26 十二日目の改悛
不知火大神殿は、連日、大入り満員です。
ジェイドの引き籠りは、熊主砦城に様々な波紋を呼んだ。
「紋付き袴のアニョーの見送りは、いつまで続くのでしょうか。昨日は、猛烈に後悔しました。ニーナもアニョーも顔を上げてくれませんでした。騎士団の皆様まで、私を遠巻きにしています。後悔だけでは足りません」
不知火神殿の前の櫓太鼓から、開場を知らせる寄せ太鼓が聞こえてきた。
「八十本の丸太を組み合わせて、櫓を造っています。呼出が太鼓を叩くと、グレイから教えてもらいました。『おいでませ』って聞こえるわ。ニーナが着付けをして、母様のドレスを着て来ました」
不気味なほど大人しいニーナが後に従った。
玄関ホールでアニョーは使用人の見本とばかりに、深く頭を下げていた。紋付き袴の正装で、深く頭を下げていた。後ろにはメイド長やコック長、洗濯長に掃除長まで控えての見送りが、二日続いている。
悔やんで終わりにできないほど、熊主砦城と辺境部屋に心配をかけてしまった。玄関の外では、辺境騎士団の面々が騎士の礼で見送った。熊主砦城を震源として、ウルスラウス領全体に、波紋広がったようだ。
息苦しいが、自業自得だと反省する。
アデレイドのとの話の後で、ジェイドは酷いハウリングを起こしてしまった。四十歳を超え酸いも甘いも嚙み分けた翠の思考と、恥じらい夢見て強がる十六歳のジェイドの考察が、火花を散らして衝突をした。
トーマスとアデレイドの憂慮も、ビルヘルムの心配も十二分に分かると、心の奥底の翠がしたり顔で何度も頷く。甘美なまでの優しさで守られていたと、現実を突きつける。面倒で困難なジェイドが無邪気に引き起こす迷惑を、トーマスが喜び、アデレイドが歓迎し、ビルヘルムが承知している。
ホークハウゼ侯爵家の真綿に包まれ、繭の中で守られていたと、ジェイドは悟った。
「分かっています」
出て来る反発が幼稚だ。
家族の支えを、うるさいと思うジェイドがいる。大人げないと振り払えないほど、心の柔らかい部分が焦燥感に炙られた。守られた時間に、甘やかされていた事実にジェイドは居た堪れない。アデレイドが告げた全てを受け入れ難かった。家族に迷惑を掛け続けた事実に、ジェイドは苛まれた。
何処にいても家族は変わらないと、翠が心の奥底でジェイドの背を添えた。
『引いちゃ、ダメ。押してけ』
足が前に出た。
家族のいない熊主砦城で引き籠って、ハウリングを起こして、ジェイドは前に踏み出すと決めた。繭になって潜考して、翠と向き合い、ジェイドと折り合いをつけた。
ウルスラウス領で過ごした時間はジェイドの選択だ。熊主砦城にいたのも、ジェイドが決めた。魔道具も魔法薬も、ジェイドが家族に守られて作ってきた。全てはジェイドが、支えられて歩んできた。
「私は弱いのです。もう、一人ではないと知っているのに、信じ切れていなかったのです。母様は、私を連れ戻したいわけではありません。引き籠りは、私の不徳の致すところですわね」
不徳がどんなところか分からない。謝罪する場面で翠が聞きかじった言葉を選んだ。
「メモが悪かったんだと思います。すみません。もう嬉し気にジェイドお嬢様の話を致しません。聞かれても、浮かれて得意になって伝えません。だから、メモをお許しください」
謝罪しながらも、メモを諦めないニーナは強靭な精神を持っている。ニーナには非がない。メモも悪くない。
「ニーナは、私の姿を伝えたいと頑張ったのでしょう? 私は改悛しています。改悛とは、前に行った自らの非を悔い改めて、心を入れ替えることです。引きませんわ」
ニーナのメモが始まった。
「勝ち越しが掛かった力士も多い十二日目の土俵を見に行きます。今日はどんな決まり手が、見られるかしら?」
櫓太鼓がジェイドの思いをそっと励ましてくれた。
全ての心を入れ変え出来なくとも、ジェイドは前を向く。自分自身に、起こる出来事に、相撲に、対峙していく。
「また、元気に話し出します。すみませんが、黙ってい過ぎて口がムズムズと痒いです。相撲の決まり手も、ベンジャミンの実況に随と分聞き取りました。メモに書いてあります。まずは、上手投げです。ボリス関の得意技です」
四つ相撲で見られる決まり手が、上手投げだ。相手の差し手の外側から、廻しを取って投げる。相手の手が廻しに掛かっていても、投げ飛ばしていく。
「ジェイドお嬢様は、四つ相撲にも目覚めたし。ボリス関が喜ぶし」
後ろから声が掛かった。フィンだ。双子のラシードとクロードを連れている。
すぐさま、クロードの浴衣の帯をラシードが持って上手投げの形を見せた。拍手が上がった。人が集まって来る。獣人も人間も、多くが相撲の観戦に集っていた。
「続いては、下手投げです。メモのよりますと、差し手で相手の廻しを取って投げると書いてあります。上手と下手は、差し手の使い方の違いなんですね」
今度はクロードがゆっくりと下手投げをした。地面に突く前に、身体を止める。双子の息はぴったりと合っている。
「僕は小手投げが昨日決まったし」
「見てた。凄かったよね。砂漠部屋の小結をフィン関が抱え込んで、廻しを取られずに投げたんだ。僕も、相撲部屋に入りたい」
興奮して声を上げたのは、小さな狐獣人の少年だった。隣に人間の女の子がいた。
「待ってるし。辺境部屋で見学もできるし」
「僕は、近衛部屋に行きたいだ。だって、ビルヘルム関と同じ狐獣人だからね。頑張るんだ。妹も応援してくれているよ」
ビルヘルムより煤んだ獣耳と尻尾が見える。アデレイドから受継いだの優美な黄金色の毛並みは、ビルヘルムの典雅な姿を際立たせるとジェイドは実感した。
狐獣人の父親と人間の母親が兄妹の後ろに立っていた。仲の良い親子に見えた。
「何処の部屋でも大丈夫だし。見学がなくても残念じゃないし。気を取り直して、技の続きだよ。えっと、掬い投げも多い技だし。廻しを取らずに差し手を返して、相手の脇の下から掬うように投げるんだし。やって見せて」
少しだけ窄んだフィンの肩を、ラシードとクロードが軽く叩いて、掬い投げをした。分かり易く一度掴んだ帯を、しっかりと放して見せる。廻しを使わない投げ技だ。
「上手出し投げと、下手出し投げも見せてください」
狐獣人の少年のリクエストに、フィンが技を説明する。
「上手出し投げは、まず上手で廻しを取った肘を自分の脇腹に付けて、体を開くんだし。体を開くってのは、相手と正対していた身体の向きを、右か左に向けることだし」
フィンの声に合わせて、双子がそつなく動く。
「体が開いたら、相手の身体を前に押し出すようにして投げる。押すだけじゃなくて、投げるってのが肝心だし」
ラシードが次の技を始めた。下手で廻しを取った肘を自分の脇腹につけて、体を開く。そのままクロードの身体を前に押し出すように投げた。
「下手出し投げって、兄様が昨日、何度も稽古してましたね。また、見せてね」
狐獣人の少年が妹の口を押えた。
「恥ずかしいだろ。人間の女の子は、相撲を見ているだけだよ。危ないからね」
「人間のレディも、相撲を好きなかたがいる。後は、ジェイドお嬢様が説明するし」
フィンの促しに、俯く顔を上げた。引かない。
「大勢の人の前で話すのはまだ慣れていませんが、頑張ります。押し出しは、両手や片手を筈にして、相手の脇の下や胸に当てて土俵の外に出す技です。ああ、筈は、親指と他の四本の指を開くことです」
取り囲む人が多い。
フィンもラシードもクロードも、ジェイドに合わせてY字の形に指を開き、筈の手を造って見せた。
「豪快だよね」
狐獣人の少年が合の手を入れた。相撲の魅力を知ってくれたようだ。拳を握った。
「はい。押し相撲の力が伝わる技です。私は足の運びにも注目します。稽古の充実が足の運びに出ます。筋肉の張りと機敏な動きを楽しめる技ですのよ。しっかりと御覧になってくださいね。特にスコーピオン関の押し出しは、見逃せません!」
少年が呆けた口を開けて、獣耳を垂らした。
隣の妹は、何度も頷きジェイドに手を叩いていた。
力を入れ過ぎた。熱を込めて、話をしてしまった。ジェイドは口を指で押えて、少しだけ声を小さくして続けた。
「クロード関が得意なのが、突き落としですね。体を開きながら、片手で相手の脇腹や肩を強く突いて、下に落とすのが突き落としです」
ジェイドを見ていたクロードとラシードが、魔力が減った魔道具の軋み突伝えるような動きで、突き落としを見せた。
「ラシード関とフィン関は叩き込みも綺麗に決めます。相手が低く出てきた場合に、体を開いて相手と距離を取ります。相手の方や背中を叩いて、落とします。相手の身体を払うように叩くのが、大切です。私の好きな押し相撲で多い決まり手です」
フィンが前に出てた。ラシードとクロードが後ろに控える。
「よく使われる決まり手を、伝えられた。そろそろ支度部屋に向かうし」
辺境部屋の力士たちが、不知火大神殿に入っていた。ボリスがいなかったと、ジェイドは気付いた。先に言ってったのだろうか。
妹の手を引いて、狐獣人の少年が走っていく。
集まっていた輪が解けた。
「ボリス関が今場所で、一度も決めてないのが押し出しと、突き落としと、叩き込みですね。メモは、間違っていません」
ニーナのメモが、無情な事実を告げた。
大きく張り出したニーナの胸の影に、犬獣人が見えた。手に眼鏡が見えた。
「あの眼鏡は、待ってください」
ジェイドはピンクのドレスの犬獣人を追った。
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