表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/43

6 獣人まみれで

土俵前にて

 砂塵を巻き上げ、『動く階段』をピンクの塊が駆け上がってくる。ボールのように跳び上がり、髪を逆立てる。ピンクのボールが声を張り上げ、ジェイドに突進した。

「馬鹿な話が聞こえた。何をやっているの。ああ、まだ婚約者だったかしら。妾がボリス閣下を連れて来たのよ。妬ましいって顔ね。下がって。もう帰って良いわよ。えっと、ジェイドとか言う名前の、こましゃくれた侯爵令嬢ね」

 白い砂を被って、ニーナがジェイドの前に立った。頭の上の羽毛が逆立っている。張り出した胸が、服を突き破りそうだ。

「呼び捨てで名前を呼ぶとは、図々しい。ジェイドお嬢様が名前を許したのは、熊主砦城では二人だけです。メモに書いてあります。大声を出して、すみません。ジェイドお嬢様は、相手にしなくて良いです。下賤な者にはニーナが応じます」

 ニーナのメモに記されている内容は、多岐に渡るようだ。ジェイドも初めて知った。

「頼りになるニーナのメモなら、疑いの余地はありません」

 舞踏会で、ボリスが共に歩み去った犬獣人だろう。跳びかかる勢いが、治まる様子がない。

 アニョーが指を立てた。ジェイドからニーナに指が動く。魔法薬を経て怪我をしたフィンへと辿った指が、フローラに止まった。

「フローラ・バウム子爵令嬢は、控えてください。ボリス閣下を連れて帰って欲しいとは、頼みませんでした。家令として、支持はいつも的確に出します」

 アニョーの目が、下から迫る『登る箱』据えられた。ゆっくりと扉が開き、ボリスが下りて、そのまま瞠目(どうもく)した。全身が固まって、毛筋の一本も動かない。

「へえ、そうだったの。急いだから、ホークハウゼ侯爵令嬢とのファーストダンスの時間もなかった。惨めで、可哀想だった。妾は二年前に、ボリス閣下にエスコートだった。夢のような時間だった」

 しれっと答えたフローラは、近づいたボリスの手を握った。

 瞬いたボリスが、ゆっくりと首を右へ、左へ動かす。状況が分からないとばかりに、頭を掻き毟った。

「ジェイド嬢が何故に、此処にいるんだ?」

 ボリスの声に交じる困惑が、非難にも聞こえた。

 ニーナの全身が、毛羽立った。カチカチと喉の奥で歯が鳴っていた。

 ニーナを制して、一歩を踏み出した。顔を上げる。

「引いちゃダメですわ。私はボリス閣下には呼ばれませんでした。勝手に、奥まで伺いました。怯みません」

「一族の者以外は奥から連れ出せ。人間に居場所はない」

 フローラは、犬歯を覗かせ楽しそうに笑った。

「違う、勘違いするな。ウラスラウス辺境伯の一族は、皆が互いにエスコートを求める。慣例だ。二年前の済んだ話だ。俺が望んだわけではない。婚約者だから、奥に居ても良い。ああ、逢えて良かった」

 ジェイドの腕をニーナが引っ張った。

「逢いたかったって仰ってますが、信じてはなりません。騙されません。バウム子爵令嬢と身体を寄せた。すみません、見た状況を正直に話しています」

 その場にいた使用人も弟子も、ニーナに頷いていた。ボリスを取巻く視線が、眇められていく。

 ボリスの目がうろうろと辺り見渡す。やっと気づいたのだろう。フローラの手を振りほどいた。

「ファーストダンスをすっぽかしたとか、ありえねえし。僕の足は直ったし。ボリス閣下には治せねえし。女連れとか、信じられねえし」

 足踏みをしていたフィンが、浴衣の裾を翻して走り出した。

 アニョーが慇懃(いんぎん)な礼をした。主を迎える、家令の姿としては少しだけ勿体(もったい)ぶって頭を上げながら、低い声を出した。

「情けない。アニョーは、ウルスラウス辺境伯家の御先祖様に、顔向けができません。根性なしで、へたれです」

 アニョーの角が、絶妙な角度でボリスの首を狙って、寸でのところで止まった。ボリスの返答次第では、角が首を押さえ込むだろう。少し曲がれば、首を貫く。

「コニアスにも、帰るって伝えたんだ。婚約は発表されている。心配はない」

 ボリスが慎重に応じた。

「黙らっしゃい。コニアス国王陛下は関係がありません。怪我人が出ても、ボリス閣下は役に立たない。必要なのはジェイドお嬢様の魔法薬です。持ち帰って下さいとの、伝言でした。バウム子爵令嬢が曲げて伝えたのでしょう。見抜けないボリス閣下に非があります」

「怪我とは伝えたわ」

「怪我と聞いたら、魔法薬だと考えない浅はかなボリス閣下は、こうしてジェイドお嬢様にまた、救われました。年上なのに子供ですか。獣人の男は子供ばかりだ」

 背を丸めて、ボリスが頭を下げた。

 走り回っていたフィンも、ボリスの隣で頭を下げている。

 アニョーが手を挙げる。ぶるっと角をフローラに向けた。

「獣人の男も、働くと示しなさい。急ぐのです。ウラスラウス辺境伯家の家令として命じます。言葉を違えたバウム子爵令嬢には、即刻、引き取ってもらいます。誰にも異を唱えさせません」

 二人の男の使用人が、フローラの両脇を掴んだ。羊獣人だ。右側は黒い角で毛が白い。左側は角も毛も茶色だ。二人とも、毛が渦を巻いてみっしりと頭を覆っている。フローラを連行する。悪態を吐くフローラの口を、がっしと掴んだのは茶色の方だ。『登る箱』に消えていく。

 犬を追い立てる羊の姿に、ジェイドは呟く。

「バウム子爵令嬢は、牧羊犬にもなれないようね」

 フィンが、ボリスとジェイドの間で四股を踏み出した。

「ホークハウゼ侯爵令嬢は相撲に興味があっても、文献で知っただけだし。大丈夫かなあ。僕は心配だし。人間のレディは相撲を見るのを嫌がると思うし。今は浴衣を着てるけど、廻し姿だし。獣人の身体が、ぶつかり合うんだし」

 スマホの画面が蘇る。レスラリー王国が中世ヨーロッパに近い文化の様相なら、肌を出す相撲は異質に見えるだろう。人間のレディには、刺激が強いとビルヘルムが声を潜めていた。ウルスラウス領の苛烈な状況は、廻しに浴衣に瓦屋根だ。オリエンタルでジェイドには親しく懐かしい。

「相撲は、神聖なる神事ですわ。力を競い、技を誇る力士が、互いを認め合って成り立ちます。だからこそ廻し姿で立ち向かうって、文献にありました。美しい姿だと思います。でも、見た経験はないのです」

 嘘ではない。相撲の生観戦はしていない。巡業にも本場所にも、行っていない。事実を包み込んで伝えた言葉に、ジェイドは笑みを添えた。

「さあ、ジェイドお嬢様の御用件が今の最優先です。ボリス閣下、腹を括って頂きましょう」

 アニョーの言葉に、ニーナが激しく頷く。いつの間にか、二人の呼吸が合っている。

 背を伸ばして、ジェイドはしっかとボリスを見据えた。

「事情聴取に伺いました。話し合いを要求します」

 ボリスの肩が萎んだ。


お読みいただきまして、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ