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20 五日目のその後

横綱登場

 歓声に色があるとしたらやはり黄色だろうと、力士を見送る声を聞いてジェイドは感慨を深くした。黄色に属する色も様々ある。

彼方(あちら)の若い御令嬢は蒲公英(たんぽぽ)色に、菜の花色の声ですわ。妙齢で裕福な商人の御婦人の皆様の声は、玉葱(たまねぎ)色とか鬱金(うこん)色。黄朽葉(きくちば)色に芥子(からし)色の声は、同年代のレギオン公爵様に向かっています。素晴らしく枯れた姿です」

「ビルヘルム坊ちゃまです。今日も勝って、白星が先行です。見てください。あんなに獣人も人間も女性が集まって、見送っています。すみません、手を振っちゃいます。ああ、笑ってます」

 鳩獣人の胸を誇らしく張ったニーナが、黄色い声に引き寄せられていった。

 ビルヘルムが精悍な笑顔を作って、引き上げていく。一挙手一投足に歓声が鏤められる。

「黄金の狐獣人は恐るべき姿です。兄様、どうか頑張ってくださいませ。美しい母様に似たのは、兄様ですね」

 遠くから、小さく心の中でひっそりとビルヘルムに声援を念じた。

 結びの一番の激しさを纏ったまま、横綱のエドワードが出てきた。カンガルー獣人の太い尻尾が着物から見える。背に廻ったら、尻尾で張り倒されそうだ。太い脚は、土俵の上で凶器にも思えた。

 身体を引いてジェイドは道を譲る。横綱の姿を仰ぎ見た。大きくて、筋肉が着物の上からも分かる。

「ああ。見ていてくれたんだね。嬉しいよ、ジェイドお嬢様。今日も万全に勝った。口ほどにもない前頭筆頭だった。あれじゃあ、辺境部屋が心配だ。こんな山ばかりの田舎にいないで、海峡部屋にお出で。食べ物もおいしい」

 今日の横綱戦は、フィンだった。真っ向勝負で、互いに頭から当たった。立ち合いはフィンが勝ったが、エドワードに廻しを掴まれた。

 廻しを手繰る技術に、ジェイドは息を呑んだ。

 頭を肩に付けて、フィンは腰を引いた。フィンが動いた一瞬の隙に、エドワードに、がっちりと廻しを掴まれた。

 フィンは足腰の強さを見せて、土俵際で粘った。動いて、横綱を振り回した。長い相撲で、三分に迫る攻防だった。最後は横綱に寄り切られた。

 見所があった相撲でフィンの成長に期待をすると、レギオンが解説した。

 土俵を下りたエドワードは口が軽い。ジェイドを見ると側に寄って、話をする。

 引きたくない、怯みたくないと願っても、足は一歩、二歩と下がって間を取る。

 ニーナはビルヘルムを追って行ってしまった。

 今は、ジェイドが一人でボリス達が出てくるのを待っていた。

「何を見ているんだい? 『明け荷』が気になっているようだね。横綱が教えてあげる。これは竹で編まれた葛籠(つづら)だよ。竹の上に、紙が貼ってある。(こうぞ)とか三椏(みつまた)なんかを煮だして作る特別な紙だ。紙の上に漆を塗って固めているんだ。漆は分かるかい? 何でも聞いてくれ。物知りなんだよ。横綱だからね」

 エドワードの声はねっとりと絡む。

 壁際に追い詰められた。後ろに下がれない。引いちゃダメっと俯いたまま懸命に声を搾った。

「私は、明け荷も漆も知っています。お気遣いは必要ありませんわ」

「強がる姿も可愛い。照れているんだろう。分かるよ。謙虚なジェイドお嬢様は、横綱直々に声が掛かったら、恐れ多いって恐縮する。もっと気楽に話して欲しい。僕と君の仲だろう?」

 二人の間に、関係性は全くない。ジェイドは背を向けた。

 ジェイドの側に着飾った令嬢集団が戻ってきた。ビルヘルムが帰ったようだ。

「エドワード関ったら、今度は誰に声を掛けているのかしら? 妬けちゃうわ」

「ねえ、今日は明け荷を見せてくださるんでしょう?」

「待ってくれよ。昨日もお嬢さん達とは、楽しい時間を過ごしたはずだよ。今日はジェイドお嬢様と、ゆっくりしたいんだ。僕も人気があって辛い。順番を守ってくれるね、可愛いお嬢さん達。明け荷を見せてあげる。遠慮はなしだ。ジェイドお嬢様を宿舎に案内しよう」

 明け荷の中身は、控室で使う座布団に、土俵下で使う控え座布団。さがりに廻と化粧廻しが基本で、後は各自の必要な物となる。浴衣やタオルも入っている。

「聞かなくても知っています。ボリス関の明け荷を見ております。お願いですから、話しかけないでください」

「何ですって? ボリス関とも親しいって話をしている。ふしだらな御令嬢ですこと! ちょっと、応援する力士は一人にしなさいよ。エドワード関との関係は何なの?」

 一片の疚しさもなく、エドワードとは関わりないと言い張りたいが、ジェイドは令嬢の知り合いが皆無だった。話し方も接し方も見当がつかない。

「名前で呼ばれて、ずるいわ。もう十分に構ってもらったでしょう? 地味な服装だし、さあ、帰って」

 ニーナが走って来た。

「ジェイドお嬢様、お待たせしました。ビルヘルム坊ちゃまから伝言があります。すみません。退いてください。随分と人が集まっていますね。お友達ができたのでしょうか? 引き籠りも卒業ですね」

「伝言って、私たちも聞くわよ。さあ、教えて、早く」

 メモを開いて、ニーナの声が朗々と響いた。

「読み上げます。『可愛いジェイド。変わりなく元気そうで安心したよ。早く会いたいね。王都の邸で待っている。愛を込めて、ビルヘルムより』以上です。いつも変わらないです」

 取巻く歓声が、黄色から赤に変わった。炎のようにジェイドを取巻く令嬢達が燃え上がる。

 (べに)()に頬を染めたのは人間の令嬢で、ジェイドに鬼気迫る顔を寄せた。

「ビルヘルム関とは、明確な御関係があるようですね。はっきりしてください」

 関係を認めて頷く。何度も繰り返して首を上下に動かす。言葉は忘却の彼方から戻ってこない。兄だとの一言が、迷子になった。

「当たり前です。ビルヘルム坊ちゃまは、随分と可愛がっていますからね。愛しいジェイドってのが口癖です。何を困っているんですか? 事実ですよ。ジェイドお嬢様」

 場の混乱が収まらない。ニーナの口を塞ぎたいと切実に思った。

「ねえ、誰が狙いなの? はっきり教えて、耐えきれないわ。独り占めしないでよ」

 近寄った兎獣人の令嬢の声は、韓紅(からくれない)に潤んで見えた。

 猩猩(しょうじょう)()が近づいたと身構えたら、ドレスの色だと気付いた。ジェイドの手を染めるほどの鮮やかさが目の前を塞いだ。

「完璧なビルヘルム関が先行して、ボリス関が盛り上がって来ているの。人気を二分する勢いだわ。頑張っていても女性人気はいまひとつなのが、エドワード関なのよ」

 エドワードの顎が下がった。

 驚くのはボリスの人気だろうか? それとも、エドワードの現状だろうか? 揺るぎないビルヘルムの地位だろうか?

 戸惑うジェイドの腕が掴まれた。

「妾は、ボリス関しか目に入らないわ。嫌だあ。出待ちをして騒いで、はしたない。ボリス関に呆れられちゃうわよ。婚約者なら、もっとはっきり、前に出て頂戴。こましゃくれた侯爵令嬢のジェイド様」

 獣耳の毛が逆立っている。懸命に吠える柴犬の姿で、フローラがいた。

「婚約者ですって?」

「あら、ビルヘルム関の妹が、今はボリス関の婚約者だって話は社交界で有名でしょう? 知らないで出待ちするなら、恋人もいないって噂のエドワード関がお薦めよ」

 恐慌をきたした令嬢達の叫び声が、七色に弾け飛んだ。

 ニーナが笑いを堪えていた。やはり混乱を意図して伝言を読み上げたのだろう。ニーナなりにエドワードから守ってくれた。

「メモは分かり易くしてがモットーです。すみません。辺境部屋の出立が遅れています。様子を見て来ます」

 ニーナを見送ると、フローラがジェイドを連れた歩き出した。

「どんくさいわね、全く情けない。婚約者だって、鳩獣人のメイド並みに胸を張って見せなさい。やっと邪魔もいないわね。話があるのよ」

「往生していました。有難うございます」

 フローラだけに対応するならできる。俯かない。

「お礼は言えるんだ。じゃあ、感謝ついでにボリス関の婚約者の地位を譲ってよ。妾なら、あんな令嬢達を寄せ付けない」

「譲りません」

 瞬時に応じた。ボリスはものではない。

「ジェイドお嬢様って孤独なんでしょうね。引き籠って仲間もいない。だから熊主砦城が楽しい。辺境部屋で構ってもらって嬉しい。歓迎されたって思い込んでいる。ボリス関だって、持て余しているわ。ウルスラウス辺境に人間のレディはいらないのよ」

 居心地の良さは、フローラの言葉に分があるだろう。アニョーを始めとして、使用人の対応は丁寧だ。騎士団も礼を持って応じてくれる。

 だが、熊主砦城でも辺境部屋でも、ジェイドは何もしなかった訳ではない。供に話して、一緒に作ってきた時間がある。ボリスと過ごして楽しかった時間は、与えられただけではない。

「頑張る私を、皆さまが受け入れてくれたんです。感謝していますわ。ボリス関はお優しいです」

「悪い女よね。妾の父様までこましゃくれた令嬢を評価している。魔法薬を用意して、魔道具だって簡単に出してくる」

「リッチー親方は女の趣味が悪いのですね。だから、私を褒めるのです」

 心の奥底で、翠が分析を始めた。

 フローラは二十歳で、レスラリー王国の基準からすれば、僅かに婚期を逃している。自ら考える力も感じるし、行動力も随所に見せてきた。

 非常勤講師だった翠の経験と情報が、フローラを突けと嗾けた。

 ボリスとの結婚に拘る点は、ボリスを好きだからだろう。

「好きなら、私からボリス関を奪ってみるのは如何でしょうか?」

 フローラが瞠目した。尖った犬歯が口の左右から覗いている。

「自信があるのね。奪えないから頼んでいるのよ。ボリス関は誘っても無駄なの。好きとか嫌いじゃあないのよ。妾には、熊主砦城が必要なのよ」

「え?」

 フローラに対する警鐘を、翠が早打ちしている。

「ジェイドお嬢様だって、政略結婚でしょう? 相撲は要らない。そうよ、ボリス関はあげるから、ボリス閣下を譲ってよ」

「お一人しかいませんわ。何を望んでいるのですか?」

 ジェイドの声が沈んだ。

 出入口に歓声が上がった。ボリスの姿が見えた。着物の裾が風を孕んだ。

「話過ぎたわ」

 フローラが背を向けて走り去った。



 


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