40 辺境の地、ウルスラウス領で
大相撲も、後半戦になって来ました。優勝の行方も気になりますが・・・押しの力士の様子が気掛かりです。ああ、怪我をしませんように。
ポーラが助け起こしたフローラに、魔法薬を飲ませる。張られた頬は腫れ上がっている。口の中が切れている。
「不味い。甘いのに苦い。もう飲みたくない」
くぐもる声でフローラが不平を漏らす。
「へえ、魔法薬もあるんだな。ああ、フローラが王都まで行って持ち帰るのを頼まれたって聞いてる。良く効く魔法薬だろ。傷が直ぐ治っていく。使えるぞ。俺が、売ってやる。国を騒がせ、掻き乱した方が儲かる。聞けよ。戦いは金が掛かる。金を生む」
真の狙いは戦いだ。ウルスラウス領を戦場にする事態を、アンソニーは目論んでいる。辺境は常に危険と隣り合わせだ。
ジェイドはポーラの肩に手を置く。手が僅かに震えていた。
「辺境にいたのは、直ぐに逃げるためだ。隣国に行って、魔道具を見せて、戦いを仕掛けさせる。やっと気づいたのか? こましゃくれた侯爵令嬢も、ちったあ頭が働くようだ」
フローラを抱き上げたポーラが、ジェイドの手を握り締めた。
「魔道具が戦いに繋がるのですか?」
「おいおい、頭を使えよ。使える魔道具は、隣国だって欲しがる。存在を知ったら、群がるぜ。俺が戦わなくても、魔道具を見せたら、奪いに来る。戦いの始まりだ」
「褒めてはるのやろうな。知らんけど。他人のモノをむやみに欲しがらんといてよ。本場所中に揉めるのは、やめてな」
ポーラが胸に抱えていた『動く階段』を差し出した。
「え?」
瞠目したフローラが顔を歪めて、目を逸らした。
「寄越せ」
アンソニーの手が『動く階段』に触れた。
刹那、木が裂けた。ぼろぼろと崩れて、『動く階段』が木っ端になった。握れないほど細かい木片になる。
砕けた『動く階段』を追ってアンソニーの手が空を掻く。狐獣人の頭に木屑が降り注いだ。
「使い物にならない魔道具だ」
大音声が轟く。
扉を開けて、イーサンが入ってきた。イーサンの手にはしっかり優勝カップの入った箱があった。
「不味い魔法薬の匂いがする。二度と飲みたくないのに、誰が怪我をしたんだ。ジェイドが造る物は、魔道具も魔法薬も、本当にこましゃくれている」
部屋の中を睥睨して、イーサンがアンソニー目掛けて指を突き立てた。
重装備の騎士がアンソニーの後ろ首を掴んだ。
「逃すな。王宮では皆が知っておる。戦いでは、役に立たない。使い方が限られている。全く、ちょっと邪悪な考えを持つと『動く階段』は止まった。顎を割るほどの勢いで、引っ繰り返った。トーマスは正しかった」
「私の魔道具は戦いには、使えないんです」
「何だと? フローラが優秀な魔道具だって言ったから、俺は信じたんだ。使えないなら。改良しろ。もっと優れた魔道具を造れ。俺が、売ってやる」
ポーラがジェイドを振り向いた。
「恥じる必要はないわ。使い方を選んで、悪人を選り分けて、優秀で良い魔道具や。余程の悪巧みだったんやろうな。『動く階段』が砕けたわ」
イーサンの後に止まることなく足音が続く。アニョーとニーナが駆けこんだ。騎士団が私室を埋め尽くす。
「順風耳の名前をジェイドお嬢様より頂いたアニョーが、全てを余すところなく聞き取っています。言い逃れはできません。アンソニーは不法侵入。犯罪教唆の疑いがあります」
角を突き立てて、アンソニーを騎士団の側へ押し遣った。
「千里眼にはなりませんが、メモに書き留めてあります。ジェイドお嬢様が三階に来るなって命じたから、心配でした。離れませんってお伝えしたのに、悔しいです。ずっと側にいます。謝りません」
ニーナがジェイドの横に張り付いた。いつもより近い。盛り上がった胸が、ジェイドの腕を押していた。
顎を聳やかしたイーサンがジェイドの前に立った。
「コニアス国王陛下が、相撲は神事であると宣った。戦いには使えないジェイドの魔道具の力を、認識せよとの下知だ。宰相が自ら確認した。魔道具は戦いには使えない。平時限定品だ。レディを騙すとは、許せない」
騎士によって幾重にも縛られたアンソニーが、獣耳を揺すって毒づいた。
「騙される奴が悪い」
「優しさや弱さに付け込んで騙す役は、もっと悪だ。引っ立てろ」
騎士がアンソニーを引き摺って行く。
「イーサン宰相様の言葉の中でも、今日一番の名言です。ああ、書き取れてうれしいです。メモに大きく書いています」
イーサンの耳が下から微かに朱に染まっていった。
「ジェイドは、王立魔法師団の入れ。濃紺のローブを着ろ。ウルスラウス領は危険だ。他国が近い熊主砦城なら、守り切れない」
危険は何処にでもある。王都で引き籠っても、熊主砦城でいても変わらない。守られる時期は終わった。自らの足で立って、危険に立ち向かう必要がある。
「大きなお世話です。勝手に決めつけないでください」
「今日、最大の失言もいただきました。登場も遅かったし、イーサン宰相様はジェイドお嬢様を直接的には守っていません。評価が乱高下します。丸ごと全部がメモに記録してあります」
「レディは、自ら守りを固めてはる。早く、不知火大神殿へ馬車で出発したほうか、いいやろな。間に合わなくなる、難儀やなあ」
手から優勝カップの箱を取り落としそうになったイーサンが、騎士団に抱えられた。怨めし気な目を投げて、イーサンは私室から出ていった。
騎士団に促されて、フローラは立ち上がった。
「フローラさんは、私を心配していましたね」
「アンソニーだけが優しかったの」
騎士が両脇を抱えたフローラの前に、ポーラが立ちはだかった。
「ジェイドお嬢様が、熊主砦城に招いたやんか。案じていた証拠や思うで、知らんけどな」
「アニョーの信頼が伝わりませんでしたか?」
怪訝な顔をしたフローラが首を振るった。
「辺境部屋にとって大切な役目を、フローラさんにお願いしたはずです」
瞠目したフローラが下を向いたまま、呟く。
「だって、妾はそれを利用したの。ボリス関とジェイドお嬢様がファーストダンスを踊らせるなって、アンソニーが教えてくれたの。妾は居場所がなくなってしまう。父様は愛妾になってでも熊主砦城に居ろってしつこかった」
「リッチー親方は言い方が不器用や。親方になった心意気は、分かります。まあ、可愛い娘を守りたかったんやろうな」
ボリスが頭を下げて、リッチーを親方に迎えた。バウム子爵家では、相撲は禁忌だったのかもしれない。少なくともフローラとリッチーの間には、相撲への蟠りを感じる。難しい。
「誰のことでも心配するフローラさんは、思いやりがあります。確かに、ボリス関の私室にレディが居るのは、気持ちが良くないです。扉を開けた時、身体が強張りました」
崩れるフローラを騎士が抱えて連れ出した。
「ボリス関の私室に招いたのは、ジェイドお嬢様やんか。割に合わんわ」
「その、ポーラ女将の姿が、魅惑的ですから、ちょっと不安になります」
ポーラが項に手を当てて、眇めた目をジェイドに投げた。
「千秋楽やからな、おきばりやす」
無人になった私室のドアをジェイドは音高く閉めた。
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