎこちない笑みを称えたマシロさんからパンの詰まった袋を受け取り、僕は店をあとにした。
袋の中身を確認すると、別にぎゅうぎゅうにはなっていない。じゃあ、さっきの発言はなんだったんだろう?
公園でパンを完食したあと、どこかに行ってしまったアクロさんを探し歩いていると、向かいからオリーブとフローラが歩いてきていた。
「あ、アルくん!」
フローラがこちらに気づき、嬉しそうに駆け寄ってくる。可愛い。
「こんにちは、フローラ。今日も天使と見紛うほど可愛いね。会う度にときめいて仕方ないよ」
フローラの手を掴んで顔を近づけると、彼女は顔を真っ赤にして「ありがとう……」と呟いた。可愛い。
「アルテア、なんだよね……? その格好どうしたの」
珍しく男装ではなく、普通に女子の格好をしている僕をオリーブが不思議そうに見てきた。
「最近人に囲まれやすいから。ほとぼりが冷めるまで、この格好でいようかなって」
「ふーん……」
「アルくん可愛い」
「ありがとう。フローラも可愛いよ」
そうだ、フローラに渡したいものがあったんだった。
僕は鞄から、昨日アクロさんに取ってもらった本を取り出してフローラに差し出した。
「はいこれ、フローラが読みたがってた小説。人に貸して良いって、マシロさんにもちゃんと許可もらったから」
「わぁ、ありがとう!」
嬉しさのあまりその場でぴょんぴょん跳ねるフローラが、うさぎみたいで死ぬほど可愛い。頑張って探した甲斐があった。
「それ、どんな話なの?」
「勇者が魔王に拐われたお姫様を、取り戻す旅に出るお話……旅の途中で、色んな仲間にも出会うんだよ」
フローラの手元を覗き込み、内容について尋ねたオリーブにフローラがこの小説の魅力について語っている。二人共、本当に仲良くなったな。
それにしても、旅か……僕も前世では憧れてたなぁ。前世だと普通の旅行は勿論、修学旅行にすら行かせてもらえなかったし。
僕も一度、自由気ままに世界を旅してみたいな。知らない景色を見て、知らない文化に触れて、色んな人達と交流して。そんな楽しい旅を…………ってあれ、今世ならそれも可能なのでは?
「アルくん、どうかした?」
「旅、しようかな」
「「えっ!?」」
オリーブとフローラ、両方から同時に声が出た。
「旅って、アルテアが? まさかあの家出てくつもりなの?」
「ああいや、まだ決めてないけどね。だって、旅ってなんか楽しそうじゃない?」
フローラが涙目になって、僕の腕をぎゅっと抱きしめた。
「私、アルくんと会えなくなっちゃうのやだよ」
……それは、僕も同じだ。旅に出てみたいとは思うけど、大事な皆と別れるのは寂しい。
「大丈夫、今すぐってわけじゃないから。それに、そもそも許可出るかも分かんないし」
マシロさんはともかく、アクロさんは反対しそうだな。さて、どうやって説得しようか……
一旦彼らと分かれ、僕はもう一度パン屋の方へと向かった。
アクロさんが戻ってきているかもと思い、店の扉を開けると案の定だった。
「本当に、何もされてないんだな?」
「アクロは少々、心配し過ぎです。あんまり私に優しくしないでと、いつも言っているのに……」
「無理だよ。俺、お前にだけは冷たくできない」
「これ以上、私が……貴方に甘える駄目な子になってしまったら、どう責任取るおつもりですの……?」
「そうなったら、死ぬまで甘やかしてやるから安心しろ」
アクロさんがカウンターの向こうにいるマシロさんの頬を両手で挟み、優しそうに笑っている。
どうしよう、ものすごく良い雰囲気。何であれで付き合ってないのあの二人。絶対邪魔したくないし、一人で帰ろう。
気づかれないようにそっと扉を閉め、ついでに看板を裏返して勝手に閉店にした。この店のパンを楽しみにしているお客さん達には悪いけど、これで当たる罰なら喜んで受け入れる。
先に屋敷へと戻り、自分の部屋でゴーくんと遊んでいたら、気づいた頃にはもうすっかり日が沈んでいた。
談話室に行くと、アクロさんもマシロさんも既に帰ってきており、ソファに座って眠るマシロさんが隣にいるアクロさんに肩を預けていた。
アクロさんはほんのり頬を染めながら、人差し指を口に当てている。
「お帰り、アクロさん」
僕が小さめの声で話しかけると、アクロさんはふっと笑った。
「ただいま。……さっきは気ぃ遣わせて、悪かったな」
「やっぱ気づいてたんだ」
「当たり前だ」
旅に出ようと思っている事、早速伝えようと思ったけど、そろそろ夕食の時間だし、マシロさんが寝てるって事はまだ何も準備出来ていないよね。
「今日の夕食は僕が作るから、マシロさん起きたら食卓で待ってるよう伝えておいて」
今日ずっと降ろしていた髪を纏め、僕は何を作ろうかと考えながら、一人でキッチンへと向かったのだった。