35 十四日目の結び前、二敗と無敗の大関戦
皆さんは、押しの力士がいますか?
塩に分かれたスコーピオンの鬣が、輝いている。土俵に塩が舞い飛ぶ。
「時間です」
軍配が返って、行司が前を向いた。
仕切り線でボリスは手を突いた。スコーピオンより僅かに速かった。
音が消えた。土俵の上の息遣いだけが見える。行司の足が、土俵を踏みしめている。
スコーピオンの頬が盛り上がった。小さく上下したスコーピオンの右手が、仕切り線を掠ったのが見えた。
ボリスは、一歩、前に踏み込んだ。先んじた。
スコーピオンの唸った声が耳に届く。弾かれる前に左足を踏み込んで、廻しに左手を伸ばす。指が下がりを掠めて、廻しを引き寄せた。固い。廻しに指を弾かれる。指を押し込み、廻しを掴んだ。
「ハッキョイ、残った、残った」
ボリスの耳に音が戻り、行司の掛け声が、土俵の上に響く。砂が舞い上がる。砂の動きもゆっくりと見える。
足を止めない。早い相撲が肝心だ。相手の出方を伺わない。先に攻める。引かない。身体を圧しつけて、前に出る。
突き押しを探って、スコーピオンが廻しを嫌う。
スコーピオンが腰を右へ左へと鋭く振る。スコーピオンの肘が、ボリスの手首を狙って振り落とされた。どちらも廻しを切る技だ。突き押しだけでなく、スコーピオンは取られた廻しを切るのが巧い。
振られる腰には、動きに合わせてボリスも脇を締めて身体を寄せた。指を廻しに押し込んで堪えた。
振り下ろされた肘には、腕を返して反動を受け流す。スコーピオンの脇の下に差し入れた側の肘を、大きく横に上げる技だ。おっつけと反対の動きになる。
一度捉えた廻しを切らせない。ボリスの強さだ。
指を後褌まで動かす。スコーピオンの丸く締まった身体を引き寄せる。今一度、強く脇を締める。一気に土俵際まで詰め寄る。足を止めずに、瞬く間に寄る。
俵にスコーピオンの足が掛かった。俵が足を支えて、この一山を越えるのがしんどい。力を抜いたら、一揆に形勢は逆転される。此処で真っ直ぐに寄らない。スコーピオンの身体が浮くように、僅かに右側に振る。
伸びきった腰で、スコーピオンの右足がボリスを探っている。探った隙に、身体を押し付け最後の押しをする。
寄り切った。
頭を下げて礼で向き合ったスコーピオンが、微かに称賛の目を向けてくれた。
勝ち名乗りを受ける。
「声を失うほどの、気迫ある相撲でした」
「立ち合いより前から、ボリス関が勝っていたな。手を早く仕切り線に下ろしていた。珍しいよね」
レギオンとベンジャミンの声が耳に戻ってきた。
「いつもは、相手が下ろしてから、立ち合いを合わせるのがボリス関だったと思います。立ち合いの間合いを変えたのでしょうか?」
「ねえ、新入幕の力士の初々しさで、ボリス関は勝負に挑んでいた。勝ちに向かって踏み込む勢いが、優っていて。だから、スコーピオン関に身体を寄せ切ったんだ」
「廻しを取ったのが大きいでしょうか?」
「確かにな。でも、踏み込んで身体を寄せて、脇を締めて、基本に忠実だよ」
「掴んだ廻しを、放しませんでした」
「スコーピオン関は廻しを切るのが巧んだよ。それにも全て、対処していた。冷静だったな。良い力士になったもんだ。明日も楽しみだ」
レギオンの声に、喝采が応える。
ボリスはゆっくりと土俵を下りた。
勝ち残りで、ボリスはエドワードの相撲を土俵下でじっくりと見た。
「全勝同士が、千秋楽を務めることになりました」
ベンジャミンの声を耳に納めて、ボリスは花道を引き揚げた。
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