表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/43

5 年上の男の子

ウラスラウス領にて

 飛鷹城の屋根の上から、二日が経った。

 ジェイドは跪いて、手を胸の前で組んだ。喜びが心の底から湧き上がる。

「ええっと、目の前に見えるのは、紛れもなく土俵(どひょう)です。魔法薬はあります。さあ、青い薬は、痛む部分にたっぷり振りかけてください。滲みますのよ。赤い薬は飲み薬です。半量を呑んでください。瓶に星が刻んである所までです。甘く仕上げてあります」

 興奮を押さえて言い募る。

 ジェイドの前で、羊獣人のアニョーが巻いた角を撫でてから、眉間に何層もの皺を刻んだ。

「ボリス閣下より、ジェイドお嬢様が熊主砦城に早く着く。必要な魔法薬もあって、土俵も御存じ。こんなに言葉を交わしたのは初めてでございます。何から驚けば良いのでしょうか?」

 アニョ―は熊主砦城の家令だ。角は頭の両脇で巻いていて、白い髪が暖かそうに渦を巻いて頭を覆っていた。

 遠巻きにジェイドとニーナを見詰めていた使用人を呼んで、アニョーが差配を始める。

「甘い。でも変な味だあ。不味い」

 怪我をしたのは、猪獣人のフィンだ。先が尖った桜の葉のような耳に、突き出た鼻筋が特徴だ。ジェイドよりも二、三歳は年が上だろう。

「フィンは大人でしょう。子供みたいに不満を零すとは、何事ですか。効く薬は、不味いと相場が決まってます。手が掛かるのは、ボリス閣下で十分です」

 アニョーの語気が荒い。

 ジェイドは深く一礼した。誰もいない土俵をじっくりと見分する。登ってはいけない。礼を失してもいけない。敬意を持って、土俵に対峙した。

「これは、随分と古い土俵ですわね。(とく)(だわら)が傷んでいます。熊主砦城の奥は、幼い頃から立ち入ってはならぬと、厳しく窘められていました。今日は何度も、何度も正門から訪いました。誰もおりませんでした」

 熊主砦城は、急な断崖に位置している。正門に面した本館は三階建てで、巨大な要塞を兼ねていた。奥に進むほど傾斜は鋭さを増した。

 口を押えて、感嘆の声を出す。誰にも聞こえないようにした言葉が、ジェイドの口の端から漏れて行く。

「郷愁を覚えます。王都やホークハウゼ領は、四十七歳の情報から言えば、中世ヨーロッパです」

 ウルスラウス領はオリエンタルな様相だ。屋根には瓦が乗り、(うだつ)を備えた場所もある。日本風と言い切るには、屋根の描く傾斜が反り過ぎている。漆喰の壁もあれば、石垣が詰まれた場所もある。

 本館から絶壁を登った場所に、平屋があった。全ての窓と扉が開け放たれた平屋の中に、土俵が見えた。

 アニョーが、首を傾げてジェイドを見詰めた。

「魔道具が活躍していますわ。魔石の交換も順調のようです。父様のお仕事を、誇らしく思います」

 ジェイドが考えて完成させた魔道具を実際に世に送り出すのは、王立魔法師団に所属するトーマスだった。

「断崖を『登る箱』と、『動く階段』は、歳を取ったアニョ―には欠かせません。アニョーは『動く階段』が好きです。今は青葉の美しい季節でございます」

 風魔法で押し上げる『登る箱』は、日本ではエレベーターだ。板を土魔法で運ぶ『動く階段』は、エスカレーターだ。トーマスと話し合い、試行錯誤を重ね風魔法と土魔法を合わせた。十歳のジェイドが作り上げた魔道具は、辺境のウルスラウス領の生活を一変させた。

 自覚する以前から、ジェイドは翠の記憶を活用していた。

 全方向に頭を下げて独り言ちながら、ジェイドの瞳は土俵に注がれ続けた。

「開発者の皆様、どうかチートを許してください。ああ、なんて使い込まれた徳俵でしょう。歴史を感じますわ」

 俵が、ぐるりと丸く土俵を囲む。土俵には、東西南北に徳俵を設置する。徳俵は俵の幅だけ外側にずらしてある。野外で相撲を取っていた時代には、土俵の水はけを良くした工夫らしい。今は、徳俵で勝ちを拾う力士(りきし)も、足を掬われる力士もいる。

「奥までお出で頂きまして、ありがとうございました。お出迎えもせず、申し訳ございません。ボリス閣下には、アニョーが取り成します。何も口ごたえはさせません」

 藁はあるのか、稽古に支障はないかと問質したい。焦らないように、何度も言葉を呑み下して、アニョーの顔を見た。

「言い訳はしませんわ。ボリス閣下が咎めるなら、土俵を隠した意図を問うまでです。ああ、魔法薬が効きましたね。飲み薬の効果が早いわ、ゆっくり動いてね」

 (くじ)いた足にあった青痣が消えた。痛みがなくなって、フィンが驚いた顔をしている。

 屈伸をした後、フィンは膝を突いて深く頭を下げた。直ぐに小躍りして走り出した。フィンは浴衣を着ていた。

「子供のようですわ」

「フィンの足が動いています。ジェイドお嬢様は大人になられました。ボリス閣下に、大人になる秘策を教えてください」

 アニョーが声を潜めた。

「時に、ジェイドお嬢様は相撲を、御存じなのでしょうか?」

 大好きだと勢い込む言葉を、押し留める。

 トーマスが相撲と発言した時から、言い訳を考えていた。今までレスラリー王国で相撲をジェイドは知らなかった。引き籠りで情報が少ないともいえるが、相撲の話題も聞かなかった。ならば、過去にあったと考えられる。資料や本なら、残っているだろう。

「古い文献で、読みました」

 今環(いまわ)(きわ)まで翠は、相撲の応援をしていた。転生した事実は、誰にも告げていない。慎重に言葉を選ぶ。

「朝稽古は終わったようですね。ほら、魔法薬をお渡ししたいと思っていますのよ。お弟子さんは何人でしょうか?」

「ジェイドお嬢様は博識なんです。知らない事象の方が少ないんです。まあ、少しおっとりして、奥手で、初心(うぶ)で、引き籠りです。今はよく喋ってますが、あまり人と関わるのは上手ではないので、熊主砦城の皆様にはご迷惑をおかけしております」

 威張ったり、謝ったり、ニーナは忙しい。メモの書付けを済ませて、ニーナは何度も首を前に出して、忙しく魔法薬を並べていた。

 アニョーは家令の見本とばかりに背筋を伸ばした。

「弟子は十人です。熊主砦城のウルスラウス辺境騎士団の中で、若い騎士たちが名乗りを上げました。稽古に熱が入っております」

「挫いた足は魔法薬で直ぐに、良くなります」

「出て行け」

 ジェイドの声を遮る音が、轟いた。


お読みいただき、ありがとうございました。


< 参考文献 > 

「『大相撲の解剖図巻』~大相撲の魅力と見かたを徹底図解~」 第三十四代木村庄之助・伊藤勝治 監修 株式会社 エクスナレッジ 2022年

「大放談! 大相撲打ちあけ話」北の富士勝昭 嵐山光三郎 著 新講社 2016年

「知れば知るほど、大相撲 大相撲うんちくかるた」 絵・文 ノーン 2021年

「力士の世界」 第三十三木村庄之助 著 文芸春秋 2007年


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ