21 ホークハウゼ侯爵家の引き籠り令嬢
王都にて
玄関ホールに現れた大きな箱を、トーマスは大口を開けて見上げた。
「獣人は力持ちだって知っているが、アデレイドの細腕で持って行くのかい?」
嫣然とアデレイドが、有無を言わせぬ微笑みを崩さない。
「勿論、荷物はお任せいたします。トーマスはまだ、拗ねているのかしら。私は不知火大神殿に行きますわよ。息子も娘も、彼の地で努力しているのです。応援するのが親の役目です。食べ物も生物も荷物には入ってない。ほとんどがジェイドのドレス」
服装に頓着しないジェイドをアデレイドは嘆いた。
「しなやかな手足を美麗に装うブラウスにスカートもある。美しい黒髪を飾ってあげます。楽しみだわ。ビルヘルムを一緒に応援するの」
ジェイドが熊主砦城に滞在してから、アデレイドはせっせと服を新調していた。全てがジェイドへの土産となったのだろう。
黄金の獣耳と尻尾がゆったりと揺れて、御機嫌な様子だ。
「コニアス国王陛下が同行をお許し下さったが、でも、ほら、気に入らない」
相撲の視察が決まった。『鏡カメラ』の齎した効果で、相撲はレスラリー王国を席巻している。王都の不知火神殿の各支部には、連日、獣人も人間も大勢が詰め掛けている。相撲を神事としたコニアスの目論見は果たされつつある。
「イーサンは来ないわよ。王城で鉢合わせしても、顔を見ないようにトーマスの後ろで控えています。大人しい振舞いは、得意ですわ」
相撲を解説するレギオンの名調子に、コニアスは浮足立った。如何しても不知火大神殿に出向くと、精力的に動き始めた。
コニアスが王宮を長くは空けられない。魔法陣を使っての移動となる。ジェイドの力に頼っての相撲視察計画は、初日が終わった夕方から王宮で始まった。
「コニアス国王陛下が堪えられなかった気持ちも、理解している」
「土俵の上でビルヘルムの黄金の獣耳は、煌めいているわ。何を案じているのかしら? ジェイドなら憂慮はないはずよ」
トーマスの抱える卑屈な嫉妬も、憐れな焦燥も、アデレイドは全て受け止めてくれる。嘆きが零れ出た。
「心配ばかりが募るよ。私は弱い」
アデレイドを抱きしめた。背に廻った腕が温もりがトーマスを慰める。
「決めたのは、私たち。トーマス一人に背負わせない」
決然とした声に、アデレイドの決意が滲む。
「経過を話すんだろう? 私の決断はジェイドを気付付けた。褒賞なんて望むべきではなかった。どんな理由があっても、デビュタントを台無しにしたボリス閣下を、責めたくなるよ」
出した声が、思いがけず小さくて情けない。
デビュタントの失敗は、ホークハウゼ家には激震だった。
「時期が悪かったの。デビュタントと相撲の本場所の開催が、近すぎたの。功を焦ったイーサンの失体ね。全く、割れ顎は詰めが甘いのよ」
アデレイドの軽口がトーマスを励ます。
「予期せぬ出来事があっても、挽回はできます。ジェイドが熊主砦城に行ったことを、二人で喜んだ。私たちの思いは決まっている。トーマスは間違っていない」
「引き籠りを推奨した」
お茶会にも連れて行かなかった、同じ年頃の令嬢と交わる機会は、悉く潰した。令息との出会いは握り潰した。
「邸に居てくれて、楽しかったわ。今は家族がバラバラに暮らす。でも、家族よ。トーマスはジェイドに甘いから、どんな魔石でも用意した」
魔法の精錬を教えてのが楽しかった。トーマスはジェイドと共に様々な魔道具を作り上げた。
「アデレイドだって、文献を惜しみなく揃えただろ? 別荘が買えるほど散財したのを、私は知っている。助かったよ。私一人がジェイドを甘やかしたわけじゃないからね。おまけにビルヘルムは片っ端から男を寄せ付けなかった」
「婚約が破棄になったら、ジェイドの邸を敷地に建てるって言い出したのよ。ビルヘルムが一番、ジェイド離れが出来ていないかしら?」
ジェイドの笑顔が邸には常にあった。新たな魔道具や魔法薬にトーマスは狂喜した。手放しで褒めると、幼いジェイドは研究に没頭した。
次々と生み出される魔道具に慄いたのは、ジェイドが八歳を迎えた頃だった。
「熊主砦城から連れ帰ってくる算段もしたい」
咎めるように、トーマスの背をアデレイドの手がポンっと叩いた。
「トーマスが計略を企んだら、誰も止められない。参謀にならずに、宰相も蹴って、王立魔法師団を選択したのを私は誇りに思っているの。父親としての最善の守りだった。ジェイドの力は、家族が一番身に染みている」
ジェイドを物騒だと評したイーサンは間違っていない。不穏な魔道具や危険な魔法薬を、ジェイドなら作り出せる。
ジェイドを利用させたいために、トーマスは今まで全力を尽くした。侯爵家の権力も財力も、惜しみなく守りに活用した。政敵も取り込み、王宮へも分け入った。
「今でも信じられないほど驚いたよ。『鏡カメラ』は魔法の構築さえ分析できない」
よくぞ王宮で卒倒しなかったと、アデレイドに零したほどの衝撃だった。
「ジェイドが自ら『鏡カメラ』を王宮に持ち込んだ。もう、此処まで来たの。ジェイドはすでに引き籠っていない」
「ああ、嫁に行ってしまう」
今日一番の情けない声が出た。
アデレイドがポカスカッと背を乱打する。
「私もホークハウゼ侯爵家に十六歳で押しかけました」
「あれは、私がアデレイドを攫ったんだ」
抱き締め合う腕が、互いの身体に絡み合った。
「一緒に歩いて来たわ。トーマス、一緒にウルスラウス領に行きましょう。貴方のいた戦いの地に行くの」
「アデレイドは素晴らしい伴侶だ」
トーマスは荷物を持ち上げた。
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