31 予期した訪問者
アニョーがジェイドを呼んだ。眉を下げて、頭髪の渦も心なしか張りがない。
「思っていたより、早かったですわ」
「やはり想定済みでしたか」
ボリスのいない熊主砦城に厄介事を持ち込んでいるのは、ジェイドだ。積み重なっているアニョーの心労に、ジェイドは苦く笑んだ。
「お客様なら、私が対応しましょう」
気負う思いもなく、自然と言葉が出た。
ボリスと会う時間は僅かだ。本場所の始まる前の、二人で過ごした晩餐が、遠い記憶になっている。だが、不思議と共に過ごしてきた思いは強くなった。離れていても、話せなくとも、ジェイドはボリスと同じ方向を向いて立っている。ボリスのいない熊主砦城を守ると、ジェイドは決めていた。覚悟がなかったら、熊主砦城に滞在できない。フローラを招けない。
「ボリス関には、勿体ないジェイドお嬢様です。ボリス関は果報者です。ああっ、今日も憂いなく出立しました。分からないようなら、この角で刺します」
角を光らせて、アニョーが尊大に顔を振り上げた。
「フローラさんが熊主砦城に滞在しているって、もう噂が広まっているのね。怖ろしいわ。昼食を終わったばかりよ」
「勿体ないジェイドお嬢様って部分は、大きく書きます。辺境部屋が出発した途端に、来客です。すみません。口を挟みました。隙を狙っていたんでしょうか。ああ、メモは準備万端です」
意気込んだニーナは、直ぐにでも飛び出す勢いだ。ジェイドを立たせて、全身をチェックしている。扇を手に持たせた。
フローラを訪ねて来た来客を、そのまま会わせる訳にはいかない。フローラが直接の出て行く応対は、熊主砦城でのフローラの地位と認める行為になる。婚約者のジェイドを蔑ろにする所業だ。そもそも客が訪ねてくる時点で、フローラの存在を強め過ぎている。
アニョーが、五人のメイドに掃除を命じていた。
常より賑やかな掃除を音を聞きながら、胸を張ったニーナを従えてジェイドは玄関ホールに出た。
狐獣人の少年と狐獣人の男がいた。不知火大神殿で見かけた親子と思えた二人だ。
「ああっ、あの時のお姉ちゃんだ」
アニョーが前に出る。慇懃すぎる礼を狐獣人の二人に示した。
「熊主砦城は主のボリス関が本場所中のため、婚約者のジェイド侯爵令嬢が対応をしております。御用件を伺います」
三階からは、掃除の音が降ってくる。賑やかな熊主砦城だ。
アデレイドの姿を思い浮かべて、ジェイドは毅然と顔を上げた。
「熊主砦城にようこそ。歓迎します」
少年を押さえて、狐獣人が前に出た。
「フローラ嬢も、熊主砦城に入ったって聞いた。心配で、様子を見に来たんだ。会わせて欲しい。俺の子供達だって、困っているんだ。早く顔を見せて欲しい」
僅かに開いた扇をぱちりと閉じた。響く音が出た。アニョーに小さく頷く。
「確かにフローラさんは、ジェイドお嬢様が御招待をして滞在しています。狐獣人さんの御家族と、フローラさんはどのような御関係ですか? 何故、御心配をしているのですか?」
ジェイドが、直接には話をしない。先触れも出さない相手なら、挨拶だけで十分だと示す。
「知り合いだ。家族で付き合っているなら、心配して当然だろう」
掃除の音が止んだ。玄関ホールが静まり返る。
眇めた目をアニョーに向ける。扇で口を隠した。
「アニョー、お伝えしてあげなさい」
「リッチー親方も、この滞在を承知しています。御心配には及びません」
狐獣人が、卑下を含んだ笑いをジェイドに向けた。
「愛妾を受け入れたんだね」
ニーナの胸が、ボタンを突き破る勢いで盛り上がった。白いブラウスに深い皺が寄る。
アニョーが傲然と前に立った。
「無礼です」
「ならないわ」
ピンクの塊が突進してきた。階段の最後の十段は、跳躍してジェイドのお城に着地した。
「素晴らしい脚力です。敵いません。すみません。メモに書いていると、時々読み上げてしまいます」
「誰の愛妾もお断り。何よ、熊主砦城まで追いかけて、妾は未練はない。ちゃんとできるわ。手に入れる」
ニーナに集まった皆の目が、瞬時にフローラへと移る。玄関ホールでは忙しく顔が左右に動いた。
「やっとフローラが出てきた。なあ、父ちゃん。これで大丈夫なんだろう?」
狐獣人の少年は安堵した様子で、へにゃりと笑った。
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