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25 十二日目の憂慮

アデレイドの余波が、大きいです。

 ボリスの身体がら湯気が上がった。熱気を纏って、風を切って歩く。

「今日から、大関戦が始まる」

 此処まで勝ちっぱなしは二人で、横綱のエドワードと大関ではボリスだ。大関のスコーピオンは一敗で続き、残りの大関二人は四敗と星を落としている。

 横綱戦と大関戦を終えた前頭筆頭のフィンとビルヘルムが、三敗で上位を追っていた。若手で人気も実力もある。直に三役に上がると、レギオンも解説で力を入れていた。

 三役は、大関と小結と関脇を指す。前頭までは数字で番付が示されるが、三役以降は数字が入らない。

 今場所の関脇と小結は負けが込み、六勝五敗が二人。二人は四勝七敗だ。勝ち越しを目指して、最終盤に向かっている。

 相撲の興行は十五日間で、半分を超える八勝を勝ち越しと呼ぶ。

 ボリスは支度部屋に向かった。時間が早かったためか、力士も少ない。

 東西の花道の奥に、それぞれ一か所ずつ支度部屋があった。中は、左右対称の造りで入口の近くに風呂とトイレがあり、テッポウをする鉄棒柱もある。

 支度部屋に入ると、『コ』の字の形に上がり座敷がある。正面が横綱の定位置で一番広い。その他の力士が座る所は自由だが、部屋ごとに集まったり、番付に応じたりとは大体が決まっている。

 ビルヘルムが支度部屋にいた。浴衣の襟を少し(はだ)けた姿で、上がり座敷に腰かけていた。近衛部屋の力士と屈託なく笑い合っていた視線をボリスに向けて、微かに眇めた。好戦的な色が混じる。

「我が母様が、熊主砦城でお世話しなりました。歓待に感謝申し上げます。そろそろ大切な妹も帰って来るでしょうか?」

 立ち上がらずに、惜しみなく広げた長い足に腕を乗せている。挑戦的だ。

「ホークハウゼ侯爵家は、攻めが手厳しい。ジェイドの思うがままに任せている」

「放って置くと、危ないと母様も心配が募ってました。勘弁してくださいよ。泣かせたら、承知しません」

 空気が淀むほどの剣呑さが、二人の間に立ち籠めた。

「呼んだよな、俺を。ビルヘルム関もボリス関も、しけた面で、覇気は何処に行ったんだよ。盛り上がって行こうぜ」

 暢気な声はスコーピオンだ。

 同じ年のスコーピオンは、王太子だったコニアスも一緒に五年前の隣国との抗争で共に辺境で戦った。戦のあとでスコーピオンは故郷の南部の砂漠地帯に戻り、力士となって再会した。

「破棄? 恐ろしい」

 ボリスの震える声に、スコーピオンが笑い掛けた。

「何だあ、婚約者殿に翻弄されているんだろう。情けねえなあ。俺みたいに、押して押して、押しまくれ。相撲に集中させてくれない婚約者殿なのか?」

 電光石火の押しで、スコーピオンは故郷ですぐに結婚をしていた。

「馬鹿な! ジェイドは稽古を常に優先させてくれる」

 腰を割って繰り出す押しは、スコーピオンの丸太の身体を活かしている。体重を乗せて突き出す押しは、威力が高い。

「そうだろうよ。『鏡カメラ』を作るほど、相撲が好きなんだ。好ましい婚約者殿だ。逢ってみてえなあ」

 ビルヘルムが四股を踏み出した。

「ボリス関に覇気がないから、婚約の破棄に怯える。気にし過ぎです。ジェイドは賢い。しっかり考えて、分かっている。まあ、はっきり示さないと初心で、無垢で、勘違いするかもしれない。デートより稽古をしてくださいって、窘めるのがジェイドです」

 負けじと、ボリスは摺り足を始めた。

「考え込むと引き籠るのだろうか? ビルヘルム関は落ち着け。怒るなよ。違うぞ。一日だけだ。四股を俺に振り上げるな。ホークハウゼ侯爵夫人が帰った後で、部屋に籠っていた」

 ビルヘルムが高く足を上げて、僅かに空中で足を止めた。長い足の筋肉が漲って美しい。勢いをつけて、ボリスの直ぐ近くで足をどおっと踏み締めた。

「へえ、繭になったんですね。泣くとパールができるジェイドは、潜考すると周囲を遮断して、繭状態になるんです。まあ、ニーナがいるから、心配ないですよ」

「ニーナも拒まれたんだ。待て、ビルヘルム関は怒りを鎮めろ。相撲も見に来なかった。可哀想に」

「部屋で見てます。ジェイドは『鏡カメラ』を造れるんだから、見逃しません。ボリス関が思っているより、逞しいです。でも、久しぶりの引き籠りだ。原因は母様だから、ボリス関は我が家の問題に口を挟まないでください」

 ジェイドを知り尽くしているビルヘルムの口調に、(わだかま)りが生まれる。苛立った声が出た。

「今はもう元気だ。部屋から出ている。ブラックパールもできなかった」

 摺り足を掠めて、ビルヘルムの四股が絶え間なく迫る。峻厳な足技だ。

 安楽な声に似合わない厳しい突き押しの手が、ボリスの脇から前に出た。後ろからスコーピオンの突きが、寸止めで暴風をぶつけて来る。激烈な手技だ。

「聞き捨てならないですよ。泣かせて、ブラックパールを造らせたって経験があるんですね。本場所終わったら、辺境部屋に出稽古へ伺います。色々洗って、待っててくださいよ」

 何処を洗うのか、思わずビルヘルムに質したくなった。

「俺も出稽古に行きたいな。熊主砦城なら宿泊場所もあるし、ビルヘルム関と一緒に行こうかなあ」

 安楽な声に似合わぬ厳しい突き押しの手が、ボリスの脇から前に出た。

「ジェイドは押し相撲が好みだから、スコーピオン関を大歓迎ですよ」

 摺り足が止まった。ぎこちなく首を廻して、ビルヘルムを見上げた。

「何で知っているんだ。ニーナちゃん情報だな。ダメだ。情報漏洩だ。抗議する」

 微に入り細を穿つ詳細なニーナのメモに裏付けされた情報は、今や熊主砦城を飛び出し、不知火大神殿でも持て囃されていた。

 スコーピオンを賛美し、うっとりと見詰めるジェイドの幻影を、ボリスは懸命に振り払った。

「本当かよ? 嬉しいな。ボリス関の婚約者殿は、俺が好みなんだな」

「押し相撲好きは、認めてやる。辺境部屋でも、ジェイドの押し相撲好きは公認だ。でも、スコーピオン関が好きだとは限らない」

 ビルヘルムが、口の端を揺らして小さく笑いを零した。

「有益なニーナちゃん情報だとフローラって犬獣人が怪しい動きをしているらしいですね。その辺も、洗って置いてください」

「俺には、一片の疚しさもない」

 ボリスの絶叫が、支度部屋に轟いた。


お読みいただきまして、ありがとうございました。

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