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4 屋根の上の人形遣い

やっと、王都脱出です

 掌に込めた魔力でアイテムボックスを開いた。右手を青緑の光に差し込み、くるりと混ぜる。

 ジェイドの黒髪が、風に煽られて靡いた。

「届かない。つい力が籠って、遠くに放り投げてしまった。だって熊のぬいぐるみなんですもの」

 深く腕を差し込んで、熊を出した。腕を握って、呼びかけた。

「父様と母様は、まだ寝ているかしら。通話をお願いね」

 熊の首が縦に振れた。振れが大きくなる。大きく背を反らして、深く前屈をする。ジェイドの手の中で、熊が腹筋を繰り返した。

 ピタリと止まって、熊が顔を上げた。口が動く。トーマスの声がした。

「ジェイドだね。驚いたよ。これは、離れても話が出来るビスクドールだね」

「寝ている時に、ビスクドールに覗き込まれて、顔を小さな掌で叩かれたら、誰でも叫ぶわ。暗い部屋で動くビスクドールは、怖いわよ。ジェイドの魔道具は凄まじいわね。今は研究室かしら?」

 アデレイドは、上擦った声を上げていた。

「ホークハウゼ領のマナーハウスの屋根の上です。父様、母様、おはようございます。()(よう)(じょう)は良い風が吹いています」

 鷹が両翼を広げたホークハウゼ領の邸は、飛鷹城と呼ばれていた。王都の東に位置しており、穏やかな丘陵は穀倉地帯が広がった。ホークハウゼ領は安全な街道を整備しており、商人が好んで訪れる。

 熊が息を呑んだ。アデレイドの声が近くなった。ビスクドールを掴んだのだろう。

「随分と遠くても、話が出来るのね。馬車で二日はかかる距離よ」

 熊が手を振って、話をする。ビスクドールの手をトーマスが握ったのだろう。動きも同調しているようだ。優秀な魔道具ができた。

「違うだろう、アデレイド。屋根の上にいる娘を心配するところだよ。移動は魔法陣を使ったんだろう?」

「私の娘のジェイドが、屋根から落ちる訳ないわ。デビュタントが散々だったからって、マナーハウスに引っ込む必要はないのよ」

 熊の手が腰に当たっている。随分と細やかにビスクドールを操作するのは、アデレイドだ。

「ボリス辺境伯閣下にも御事情があったんだよ」

 トーマスの声が慎重に響いた。

 熊に向き合う。

「事情聴取に行ってきます」

 思いがけないほど低い声が出た。

「やはり。怒れる黒髪が、屋根の上で靡いている姿が見えるようだ」

「きゃあぁ。美しいでしょうね。朝焼けのホークハウゼ領に、黒い瞳が輝いている」

 熊が頭を抱えた。

「恐ろしいの間違いだろう。魔力を蓄えて、ウラスラウス領に向かうんだね。飛鷹城からなら、二日かな」

「魔法陣で熊主砦城の前に、どおっと乗り込んでみせてね。ああっ見たいわ。魔力が迸る黒髪が輝く。人間の美しさよね。怒ると翡翠の色が黒に宿るの。知っているわ」

 アデレイドは、陽の光を集めた暖かな黄金の尻尾と獣耳の狐獣人だ。

「母様ほどの迫力は出せません。それに、しっかりと場所を覚えていないと迷います。熊主砦城は、あまり知りません。不知火大神殿に魔法陣で向かいます」

「不知火大神殿からは馬車だ。確かに、愛しいアデレイドの瞳は今も煌めいている」

 トーマスのサラサラと風を纏う柔らかな金髪が動く音がした。髪は、動くたびに七色に煌めいた。

 狐獣人の兄は、髪の色が父と同じだ。三人共に朱を帯びた、金の瞳を持っていた。ホークハウゼ家は輝きが多めだ。

「瞳の色が同じで、父様と母様は惹かれあって、結婚したんでしょう」

 何度も聞かされた。ホークハウゼ家の成り立ちの物語だ。両親の惚気だ。

 熊が、蹲って、鎮まった。

 ジェイドの髪を、風が掻き雑ぜた。

「婚約は解消が出来ると、承知しているね。それに――」

「破棄しても良いのよ。近衛騎士団のビルヘルムを動かせるのは、国王陛下だけですもの。ジェイドに、何も憂慮はないのよ」

 トーマスに被せたアデレイドの声が、随分と弾んでいた。娘を心配する母の思いだろう。

 心の奥底で翠の声が重なった。

『結婚』

 四十七歳で翠は独身だった。ジェイドとなって転生したのは、結婚をするためだったのだろうか。レスラリー王国の貴族なら、結婚は逃れられない。でも、結婚しない生き方を、翠は望んでいた。生き方を悔いて、転生したとは思えない。

 必死に見ていたスマホの画面が、どうしてもジェイドから離れなかった。

「結婚をしたかったかは、大きな疑問です。心を残したのね。何か無念があります」

「ジェイドが難しい話をしているわ」

 アデレイドの気遣わしい声が遠くなる。

 翠の声が浮かんできた。屋根の上で、ジェイドは足を踏み出した。手にした熊もジェイドに向かって足を出した。光が溢れる。

『引いちゃダメ、止まるな。足を前に出して。押していけ』

 画面に向かって、翠が手を振り上げていた。画面の中が鮮やかに見えた。引き込まれる。

 西からは『黒い(まわ)し』。盛り上がった肩の肉。太い脚。低く鋭く下から突き出された右手が、東の『朱い廻し』の喉を捉えた。左手は肩を鋭く押す。

 朱い廻しは、(たま)らずに一歩引いた。引きが更なる突き押しを誘う。顎が上がり、脇が弛む。黒い廻しを手繰った手が空を掴む。仰け反って、足が下がる。最後の足掻きで、(はた)きが繰り出された。

 慌てず相手のいなしを避けて、黒い廻しが追い詰める突きを食らわした。

 思い出した。あの画面に映っていたのは――。

相撲(すもう)ですわ」

 小さな呟きに、熊がはっと顔を上げた。

「相撲って、何か聞いたのか?」

 口走ってしまった状況に、動転した。ジェイドは何度も首を振るう。熊の首を指で一緒に動かした。転生した事実は誰にも伝えられない。伝えても、混乱するだけだ。

「何も知りません」

「ジェイド、無茶はするな。そうだ、屋根の上で何かしたのか。目的もなく、危ない技はしないはずだよね」

 トーマスが話を変えた。何気ない調子の声は、トーマスとアデレイドの気遣いだ。

「魔石を屋根に埋め込みました。風と雷の魔力を強めて、声をタウンハウスまで届ける仕組みです。此処を拠点とすれば、熊主砦城に行っても通信のビスクドールが使えます。電話って名付けました」

「便利だ。雷魔法を使ったのかい。真珠まで使っている」

 トーマスの声の奥に、王立魔法師団の存在を感じた。

 ジェイドの魔道具の多くは、王立魔法師団に製造方法を提供して、王国の管理にしてあった。自分の研究室で過ごして良いお墨付きの代わりに、ジェイドは惜しみなく、技術を渡した。独占するより、魔道具の普及をジェイドは選んだ。

「風魔法と一緒に組み合わせました。まだこの一組だけです。手を握って、通話をしたい相手の名前を伝えれば、動き出します。電話を切る時は、ありがとうって頭を撫でてください」

 心がかなり痛い。翠として生きていた世界で電話を発明したのは、誰もが知る偉大な科学者だった。声に出さずに、小さく喉の奥で呟く。

「すみません。我が事のような発言をお許しください。チートに感謝いたします」

 ジェイドは全方向に頭を下げた。

「しばらくは、熊主砦城にいる予定だろうか?」

 真珠を使った意味は伏せた。答えない内容を、トーマスも呑み込んだくれたようだ。

「ニーナも一緒です。ニーナは今、飛鷹城で休憩する準備をしています。一日休んで、明日に伺う予定です。多分、ボリス閣下を飛び越えて来たと思います」

「移動の魔法陣は馬より速い。まあ、ホークハウゼ家で使えるのは、ジェイドだけだ。魔法師団だって移動の魔法陣を発動できるのは、二人ってとこだ――」

 言い募るトーマスの声が遠くなった。

 アデレイドの声が密やかに、近くなった。

「トーマスは話が長い。飛鷹城に、取って置きの美味しいクロテッドクリームがあるわ。領地で酪農を始めたの。元気な牛がいるのよ。しっかり食べてね。また、電話して、ジェイド。元気でいるのよ。ビスクドールもありがとう」

 アデレイドが電話の使い方を分かったようだ。

 熊のぬいぐるみを撫でて、顔を上げる。曙光の先へ、懸命にジェイドは意識を向けた。考えることが多いが、動いていればしばらくは選択しなくても済む。目を閉じたら、何か変わっていると考えるほど幼くない。

「ジェイドお嬢様、支度が整いました。湯浴みをして、お休みになられますか。朝食も美味しそうですよ。すみません、急かしてしまいました」

「クロテッドクリームは胃に重たいから、少なめにしてね」

「あらまあ、メイド長みたいだわあ。いつの間に年取っちゃってるんです」

 老けた発言だった。

「メイド長はお幾つだったかしら?」

「六十一歳です。すみません。女性の年齢をぺらぺらと発言してしまいました」

 拙いと焦った心を、ジェイドは懸命に宥めた。クロテッドクリームを十六歳の胃腸なら、十分に受け付けるだろう。

「若いって分かっています。大盛りにして頂戴ね」

 熊のぬいぐるみを、アイテムボックスにそっと戻した。ジェイドは屋根からふわりて浮かんで、二階のバルコニーから飛鷹城に入った。


お読みいただきありがとうございました。

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