37 魔道具
ジェイドがウルスラウス領の風が強いと思ったのは、最初に『動く階段』に乗った時だった。追ったボリスを追い越して、辺境部屋に魔法薬を届けた。そこで相撲に出会った。ジェイドとしては、再会した思いだった。
「風を強いとは感じなくなりました。『動く階段』は今日も、ゆっくりと絶え間なく動いています」
エスカレーターをイメージしてジェイドが造った『動く階段』は、土魔法で木の板を動かす。土の上にある木の板に乗れば、自然に動き出す。次々と、土の中から木の板が湧いて出る。上まで行った木の板は、土の中に入って下まで戻る。
エレベーターの原理を、日本にいた翠はもちろん知らなかった。技術者ではない。見ただけのイメージで、『動く階段』をジェイドは造った。
「ジェイドお嬢様は、熊主砦城に馴染みましたな」
アニョーが嬉しそうに巻いた角を触った。
「便利を望むイメージと、チートの為せる技です。ウルスラウス領の土と木の恩恵ですわ」
「うわ、摩訶不思議な言葉が出ました。我慢できなくて口が動きます。手も止まりません。お許しください」
賑やかに話を続けると、熊主砦城から辺境部屋に続く急峻な斜面に出でた。
「急な坂だが『動く階段』があれば、問題ないな。なかなかに動きもスムーズだ。辺境部屋の立地も、悪くない。まあ、受け入れられる。武装した辺境騎士団は近寄らないって聞いている。宰相は、何でも知っているぞ。先導はアニョーが勤めよ。ジェイドは最後に乗れ。許す」
イーサンが『動く階段』で坂を登っていく。
騎士たちは動かない。『動く階段』の手前で止まった。
イーサンが持つ優勝カップを入れた箱が、重そうだ。
「荷物をお持ちましょうか? 随分と重いもののようです。使用人が運びます」
間髪を入れず、イーサンはアニョーの手を叩き落とした。
「触るな。この優勝カップは、畏れ多くもコニアス国王陛下から託された。誰にも触らせない。触れるのは、優勝力士だけだ」
頭の上に箱を掲げたイーサンが、よろけた。
イーサンが身体を伸ばす。風が、箱を押し下げる。派手に身体を上下させて、イーサンが絶叫する。
「ぎゃああっ、落としては、一大事だ。助けろ、早くしろ、遅い」
アニョーが頭突く。角が、イーサンの足を捉えて違えず挟み込んだ。箱には手を伸ばせない、究極の選択だと分かる。
「優勝カップには触れていません」
「足を刺すな」
アニョーに噛みつくイーサンの身体が、箱を掴んで『動く階段』の上で大きく弾んだ。
「皮も肉も、避けています。血も出ていません」
「助けろ、辺境騎士団。敵襲だ! 宰相の下知だぞ」
角に足を極められたイーサンが、箱を背負った。
騎士たちが『動く階段』の前に展開した。隊列を組んで、隙なく『動く階段』の下を埋め尽くす。
ジェイドとニーナは騎士に誘導され、『動く階段』から離れた。
「眺めはいいです」
騎士の声が朗らかに鳴り渡る。
「受け止めます。心置きなく、落ちてください。宰相様の足が踏ん張っています土俵際の粘りですね」
「一国の宰相が、落ちられんわ。粘るぞ」
藻掻くイーサンは優勝カップを抱えたまま、体勢を悪くしていく。
「問題ありません。レスラリー王国の宰相様の飛ぶ姿を、辺境騎士団が見守ります」
「さあ、土俵から落ちる心算で、どうぞ」
「ふざけやがって。早く助けに来い!」
顔から『動く階段』に落ちた。ごつりっと音がした。顎が『動く階段』に当たった。頭の上から箱がぶち当たった。
「割れた」
イーサンが顎を押さえる。
「割れました」
止まってしまった『動く階段』は、イーサンの顎の下で真っ二つに割れていた。ジェイドは『動く階段』を握りしめた。
騒然となった辺りを、辺境騎士団が差配して鎮めて行く。
イーサンは箱を抱えて、ジェイドの差し出した魔法薬を飲んでいた。
ニーナが魔法薬を降りかけた顎から、雫が滴る。
「ジェイドの魔法薬は、不味い。もっと味を変えろ。二度と飲みたくない。酷い味だ。怪我が治っても、有難みが半減する。宰相が認める不味さだ」
魔法薬の味の酷さに、イーサンがお墨付きがを出した。
「善処を検討させていただきます」
「対処しないと言ってるのと同じだ。奥方の苦労がしのばれる」
「アデレイド様は思い出されても、迷惑でしょうね。割れが深くなりました。すみません。メジャーで測りたいです。もっと触りたいです。魔法楽を振りかけた時に、少しだけ愛でました。今後は自重します。精一杯です」
ニーナが首を上下に振って後退った。胸がはち切れそうだ。
「ジェイドの魔道具は、やはり役立たずだ。『動く階段』も魔法薬も、使い勝手が悪すぎる。改善をしろ、宰相からの命令だ」
イーサンが絡んでくる。
「割れた『動く階段』を部屋で修理します。ニーナは残って、お見送りをしなさい。私は一人で三階に向かいます」
「何故に、三階なんだ? トーマスの話では、ジェイドの魔道具は熊主砦城では、おっと、話過ぎた。熊主砦城と辺境部屋での役は済んだ。後は、不知火大神殿に行くだけだ。歩けない。馬車まで運べ」
白い毛と茶色の毛の羊獣人が進み出た。イーサンの両脇をがっしりと掴んで、歩き出した。『動く階段』から離れて、騎士の待つ場所にイーサンを運んだ。
イーサンが指示を出して、数名の騎士が場を離れた。
深く礼をして、ジェイドは割れた『動く階段』を抱えて、ジェイドは熊主砦城に引き返した。
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